野川 4

京王線との交差を過ぎると、野川は住宅や団地の間を抜けていく。
この先、小金橋付近からは旧野川は南へと進み、狛江市役所方面へと向かい、
六郷用水と合流していた。現流路とはかなり離れる。
旧野川は浸水被害がひどく、特に昭和41年の台風4号では600戸以上の
床上浸水の被害を出し、それを機に野川の改修が進んだという。
(『六郷用水1』参照)
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小足立橋の先で、左岸から入間川(いりまがわ)が合流する。
入間川は深大寺東町8丁目付近を源流とし、つつじヶ丘付近を経由して、当地
へ至る5kmほどの支流、三鷹市内では中仙川という別名もある。
上流部は暗渠で、開渠となるのは甲州街道以南である。
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谷戸橋から世田谷区に入る。
左岸のは野川緑地広場、右岸にはたみふれあい広場が広がる。
また左岸は成城という地名柄のためか、高級マンションも見られる。
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野川緑地広場内にはトラストまちづくりビジターセンターがある。
世田谷の自然環境や歴史的・文化的環境の保全やまちづくりを目的とする
一般財団法人世田谷トラストまちづくりによる施設である。
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館内では野川に棲息する魚を展示する水槽があるほか、野川をはじめとする
河川関係などの書籍の所蔵も充実している。

右岸には小田急線の喜多見検車区が見えてくる。
複々線化事業の一環として1994年の開設されたもので、その上部は人工
地盤となって、きたみふれあい広場となっている。
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左岸の崖線には成城みつ池の湧水があり、そこからの小さな流れが合流する。
成城みつ池は特別保護区となっており、年数回行われる観察会以外は、残念
ながら一般非公開となっている。
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小田急線と交差する手前、左岸に喜多見不動堂がある。
入口には湧水を利用した滝があり、滝不動が祀られている。
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滝の横の階段を上っていくと本堂がある。
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この不動堂は喜多見慶元寺の境外仏堂で、創建は明治9年(1876)、村内
安全、諸難消除、各願成寿のため、喜多見の住人らがこの地に建立したも
のとされる。
本尊は不動明王座像で、明治の初めの多摩川大洪水の時、喜多見河原に流
れ着いたものを成田山新勝寺で入魂したものと伝えられている。
かつては滝で、信者が水行したともいう。

小田急線を過ぎ、その後世田谷通りと交差して、更に南東方向へ流れていく。
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世田谷通りから数百メートルほど行くと、右手に次大夫堀公園の入口がある。
公園内には民家園があり、江戸時代後期に作られた古民家と土蔵、納屋などを
移築復元し、展示している。
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また公園の名が示す通り、ここでは次大夫堀六郷用水)が復元されている。
稲毛・川崎領の代官であった小泉次大夫の指揮により、慶長2年(1597)から
15年の歳月をかけて開発された農業用水で、多摩川から取水して、世田谷領
(世田谷区・大田区の一部)および六郷領(大田区)へと流れていた。
また古い地形図を見ると、次大夫掘は現:狛江市役所付近で野川の旧流路と合
流し、この先の東名高速との交差付近で分かれている。
本章の冒頭でも書いたように、この辺りの野川の流路は現在とは大きく異なって
おり、その流れを現在から想像するのは難しいほどだ。
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野川に戻り更に歩いていくと、東名高速道路が見えてくる。
将来、外環道ができた際には、ここにジャンクションができるという。
この付近、今は農地が多いが、その頃には風景がガラリと変わるかもしれない。
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その東名高速の橋脚の手前、右手から清水川岩戸川)が合流する。
狛江駅西口の弁財天池を源流とする河川で、暗渠となっている。
現在は住宅地となっている岩戸南や喜多見地区を流れているが、用水路跡と思
しき多くの水路に枝分かれしており、かつて農地だったことを彷彿とさせる河川だ。
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川は緩やかに左へと曲がり、多摩堤通りと並行する。
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その先、左から野川最長の支流である仙川が合流する。
仙川は小金井市貫井北付近を源流とし、武蔵野市・三鷹市・調布市を経由する。
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支流とはいえ、野川の延長20.5kmに対し、仙川は20.9kmと僅かながら仙川
の方が長い。(但し、仙川の上流域は、大雨時以外は水が流れていない)
また、仙川は京王線の駅名ともなっており、知名度も支流の仙川に軍配が上が
るかもしれない。
仙川からの水が合流し、水量は倍近くになる。

仙川合流後の次の橋は野川水道橋
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大正12年(1923)、渋谷町営水道が、砧下浄水場(旧渋谷町立浄水場)を
造り、多摩川から取水した駒沢給水塔(弦巻二丁目)経由で渋谷方面へ給水
したことに始まる。
当初は野川の下を通していたが、昭和35年(1960)の野川改修工事の際に、
川の上を渡ることになり、水道管に併設して歩道橋が架設された。
平成18年(2006)の改修工事で、再び水道管は川下へと移設されたが、橋の
名前は元の名前を継いでいる。

川沿いには野川水道橋の説明とともに、当時の水道管などが保存・展示している。
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次の吉沢橋も、また変遷が興味深い橋である。
吉沢橋は、東急砧線(玉電)の鉄橋として、砧線の開業(大正12年(1924))
に伴い架けられた。
東急砧線は二子玉川園(現:二子玉川)-砧本村間を結ぶ約2.2kmの路面電車
で、当初は多摩川の砂利輸送も担っていた。
昭和44年(1969)に廃止されるが、現在でも同区間に代替バスが走る。
下の写真は、吉沢橋の中央に設置されている説明碑に掲載されていたものである。
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また吉沢橋から東側、二子玉川付近まで軌道跡は遊歩道となっている。

自動車学校を左に見て歩いていくと、多摩川の河川敷にグラウンドが広がって
いるのが見える。
遠くに見える橋は、新二子橋。
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野川は東急田園都市線の二子玉川駅の橋下で多摩川に合流する。
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合流地点
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Re: 野川旧流路

Kさん
(非公開でコメントを頂いたので、イニシャルで失礼します)

ご覧いただきありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

野川旧水路は、部分的には訪れていますが、全体を通しては歩いていません。
いずれ、このブログでも取り上げたいと思っていますが、なかなか実現できずにいます。

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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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