石神井川 4

石神井川がとしまえんから出てきた中之橋から、数百メートルほど南に行くと、
田島山十一ヶ寺練馬十一ヶ寺)がある。。
浅草田島町にあった誓願寺の塔頭寺院が、関東大震災の後、この地へ移転した
もので、仁寿院、迎接院、本性院、得生院、九品院、林宗院、称名院、受用院、
仮宿院、宗周院、快楽院の11の寺院が軒を連ねる。
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左の奥にある九品院には蕎麦食地蔵があり、次のような言い伝えがある、
毎夜、そばを食べに来る高貴な僧がいた。蕎麦屋の主がその僧の正体をつきとめ
ようと後を追うと地蔵堂の中に消えた。
その夜、枕元に地蔵のお告げがあり、毎日のそばの礼と一家の安全を約束された。
そのため、後年、江戸に悪疫が流行した際も、一家は無事息災であった。

石神井川に戻り、さらに下流へと足を運ぶ。早宮の住宅街の中を東へ進む。
この辺りからは、また川沿いに遊歩道が続く。
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糀谷橋の脇には堰婆さんのクロマツという木が立っている。
石神井川の堰守り婆さんが住んでいた所で、婆さんは蛇になったと伝えられ、
後に住居跡に祠が建てられ、人々が咳止めのお参りをするようになったと言
われている。
「ねりまの名木」に指定されている。
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次の大橋には不動明王座像敷石供養搭がある。
大橋に架かる道は田中道と呼ばれた旧道で、埼玉道からふじ大山道(現富士
街道)に至る道であった。
不動明王座像は文政4年(1821)、旧下練馬村早淵の念仏講中が建立したも
ので「不動明王を造立し奉り村人の安全を祈る所」と刻まれている。
また、向かって右側の敷石供養搭は寛政4年(1792)に建立されたもので、
梵字と「建立し奉る鋪石供養搭」という文字が刻まれている。
言い伝えによれば、ここで大山詣での人々が禊を行ったという。
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その先、右岸には臨済宗大徳寺派の円満山広徳寺がある。
北条氏政の子、岩槻城主太田氏房が明叟和尚を小田原に招き、早雲寺の子院
として開山したのが創建で、小田原城落城(1590)の際、焼失したと伝えられて
いる。
その後、徳川家康が二世希叟和尚を江戸神田に招き再興、寛永12年(1635)
には下谷に移り、加賀前田家をはじめ諸大名を檀家とする江戸屈指の大寺院
となった。
関東大震災により消失、大正14年(1925)からこの地に墓地を移し、別院とした。
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柳生宗矩、三厳(十兵衛)父子をはじめとして、大名、学者、文人の墓所が
数多くあるが、門前には「拝観謝絶」の札があり、残念ながら内部に入るこ
とはできない。

続いて右岸には高稲荷公園があり、その公園に接して高稲荷神社がある。
文政5年(1822)頃、下練馬村三軒在家の守護神として、勧請されたものと
推定されている。
この高稲荷神社には大蛇伝説があり、その伝説によると、公園付近はその昔
大きな沼で、そこに住む大蛇によって沼に沈められた若者の霊を慰めるため
に建てられたといわれている。
なお、公園は石神井川の蛇行の跡で、昭和初期の改修の際に埋め立てられた
という。
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石神井川は地下鉄氷川台駅の南側を流れていく。
川の南にはお浜井戸の碑がある一画がある。
ここは氷川神社発祥之地であり、長禄元年(1457)、足利成氏との戦の途上、
渋川義鏡が下練馬で石神井川を渡ろうとした際に、淀みに湧き出る泉を発見、
須佐之男尊を祭り武運長久を祈ったことに始まるという。
残念ながら、この湧水池は付近の都市化により、次第にゴミ捨て場となり、昭
和43年(1968)に埋め立てられてしまった。
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川は北東へと蛇行し、その先、都立城北中央公園が左岸に広がる。
公園内には栗原遺跡があり、竪穴式住居が復元されている。
昭和30年、立教大学がこの地に総合グランドを建設中に発見された遺跡で
旧石器時代から平安時代にかけての住居跡が発見された。
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この城北中央公園内で練馬区から板橋区に入る。
桜橋の橋詰で田柄川が合流する。
田柄川は光が丘付近を水源として、此処に至る支流で、途中、田柄川緑道として
整備されている区間もある。
明治4年(1872)、玉川上水から田無用水を経由した田柄用水が開削され、土
支田、上練馬、下練馬などの各村の水田を潤すこととなった。
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その先、北側には真言宗豊山派の安養院がある。
正嘉元年(1257)に、北条時頼が諸国行脚のみぎり、持仏「摩利支天」をこ
の地に安置し一宇を建立したことに始まるという。
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安養院から東へ数百メートルほど行くと、東新町氷川神社がある。
創建年代は不明だが、文政6年(1823)の「上板橋村書上帳」には記載があり、
江戸時代にはすでに旧上板橋村の鎮守として当地に鎮座していたと考えられる。
なお。江古田駅北口にある富士塚で有名な浅間神社は、当社の場外末社である。
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環七を越え、耕整橋の脇では右岸からエンガ堀が合流する。(全区間暗渠)
練馬区旭丘と豊島区南長崎の区界付近で千川上水から取水し、ここに至る。
途中、江古田駅北方の浅間神社付近の湧水からの流れや武蔵野病院付近からの
支流を合わせる。
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この付近の橋梁は個性あるデザインのものが多い。
都市河川に架かる橋はほとんど特徴がなく、単純な構造なものが多いが、
風変わりな橋梁を見ると、心が和む。
下の写真は山崎橋。
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川越街道を過ぎ、その先、旧川越街道にかかるのが下頭橋(げとうばし)。
寛政10年(1798)近隣の村々の協力を得ることで石橋に架け替えられ、それ
までひんぱつした水難事故も跡を絶ったという。
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橋名の由来については諸説があり、旅僧が地面に突き刺した榎の杖がやがて芽
を吹いて大木に成長したという逆榎がこの地にあったからという説、川越城主
が江戸に出府の際、江戸屋敷の家臣がここまで来て頭を下げて出迎えたからと
いう説、そして橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋
が架け替えられたからという説がある。
橋詰にある六蔵祠は、三つ目の説の六蔵の道徳を讃えて建てられた。
橋と六蔵祠は板橋区登録記念物に認定されている。

下頭橋の先、東武東上線の橋梁が見える。
東上線は中板橋~常盤台間で、石神井川を越えている。
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《参考文献》
『ふるさと練馬探訪』 練馬区立石神井公園ふるさと文化館編
『ねりまの川 -その水系と人々の生活-』 ねりま区報


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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