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竜閑川

かつて日本橋川から分水していた竜閑川を辿ってみた。
(「龍閑川」とも表記するが、この記事では「竜閑川」と表記する。但し固有名詞
 として「龍」の字が使用されている場合はそれに従う)

竜閑川は、元禄四年(1691)に開削された掘割であり、当初は神田堀、銀堀(しろ
がねぼり)、神田八丁堀などと呼ばれていた。
明暦の大火(1657)の後、防火対策のために土手を築き、その後、町人たちが自ら
資金を調達して開削したという。
安政4年(1857)に一度は埋め立てられるが、明治16年(1883)、浜町川の神田
川方面での開削に伴い、再度開削される。
しかしながら、昭和25年(1950)、戦後の残土処理のため、再び埋め立てられ、
現在に至る。

江戸期には浜町川は神田川に通じておらず、竜閑川は現在の龍閑児童公園の地で
南南東に向きを変え、新堀となって隅田川に注いでいた。
今回の記事では向きを変える前までの区間を記載することとし、その先は浜町川の
項で扱うこととする。

日本橋川に架かる鎌倉橋から下流方向を望むと、その左岸に水門を見ることが
できる。
2014-01-11_3.jpg

こちらは鎌倉橋脇の説明板に掲載されている安政3年(1856)の江戸の古地図、
日本橋川(「御堀」と表記)から竜閑川が分かれている。
2014-01-11_7.jpg

分岐場所にあったのが龍閑橋、外堀通り沿いにかつての橋の欄干が保存されて
いる。
大正15年(1926)に架け替えられた、日本で初めての鉄筋コンクリートトラ
ス橋である。
2014-01-11_13.jpg
竜閑川という川名は、この橋に因んで名付けられたものだという。
また、「龍閑」という名については、龍閑川の西側にあった町に、旧幕府坊主
(殿中接待役)の井上龍閑の家があったことに由来する。

竜閑川の川筋は、ビルの間の小路に残り、北東へとのびている。
数百メートルほど進むとJR線のガードをくぐる。
ちょうど神田駅の南側に位置し、ガード下には数軒の酒場が軒を連ねる。
なお、この竜閑川跡の道が千代田区と中央区の区界となっている。
2014-01-11_16.jpg

JR線を越した先、南側に白旗稲荷神社がある。
創建は不詳、日本橋本石町三丁目周辺、かつては福田村と称し、その福田村
の鎮守社として祀られていたという。
また、白旗稲荷とは、源義家が奥州征伐の際、白旗を社頭にたて祈癒したこ
とにより称されているものだ。
2014-01-11_19.jpg

中央通りと交差する場所のあったのが今川橋
当時地元町人の代表であった名主、今川善右衛門の姓をとり、今川橋と名づ
けられたという。
また焼き菓子の今川焼の名も、この橋の近隣で売り出されたことに由来する。
2014-01-11_26.jpg

江戸名所図会に描かれた今川橋。
日本橋から北方に向かう街道において、日本橋を発ち初めて渡る橋が、この
今川橋であった。
今川橋2
                      (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

今川橋から日本橋方面に百メートルほど行ったところに、石町(こくちょう)
時の鐘があった。
もとは江戸城西の丸にあった城鐘が、寛永3年(1626)にこの地に移された
もの。
江戸の時鐘としては最初のもので、その後、浅草・本所・上野・芝・市谷・
目白・赤坂・四谷などにも設けられた。
この場所には説明板があるのみだが、宝永8年(1711)に鋳造された鐘が、
近くの十思公園(後述)に移設、保存・展示されている。
2014-01-11_51.jpg

竜閑川をさらに歩いていくと、右側に赤い鳥居の福田稲荷神社がある。
神社によって建てられた説明板の記載には、和銅4年(711)に伏見より分社
して福田村に鎮座したとある。
2014-01-11_41.jpg

昭和通りと交差する場所にある地蔵橋公園には、竜閑川埋立記念碑がある。
2014-01-11_42.jpg

その先、人形町通りに出たところで再び右(南東方向)へと寄り道をする。
そこにあるのは伝馬町牢屋敷跡、現在は大安楽寺や十思公園などとなっている。
2014-01-11_48.jpg
江戸の牢屋敷は天正年間(1573~1591)常盤橋門外に置かれたのが最初で、
延宝5年(1677)にこの地に移され、明治8年(1875)、市ヶ谷囚獄に移される
まで存続した。
かつて、牢屋敷の敷地は2618坪あったという。
廃止後、敷地は民間に払い下げられるが、さすがに牢屋敷跡とあって、買い手
がつかず、大倉財閥の大倉喜八郎と安田財閥の安田善次郎が寄進し、
明治15年(1882)に大安楽寺を創建した。
大安楽寺という名は両氏の名前から一字ずつとって、名づけられたという。

隣接する十恩公園には、安政の大獄で捕らえられ、安政6年(1859)、こ
の牢屋敷で処刑された吉田松陰の碑があり、松陰の辞世の句が刻まれている。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも とどめおかまし 大和魂

2014-01-11_53.jpg
なお、先に述べた石町時の鐘が保存されているのが、この公園内である。

再び、竜閑川跡の道路に戻る。
引き続き、ビルの谷間の狭い道路を進んでいく。
2014-01-11_56.jpg

その先、龍閑児童公園に達する。
公園に隣接して建てられているのが、竹森神社
この付近に竹やぶが多く、竹につながる町、竹職人の町ともいわれ、竹藪
に因んで竹森神社としたという。
江戸七森のひとつに数えられている。
2014-01-11_62.jpg

龍閑児童公園の脇で竜閑川は浜町川に接続する。
公園内には、かつての竜閑川をイメージした石造りのモニュメントがある。
2014-01-11_148.jpg

※ この記事の作成にあたっては、歩き旅応援舎のウォークイベントに参加
  ご案内いただきました。


より大きな地図で 【川のプロムナード】日本橋川周辺マップ ‎ を表示

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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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