弦巻川 2

都電のガードから東へ足を進めると、左手に清龍院(清立院)が見えてくる。
正長元年(1428)頃に創建、当初は真言宗の寺院だったが、日蓮宗に改宗し
たという。
雑司が谷七福神の毘沙門天を祀る。
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清龍院は江戸名所図会にも描かれており、寺の下には弦巻川の流れも確認できる。
清龍院
清立院 日親堂 請雨松 宝城寺』 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

その清龍院の門前に、石橋碑がある。
木村家によって木橋から石橋によって架け替えられたことから、木村橋とよばれた。
石碑には享保18年(1733)の銘も確認できる。
また石碑の後に見える祠は白鳥稲荷という。
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再び、大鳥神社横から通じる道に戻る。
雑司が谷弦巻通り商店会と書かれた街路灯がある商店街となっている。
商店街沿いの通りには古い家屋なども見られ、昭和に戻ったようなノスタルジッ
クを感じさせる商店街となっている。
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弦巻川の川跡は確認できないが、この道の左奥を流れていたようだ。

道を歩いていくと、左手に黒い木の壁を持つ料亭がある。
ここは昭和の作家、三上寛(1903~1971)の旧宅跡である。
三上寛は戦後、吉川英治、徳川夢声らと共に池袋の映画館「人世坐」「文芸坐」
の経営にあたった。
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さらに道の右手のマンション入口には菊池寛旧宅跡の説明板がある。
菊池寛(1888~1948)は、「父帰る」などの小説・戯曲等を書いた作家であり、
文藝春秋の創始者、そして芥川賞、直木賞の設立者としても有名である。
昭和12年にこの地に転居、晩年までこの地で過ごした。
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このマンション先の道を右に折れると、清土鬼子母神堂がある。
前掲の鬼子母神堂の説明で記したとおり、境内には永禄4年(1561)、山村丹
右衛門が掘り出した鬼子母神像を清めたとの伝承がある三角井戸(星の井)がある。
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手前の石碑は芭蕉の句碑で、「此道に出て涼しさよ松の月」という句が刻まれ
ている。

下の絵図は江戸名所図会に描かれた星の井、中央に井戸が見える。
左側に描かれているのは弦巻川であろう。
清土星の清水
清土 星の清水』            (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

弦巻通りに戻る手前の小道に、暗渠マニアには有名な湧水が出ている古釜がある。
釜からコンコンと湧き出ている水を確認することができる。
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その釜がある小道を辿っていく。
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その先で首都高5号池袋線に突き当たり、右へ曲がる。
護国寺西の交差点を過ぎて、更に高速下を進んでいく。(講談社裏付近では通
行が不可能なため、音羽通りへ迂回する必要がある)
弦巻川はこの首都高のルートに沿うように流れていた。
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首都高下には児童遊園があり、水遊びができる人工水路も設けられているが、
かつての弦巻川をイメージして造られたものだろうか。
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江戸川橋の下流側に神田川への合流口を見ることができる。
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現在、下水幹線となった弦巻川は、手前で水窪川と合流し神田川へと合流して
いるが、古地図をみると、かつては江戸川橋の上流側で神田川へ直接流れ出
ていたようだ。
(神田川への放流は大雨による増水時のみ)


より大きな地図で 【川のプロムナード】神田川支流マップ を表示

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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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