呑川柿の木坂支流

環七と国道246号線が交差する上馬交差点の南辺りを水源とする呑川柿
の木坂支流
を追ってみた。
2.5kmほどの支流で全区間が暗渠、東急東横線都立大学駅近くで呑川
本流に交差する。

最上流は世田谷区上馬3丁目辺り。
周りは住宅街であり谷頭をはっきりと確認することはできないが、僅かにコ
ンクリート舗装された部分があり、上流端であることが想像できる。
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支流を追う前に国道246号線沿いに建っている曹洞宗寺院の八幡山宗
圓寺
を紹介しておこう。
慶長元年(1596)の創建と伝えられ、寛永10年(1633)喜山正存和尚が
中興した。
若宮八幡宮(現駒留八幡神社)の別当寺であったという。
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さて支流を追うこととする。
しばらくは住宅街の道路として続き、痕跡を探すことはできない。
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目黒区に入り、歩道が設置された道路となるが、この歩道が流路跡という
ことになるのだろうか。
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東が丘1-33付近からその名も呑川柿の木坂支流緑道という緑道が
道路の緑地帯のような姿で始まる。
この緑道は目黒通り手前まで2㎞ほど続き、支流の殆どの区間を緑道が
占める。
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谷頭からスタートして600メートルほどの地点、早くも緑道に交わる道路
は坂道となっており、柿の木坂支流が凹凸地形を
造っていることを感じることができる。
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坂道上の樹々が生い茂る場所は東根公園。
緑道沿いの目黒区の案内板には下記のように記載されている。
「根」とは、台地の縁とか、谷のひだの意味で、呑川の浸食で複雑な谷を
つくっていたこのあたりに、東根、曽根、平根などの小字名があった。
東根は公園や小学校の名に残る。


緑道には樹々が生い茂る。
陽射しが強い日であったが、樹々が陽射し除けとなり気持ちよく歩ける。
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緑道は環七の西側を南へと続いている。
付近の柿の木坂地区は都内でも有数の名高い住宅地である。
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区では支流緑道を緑道植物園と位置づけており、約70種の花木が植えら
れているという。
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緑道の幅は下流に向かうにつれて広がっていく。
かつて開渠の頃、周囲の雨水などを集めて川幅が広がっていったのだろう。
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今は散策路として、また駅への通勤通学路として地域住民の方々に利用
されているようだ。

右岸の台地を上がったところに柿の木坂北野神社が鎮座する。
創建年代は不明だが、ご神体の菅原道真公木像に安永6年(1777)再興
の文字があり、それなり古社であることは間違いない。
もとは田圃の脇にあり農業神として崇められていたが、昭和初期の耕地
整理時に現在地へ移されたという。
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目黒通りの手前で緑道は終わる。
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目黒通りを渡ると流路は右に曲がり、都立大学駅の西側を進む。
駅近隣の暗渠によくある駐輪場の風景がそこにある。
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その先、駅の南側で東横線と交差する呑川に合流し、柿の木坂支流は終わる。
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楊柳川

楊柳川は東久留米市八幡町付近を水源とし、黒目川中流部に合流する
2㎞ほどの支流、全区間暗渠となっている。
かつては玉川上水から分かれた小川用水末流や、同じく玉川上水の分水
の1つである大沼田用水の分流が楊柳川の南にある前沢宿を潤した後、
川に水を落としていたようだ。
そのため小平排水溝という別称を持つ。

楊柳川は八幡町の都営アパートの西側から辿ることができる。
南側は擁壁となっており、小さな台地となっている。
この台地の南側には楊柳川と同じ黒目川の支流である落合川の源流が
あり、2つの川の源流域の距離はわずか数百メートルという近さである。
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川はその後都営アパートの道路沿いの敷地を進んでいく。
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暗渠沿いにはアパートの住民の方々が植えたものだろうか、鮮やかな花々
が咲いている。
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川を跨ぐように古いガス管があった。
いつ頃設置されたものかは判らないが、開渠だった頃に川を渡るために
地上にガス管を引き回したものなのかもしれない。
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道路沿いに北東へ進んでいく暗渠。
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この先、八幡団地東という交差点を右に曲がったところに前沢御殿跡
史跡がある。
この辺りは尾張徳川家の鷹場であり、寛永18年(1641)から延宝4年
(1676)まで、この地にあった旧延命寺が鷹狩の際の宿泊所となっていた。
前沢御殿もしくは楊柳沢御殿と呼ばれており、楊柳沢の名は楊柳川から
名付けられたとも、尾張徳川家の名古屋城の楊柳城という別名であった
ためとも言われているという。
もし後者の説であるとしたら、楊柳川の名は名古屋城が起源ということに
なり興味を惹かれる。
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現在、その一帯は墓地となっており、その入口には寛政7年(1795)建立
の地蔵菩薩をはじめとする石造物群があり、東久留米市の指定文化財と
なっている。

八幡団地東交差点から小金井街道までの300メートルほどの間、暗渠は
一般道路の下へ隠れてしまう。
蛇行している道路形状が僅かに川跡であることを認識させてくれる。
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小金井街道を渡ると楊柳川は遊歩道となって現れる。
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但しこの遊歩道は100メートル余りの短いもの、再び幸町の住宅街の一般
道となってしまう。
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この南に臨済宗寺院の円通山米津寺がある。
万治2年(1659)、徳川譜代の家臣、米津家の二代目米津田盛を開基とし、
米津家の菩提寺として建立された。
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米津家は三河出身の家臣であり、墓域には、二代目・田盛、四代目・政矩、
六代目・政崇、八代目・政容の墓がある。
都内多摩地域に残る唯一の大名家墓所であるという。
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ただ楊柳川から寺に行くには迂回を強いられ、ちょっと歩くことになる。

さて楊柳川は再び遊歩道が続く。
今度は黒目川合流点近くまで続く長い通路。
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住宅街の中を蛇行しながら進んでいく遊歩道。
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更に辿っていくと農地脇で遊歩道はタイル状のものから暗渠蓋へと変わる。
コンクリート蓋の間にはグレーチング蓋があり、中を覗くと水が流れている
様子を確認できる。
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住宅街の中を進む暗渠、かなり広いので開渠の頃は相応の川幅をもった
河川であったのだろう。
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擁壁の下にあったコンクリートの構造物、
かつての護岸壁の跡であろうか。
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北を流れる黒目川の方へ転じると、その先にはガードレールが…。
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そのガードレールの反対側には別の遊歩道がある。
実はここ、黒目川の旧流路であり、楊柳川はここで黒目川に合流していた
ことになる。
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現在は旧流路跡の遊歩道の下を上流側へと引き回され、
幸橋と曲橋の間で黒目川へと注いでいる
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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