渋谷川 2

渋谷川は稲荷橋から先、開渠となる。
現在はビルの谷間を流れているという感じだが、渋谷再開発事業の1つに「渋谷
川隣接区域にて水辺空間用地の創出」という項目があり、東横線跡地を中心とし
て公園化される予定である。
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東に沿う明治通りから坂を上っていくと、金王八幡宮がある。
寛治六年(1092)渋谷氏の祖、河崎高家により鎮祭され、高家の子重家がこの地
に館を構えて居城として以来、渋谷氏の氏神として尊崇された。
江戸期には、德川家光の教育役の青山伯耆守忠俊と乳母の春日局が三代将軍就
任を当神社に祈願し、その願いが成就したのは大神の神慮によることと、現在の社
殿及び神門を寄進した。
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本殿に向かって左側には、渋谷城の砦の石が保存・展示されており、説明板には
以下のように書かれている。
 このあたり一帯の高台は、平安時代末期から渋谷氏一族の居館跡で、東に鎌
 倉街道(現 八幡通)、西に渋谷川が流れ、北東には低い谷地形(黒鍬谷)が
 あって、館を囲んでいるうえ、かつては数ヵ所に湧水があるという好条件を備
 えていました。
 しかし、その館いわゆる渋谷城は大永4年(1524)、北条氏と上杉氏の合戦の
 とき、渋谷氏が高輪原で北条氏と交戦中、北条の一軍により襲われ焼き払わ
 れてしまいました。

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こちらは江戸名所図会に描かれた金王八幡宮。
金王八幡
                      (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)
なお、この金王八幡宮の脇にも渋谷川の支流がかつて流れていた。

道を挟んで南側に位置するのが豊栄稲荷神社
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鎌倉時代、渋谷高重による創祀と伝えられ、元は渋谷川の川辺、渋谷駅付近に
あったという。
江戸期の文化年間(1804~1818)の頃までは「堀の外稲荷」と称されていたが、
その後「田中稲荷」と称され、また川端にあったので「川端稲荷」とも称された。
前述した渋谷川が開渠となる稲荷橋は、この田中稲荷に由来する。
昭和31年、道玄坂上の豊澤稲荷神社を合祀、昭和36年、現在地に遷座した。

渋谷川を進むと、並木橋の下から水が勢いよく流れている。
これは平成7年に目黒川や呑川とともに実施された清流復活事業によるもので、
都市化による水質悪化や水量減少の対策として、新宿区上落合にある落合水再
生センターより高度処理再生水を導水、放流しているものである。
なお、前述の渋谷再開発に伴い、今後、放流地点を渋谷駅付近に移設される予
定である。
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こちらは並木橋から下流側を見た光景。
2013年、地下化も伴い廃止された東急東横線の高架が見えるが、この時点
では解体工事中であった。
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庚申橋の橋詰に建てられている庚申橋供養塔、寛政11年(1799)に建てられ
た数少ない珍しいものだという。
上部の青面金剛像のほかに 四面すべてに橋講中の世話役や万人講及び個人
名が多数刻まれており、橋を通る道は、江戸期には重要な交通路であったことが
判る。
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恵比寿駅近くの渋谷橋から下流を望む。
ここでも右岸から放流されているが、これは地下鉄日比谷線のトンネル内に湧
き出た水を渋谷川に流しているものである。
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川沿いに歩くことはできないが、右岸側の道を歩いていくと、台雲寺の入口に
敵・味方軍人の供養碑」「軍馬の碑」が建っている。
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明治30年(1897)に建てられたもので、(日清戦争(1894~95)に従軍した
日本軍人の慰霊碑とともに、相手側の清国軍人の霊を弔った石碑がある。
また写真右の「軍馬の碑」は、従軍して犠牲となった軍馬を哀れんだもので、
 みいくさを のせるのみかは かてをさへ はこぶも馬のちからなりけり
という歌が刻まれている。

恵比寿橋近くのビル工事現場のフェンスに昔日の渋谷川の写真(渋谷郷土博
物館提供)が掲げられていた。
昭和30年、新橋(恵比寿橋の次の橋)付近の写真で、現在より川幅が広く感
じられる。
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その恵比寿橋と新橋の間で、北からいもり川が合流する。
青山学院大学構内付近を水源とする支流で、現在、渋谷川の合流部では雨水吐
として口をあけている。
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渋谷川沿いはビルや住宅が建ち並び、川に沿って歩くことはできない。
そのため、明治通りなどに迂回し、橋の上から眺めることになる。
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明治通りの北側には臨済宗の瑞泉山祥雲寺がある。
筑前福岡藩の第2代藩主の黒田忠之が父・長政の冥福を祈るために、京都紫
野大徳寺の龍岳宗劉を開山として赤坂溜池の自邸内に興雲寺として建立した。
寛永6年(1666)に麻布台に移り瑞泉山祥雲寺と称したが、同8年(1668)の
江戸大火に逢い、当地へ移転した。
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祥雲寺には黒田長政(1568~1623)の墓がある。
墓標は5mほどもあり、木造の建物に覆われている。
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黒田長政は秀吉の参謀として仕えた黒田孝高(官兵衛)の嫡男で、文禄・慶長
の役などで活躍、関ヶ原の戦いで戦功を挙げたことから、筑前名島に52万3,000
石を与えられ、福岡藩初代藩主となる。(Wikipediaによる)

また、福岡藩主黒田家をはじめとして秋月藩主黒田家・久留米藩主有馬家など
の諸大名の墓地群や、江戸時代初期の医家、岡本玄冶の墓も当地にある。
(岡本玄冶については、『浜町川』参照)

その祥雲寺近くの山下橋付近に大きな水車があり、広尾水車として江戸名所
図会にも描かれている。
玉川上水を開削した玉川家の屋敷内にあったことから、玉川水車とも呼ばれ、
渋谷川沿いで最古で最大の水車であったという。
広尾水車
                      (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

渋谷川はその先、都立広尾病院の北側を通って天現寺橋に達する。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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