仙川 2

中央線との交差した先、仙川は相変わらずのコンクリート三面張りの護岸が続く。
そしてまた、水の流れは確認できない、
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直角に曲がる水路、この先もクランク状に曲がりながら南東方向へと進む。
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途中のあけぼのふれあい公では親水施設があるが、もちろん水は流れてお
らず、虚しさを感じえない。
なお、この公園では「水源の森」と称して。公園内や付近に降った水を地下の
貯水施設に浸透させ、仙川に流するように施され、子供向けの説明板を設置し
て、自然のしくみを教えている。
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この付近の橋梁は、写真の上連雀第六之橋のように数字が付与され、1から
12まで続く、(なぜか4だけ無い。)
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上連雀4丁目で、仙川は再び暗渠となる。
その暗渠となる場所には、大きな除塵機が設置されている。
川を流れてきたゴミはこの除塵機で取り除かれ、暗渠内に入り込まないよう
に対策されている。
水流が無いので、当然のことながら稼動していない。
(以前は水門が設置されていた)
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暗渠となった仙川は南へと向きを変える。
その暗渠沿いには、禅林寺が建っている。
元は明暦の大火の翌年の万治元年(1658)、被災者であった神田連雀町の
住民がこの地に移住させられ、村民が浄土真宗本願寺派の寺院を建立した。
しかし、元禄12年(1699)の台風により倒壊、村方一同の協議を経て幕府へ
願い出て、梅嶺道雪禅師により、黄檗宗霊泉山禅林寺として翌年に開山した。
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禅林寺は太宰治の墓があることで有名、毎年6月19日の桜桃忌前後には、太
宰ファンで墓前には多くのサクランボが供えられる。
なお、太宰の墓の向かい側には森鴎外の墓もあるが、こちらは閑散としている。
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禅林寺に隣接して三鷹八幡大神社がある。
禅林寺の由緒同様、明暦の大火により移住してきた農民が、連雀村の名主松井
治兵衛を中心として幕府に懇願、寛文4年(1664)に創建された。
禅林寺は八幡大神社の別当寺(神社を管理するために置かれた寺)であったが、
明治元年(1868)の神仏分離令により分離された。
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なお、この地域の連雀という地名は、移住前の神田連雀町(現在の千代田区神
田須田町付近)から名づけられたという。

仙川は下連雀7ー17付近で再び開渠となる。
クランクの連続で、下連雀のマンションなどの建物の間を抜けていく。
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人見街道が架かる野川宿橋より、仙川の様子は一変する。
川には水が流れ、川辺には緑の草が生い茂る。
但し、この水は水循環施設により、仙川樋口取水場(中央高速との交差地点の
手前にある)からここまで約1,6kmをポンプにより送水、流しているものである。
(流水場所は写真左下)
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また、今までは場所によっては迂回を強いられながら、仙川を追ってきたが、
この先に遊歩道が設置され、一部区間を除いて野川との合流地点まで仙川
沿いを歩くことができる。

しばらく進むと、川の左岸に勝淵神社が見えてくる。
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創建年代は不詳だが、由緒については境内にある由来碑より引用しよう。

天正11年(1583)織田信長の重臣柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄城
に於て自刃したが、その折、孫の権六郎(三才)に愛用の兜を与え郎党を供
に、上野国の外祖父日根野高吉の元にのがす。権六郎十六才にして元服、柴
田三左門勝重と名乗る。
慶長4年(1599)徳川家康は勝重を召し出し、上野国群馬・碓氷両郡のうち
二千石を与える。
慶長5年(1600)勝重は関ヶ原の戦いに初陣、更に慶長19年(1614)大阪
冬の陣、翌年元和元年(1615)大阪夏の陣に従軍し、その戦功により武蔵国
多摩郡上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)その他合わせて五百石を加
増される。
上仙川村に入村した勝重公は村の中ほどの台地(現島屋敷)に陣屋を建て住
居とし、それより北方の台地水神の森に社殿を建立し、その傍らに祖父勝家
公より与えられた黄金の兜を鎮めて、神霊とし、社号を勝淵明神とした。
以来四百年、当社は村の鎮守として村民の崇敬の念篤く代々の氏子会により
護持されている。


その勝家の兜を鎮めた場所は本殿の脇にあり、兜塚と称されている。
戦後の一時期に荒廃したため、昭和63年に再建したという。
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勝淵神社の南に丸池公園がある。
最初に記したように、丸池はかつての仙川の源頭水源とも言われ、また仙川
の由来(千釜)の地ともされている。
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仙川の治水工事による河床の掘り下げで地下水位が低下し、湧水も枯渇した。
そのため昭和40年代には丸池も埋め立てられたが、昭和50年代以降、住民
により復活のためのワークショップが活発化し、平成12年に池が復活した
という。
現在は地下水をポンプによって揚水して丸池に導水、池の水は仙川へと流れ
出ている。

中央高速の下を通り抜け、南東方向へ蛇行しながら進んでいく。
野川宿橋以北の仙川と同じ川とは思えず、流れる水を見ながら、軽快に歩み
を進めることができる。
この辺りで調布市に入る。
仙川といえば、その街や駅は調布市であるが、実は調布市内を流れるのは甲
州街道までの僅かな区間だ。
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川の右岸沿いにある東部水再生センターから下水処理水が放流されている。
流れ出る水の量は多く、この先、流量は倍増するような感じだ。
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弁天橋を右へ数十メートルほど行ったところに、下仙川弁天坂庚申塔がある。
建立は宝永元年(1704)、青面金剛と三匹の猿が刻まれている。
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川の反対側、弁天橋の北にあるのが、仙川八幡神社
創建年代は不詳だが、江戸期には旧下仙川村と旧北野村の鎮守社であったという。
大正6年(1917)、下仙川の巌嶋社、下仙川の代官田神社を合祀した。
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さらに歩いていくと甲州街道と交差、続いて京王線の鉄橋が見える。
京王線の仙川駅からは、新宿方面へ500mほど向かった地点である。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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