石神井川 5

石神井川は中板橋の北側を東進する。
川は味気ない三面のコンクリート護岸だが、川沿いには遊歩道が造られ、散策や
ジョギングを楽しむようにコースが設定されている。
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中山道(国道17号)の手前、右岸に氷川つり堀公園がある。
石神井川の旧河道を無料のつり堀として造ったもので、蛇行跡を有効利用した
ものである。
近隣の太公望が釣り糸を垂れている。
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そして旧中仙道の板橋に達する。
現在の板橋区の由来ともなった橋で、日本橋から10.642km(二里十五町三十三間)
の距離にある。
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板橋宿はこの板橋を挟んで、南の滝野川村境から北に前野村境まで約2.2kmの
長さがあり、この橋より京寄り(北側)を上宿。江戸寄りを仲宿、平尾宿と称し、
三宿を総称して板橋宿と呼んだ。
江戸名所図会(「板橋駅」)にも、この周辺が賑やかだったことが伺える。
板橋
              (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)
ここで板橋宿周辺の史跡を巡ってみる。

板橋宿の中心は仲宿であり、現在スーパーの脇に本陣跡の碑がある。
江戸から至近距離にあるため、宿泊施設というよりも、休憩施設として藩主と江戸
の家臣との謁見、送迎の場として機能していた。
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旧街道の商店街から路地を西に数十メートル入ったところにあるのが脇本陣跡
代々、脇本陣を努めていたのは飯田家の総本家であり、本陣は宝永元年(1704)に
分家の飯田新左衛門家に譲っている。
当家の南側には将軍が休息するための御茶屋が設けられており、元和~寛永期(17
世紀前半)に板橋の御林で行われた鷹狩りの際に使用されたという。
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仲宿の東側にあるのが、真言宗豊山派の文珠院幡場山大聖寺)。本陣飯田家の
菩提寺として、延命地蔵尊の境内をひろげて建立された。
開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝えられている。
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墓地内には「遊女の墓」がある。
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板橋宿は品川宿、内藤新宿や千住宿とともに、岡場所(非公認の遊里)であり、吉
原ほど金がかからず、手軽な遊び場であった。
身よりのない遊女や行き倒れなどの遺体が放り込まれ、遺体を無縁仏として葬った
寺を「投げ込み寺」といい、この文珠院もその「投げ込み寺」であったという。
ほとんどは無縁墓に埋葬されており、遊女の墓として存在するのは珍しいらしい。

川の北側、上宿に入り数分ほど歩くと右側に縁切榎がある。
江戸時代、旗本近藤登之助の抱屋敷があり、その垣根の際には榎と槻の古木が
あり、いつしかその榎が縁切榎と呼ばれるようになり、嫁入りの際にはその下
を通らなかったという。
文久元年(1861)、皇女和宮下向の際には、この榎を避けるために迂回路が作られた。
近代以降は難病や悪縁との縁を切り、良縁を結ぶとの信仰も広がり、板橋宿の名所
の1つになっている。
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話を石神井川に戻す。
板橋の下流側(右岸)には再び石神井川の旧河道があり、こちらは石神井川緑道
称する公園となっている。
人工の水流もあり、親水公園となっているようだ。
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石神井川は帝京大病院の南側を流れていく。
川沿いには桜並木が続く。
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緑橋の南、加賀西公園内に圧磨機圧輪記念碑がある。
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火薬の製法を学ぶため幕命を受け、欧州に留学した澤太郎左衛門が、慶応3年
(1867)、ベルギーで購入・持ち帰ったもの。
澤は帰国後、幕府の大砲製造所・火薬製造所の建設に加わるが、明治維新の中
で工事は中断、澤も函館へと逃走する。
新政府軍へ投降・釈放後、澤は火薬製造所建設の中心的役割を担う。
明治9年(1876)、火薬製造所(後の東京第二陸軍造兵廠・板橋製造所)として
操業を開始し、圧磨機圧輪を使用して黒色火薬が製造された。
圧磨機圧輪の動力として、石神井川からの導水路による縦軸水車が利用された。
なお、展示されている圧磨機圧輪は現物である。、
また近隣の野口研究所内などには他の火薬製造所の遺跡があるようだ。

石神井川は次第に深くなり、渓谷への入り口の感が漂う。
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この辺一帯は加賀藩下屋敷があった場所であり、現在の加賀1丁目・2丁目お
よび板橋3丁目・4丁目に及び約22万坪の広さを持つものであった。
邸内には石神井川が流れ、石神井川と千川用水の配水を利用した池泉回遊式庭
園が展開され、本国金沢の兼六園の7倍の広さがあったという。
幕末には会津藩松平容保らが園遊会に招かれ。「まるで桃源郷のようだ」と表
現している。
加賀公園内には、下屋敷跡の碑とともに築山があるが、この築山が唯一残る下
屋敷のの面影のようだ。
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さらに歩いていくと埼京線の鉄橋に達する。
埼京線の電車の走行音は鉄橋の前後、石神井川の周囲に響きわたる。
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鉄橋の数十メートル先の右岸には大きな排水口があるが、千川上水の板橋放水
路の放水口である。
対岸にある説明板には、千川上水の清流復活事業の記載とともに、その水が管
渠を通ってここに流される旨の説明が書かれている。
放流期限は平成25年3月との記載があり、その期限を過ぎているが、なぜか
僅かながら現在でも水流が確認できる。
近隣の谷端川下水道幹線からの流れなのかもしれない。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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