浜町川

浜町川は千代田区岩本町3丁目付近で神田川から分かれ、南東方向に流れ、清洲橋
の下流付近で隅田川に合流(正確にはその手前の箱崎川に合流・・・後述)していた
掘割である。
『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』(之潮刊)によると、元和年間(1615~23)
現在の東日本橋3丁目付近まで開削、その入堀は元吉原遊郭を囲む水路として利用
された。
その後元禄4年(1691)には延長・開削されて竜閑川とつながり、さらに明治16
年(1883)には神田川まで延長される。
しかしながら、竜閑川と同様、戦後の残土処理のために昭和25年(1950)、小川
橋以北が埋め立てられ、昭和49年には残りの部分も埋め立てられ消滅した。

昭和通りが架かる神田川の和泉橋の下流側300メートルほどの場所にに、浜町川
の旧水門がある。
この付近の神田川両岸にはビルが立ち並び、近距離から見ることができないのが惜
しい。
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神田川右岸の道を通り分流地点に行くと、南東方向へと建物が連なり、ビルとビル
との間に空間がある。浜町川跡はこんな空間として残っているのだ。
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靖国通りの大和橋交差点(交差点名に浜町川の旧橋名が残る)を過ぎると、歩行者
道が始まる。
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歩行者道はその先、龍閑児童公園の東側を通る。
ここが竜閑川との接続点、前述の通り、ここまでが明治期以降の開削区間という
わけだ。
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その先、東京都下水道局の看板もあり、ここがかつて堀であったことを再認識させ
られる。
ちなみに浜町川跡のこの道の下には、今も馬喰町幹線という下水道幹線が埋設され
ている。
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日本橋富沢町に入ると、川跡沿いに飲食店などの商店が軒を連ねる一画がある。
この辺り、明治期には、東側を「東緑河岸」、西側を「西緑河岸」といい、小舟に
よる水運でにぎわったらしい。
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通路沿いにある駐車場の脇に石垣があった。
かつての浜町川の護岸跡であろうか。
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さて、ここで周囲の神社を巡ってみる。
神田・日本橋界隈には稲荷神社が実に多い。数百メートル、いや数十メートルほど
歩くと、稲荷神社が見つかるほどである。
そんな中から、浜町川周辺の神社をいくつか紹介してみよう。

まずは富沢稲荷神社、創建年代は不祥、元々は巴熊稲荷神社と称したが、戦後
の昭和25年(1950)に元弥生町・新大阪町・元浜町の三ヶ所の稲荷神社が合祀
され、富沢稲荷神社と称したとのこと。
周辺の町の稲荷と合祀して、富沢稲荷神社となったらしい。
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次は三光稲荷神社
中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者関三十郎が伏見より屋敷内に勧請
したとされ、元禄2年(1689)の『江戸惣鹿子』に記載されていることから、
創建はそれ以前とされる。
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古くから猫族守護神として敬われ、「三光稲荷参道」と記されている石碑は、昭和
29年、三島徳七東大教授夫妻の飼い猫が行方不明となった際に祈願、3ヶ月後に
戻ってきた御礼として建てられたそうだ。
今でも、愛猫家が迷い猫の祈願として招き猫などを供えている。

三光稲荷神社から南東へ100メートルほど行くと、橘稲荷神社がある。
橘稲荷は御殿山にあったものが、後に江戸城内へ移り、さらに江戸の名医、岡本玄
冶(1587~1645)に賜って当地へ移されたと説明板に記載されている。
岡本玄冶は、三代将軍家光の侍医として知られ、家光の疱瘡を全快させた功により、
この地に屋敷を拝領した。
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またこの一帯を玄冶店(げんやだな)と称し、お富与三郎で知られる歌舞伎『与話
情浮名横櫛』の舞台ともなった。(歌舞伎では、玄冶の「冶」を「治」に読み換え、
更に「源氏」に置き換えて「源氏店」として設定されている。)

なお、浜町川右岸のこの付近は、かつては元吉原と呼ばれる遊郭の地であった。
Wikipediaによれば、江戸市中の拡大により大名屋敷が吉原に隣接するようになり、
明暦2年(1656)、日本堤(現在の吉原)への移転を命ずる。
折りしも、翌明暦3年、明暦の大火により消失し、新吉原へ移転していく。

さて、浜町川に戻ろう。
久松警察署の脇にあったのが小川橋、この橋の由来については、次のような話
が残っている。
明治19年(1886)、馬喰町でピストル強盗事件が発生し久松警察署の小川佗吉郎
巡査は現場に急行する途中、不審な男を発見、格闘の末に逮捕する。
犯人は清水定吉といい、当時10年にわたり、ピストル、日本刀で80余りの事件
を起こし、5人を殺害する凶悪犯であった。
残念ながら小川巡査はこの格闘による傷で1年半後にこの世を去る。
小川巡査の功績を讃え、橋の名を小川橋としたという。
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その小川橋を左に行ったところに笠間稲荷神社東京別社がある。
茨城県の笠間稲荷神社の分社で、安政6年(1859)、笠間藩主の牧野貞直が自邸
内に分霊を奉斎し建立したといわれる。
また、寿老神を祀り、日本橋七福神の1つとされている。
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小川橋の下流、竃河岸(へっついかし)と呼ばれる南西に分かれる水路が人形町
通りまで延びていた。
竃とはかまどのことで、竃造りの職人が多く住んでいたことから名付けられた。
古くは元吉原遊郭を囲む一画を成し、蛎殻銀座ができてからは、原料や資材の輸
送路として利用されていたという。
水路の軌跡は道路や建物間の通路として残る。
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ここで、その蛎殻銀座について触れておこう。
銀貨の製造所としての銀座は、慶長17年(1612)に今の銀座2丁目の場所に置か
れていたが、寛政改革の一つである銀座制度の大改正のために、寛政12年(1800)
6月、一旦廃止された。
同年11月、改めて人形町に幕府直営の度合いを強めた銀座が発足、明治2年
(1869)に新政府の造幣局が設置されるまで存続した。
人形町通りと甘酒横丁の交差点には蛎殻銀座の説明板が設置されている。
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その先、浜町川の跡は、道路に挟まれた浜町緑道として整備されている。
その緑道の途中、蠣浜橋(かきはまばし)跡には、弁慶像が建てられている。
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350年ほど前、人形町界隈には江戸三座といわれる芝居小屋のうち、市村座と
中村座の二座が歌舞伎を上演しており、そのほか浄瑠璃の芝居小屋もあって、
庶民の人気を集めていたという。
また人形の製作・修理にあたった人形師たちはこの周辺に住んでいた。
現在もこの近隣には明治座があり、時代劇などの公演が日々開催されている。

新大橋通りを渡った先(交差点には中之橋という橋があった)は、首都高速の
浜町ランプの出路となっている。
その出路の下にも遊歩道が続く。
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やがて右側に有馬小学校が見えてくる。
有馬小学校と、小学校に隣接する蛎殻町公園一帯は、江戸時代、松平三河守
(津山城藩主)の下屋敷があった。
その後、京都出身の豪商、杉村甚兵衛氏の屋敷となり、関東大震災時には、
庭園に難を逃れて助かった人々もいたという。
公園には築地塀と門構えが造られ、往時を偲ぶように施されている。
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公園の南側には首都高速6号線が通っているが、以前はここに箱崎川という
隅田川から分かれる河川があった。この少し上流で隅田川から別れ、首都高
のルートを通り日本橋川に達する、延長1kmほどの河川である。
首都高建設に伴い、昭和46年(1971)に埋め立てられた。

ということは、浜町川としての河川はここまでなのだが、せっかくなので、
隅田川まで辿ることにする。
浜町川の延長上には、箱崎川と隅田川を結ぶ100mほどの水路(箱崎川支流
があった。
その箱崎川支流の地には、今は東京都下水道局の箱崎ポンプ所があり、その
脇の道路もそこだけ盛り上がっていることがわかる。
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また、この北東側、隅田川・箱崎川そして箱崎川支流に囲まれた地域には、
かつて中洲があり、今も日本橋中洲という地名となっている。
この中洲には、次のような歴史がある。
昔は葦が生える中洲であったが、田沼意次が幕政を掌握していた安永元年
(1773)、箱崎川が埋め立てられ中洲新地という歓楽街ができる。
しかしながら、意次失脚後、代わって実権を握った老中松平定信により寛
政の改革が行われ、緊縮財政・風紀取締りのもと、寛政元年(1789)に取
り壊され、葦の茂る浅瀬へと戻った。(隅田川上流で洪水が頻発したこと
も理由の1つにあるらしい)
中洲が再度埋め立てられたのは明治19年(1886)のことである。

そして隅田川に到達、清洲橋のやや下流に水門がある。
ただしこの水門は川からの流出口というわけではなく、川沿いにある箱崎
ポンプ所から雨水を放流するものであるらしい。
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※ この記事の作成にあたっては、歩き旅応援舎のウォークイベントに参加
  ご案内いただきました。


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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