野火止用水 3

歩道橋で川越街道を越えると、小公園があり、その中を水路が続く。
但しこの水路は人工的な水路で、親水公園となっていることから、流れる水も
先ほどまでの野火止用水の素堀を流れていたものとは異なるのだろう。
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旧川越街道を渡ると、今度は歩行者用道路が続く。
その暗渠道はJR武蔵野線の高架橋と交差し、更に北東方向へ進んでいく。
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住宅街の道路の歩道となって進む水路跡。
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やがて、野火止浄水場高架水槽が見えてくる。
児童向けのデザインが壁に描かれたユニークなものだが、Webで検索してみ
ると、老朽化および耐震の問題から、隣接地に建替えが計画されているらしい。
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遊歩道はこの高架水槽の場所でいったん終わってしまうが、新座中央通りを横
断した先で、野火止用水跡遊歩道と名づけられた遊歩道が再開する。
近隣住民への駅(志木駅)への通路となっているらしく、意外と人通りが多い。
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遊歩道は800mほど続いた後、新座市東北2-7付近で一般道にぶつかり
終了する。
この先は駅付近となり区画整理されてしまったためか、流路を辿ることはでき
ない。
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志木駅の川越寄りで東武東上線を越え、その先、志木街道の歩道にようやく用
水路跡を見ることができる。
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駅前からの県道と合流すると、その付近にいろは商店街がひろがる。
そのいろは商店街のシンボルとなっているのがカッパ、志木市には河童伝説
がいくつかあるという。
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その一つ、市内の宝幢寺に伝わる話として、以下のような伝説がある。

柳瀬川には河童が住んでいて、馬や人を襲う事件がたびたび起こっていた。
ある日、寺の小僧が川で馬を水浴びさせていると、突然、馬が川から飛び出
し、小僧が後を追いかけ馬の周りを見てみると、馬に踏まれて弱っていた河
童がいた。村人達が、河童を焼き殺そうとすると、河童は涙を流し、手を合
わせて許しを乞いた。
寺の和尚は河童の様子を見て村人に命乞いをし、河童も今後は人や馬に危害
を加えないことを誓った。
翌朝、お礼として、和尚の枕元に大きな鮒が2匹置かれていた。

この話は、民俗学者の柳田国男により、「山島民譚集」の一話として紹介さ
れ、有名になったという。

さらに道沿いには、朝日屋原薬局がある。
明治45年建築の主屋をはじめとして7棟あり、国の登録有形文化財に指定
されている。
店舗前の道路元標は旧志木町時代のものを復元したものだ。
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柳瀬川手前の市場坂上交差点付近は、かつて引又宿という宿場町があり、
その交差点脇には3つの遺跡がある。

1つめは、交差点東南にある下の水車跡(河岸の水車)、野火止用水沿い
では最も古く、玉川上水筋でも下小金井に続いて2番目に作られた水車で
あるという。
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また杵の数が14本あり、玉川上水筋では最も大きい水車であった。
文政12年(1829)に焼失したが、弘化4年(1847)の再建時には写真の
駐車場奥に移設された。

交差点の西南側にあるのが、旧西川家潜り門
江戸初期にこの地に移住、幕末には酒造業・水車業・肥料商を営んでいた
名家の西川家(志木市本町2丁目)の中庭にあった門で、平成8年の解体
に伴い当地に移設された。
建築年代は、武州一揆の刀の傷跡が扉や柱に見られることや伝承などから
慶応2年(1866)頃と推定される。
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そしてその北側にはいろは樋の大枡および登り竜の再現模型がある。
いろは樋は、野火止用水の水を新河岸川を越えて、対岸の宗岡地区に供給
するために造られた掛樋である。
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ここは、現地にある説明文を引用してみよう。

対岸の宗岡地区の大半を知行していた旗本岡部氏の家臣白井武左衛門は、
低地でありながら感慨水に乏しい宗岡地区に、それまで新河岸川にむな
しく落ちていた野火止用水の末水を引いて生産力を増大しようと考え、
宗岡地区の一部を領有していた川越藩主松平信綱の了解を得て、実行に
移すことになりました。
舟運が盛んだった当時の新河岸川を越えて水を通すには、舟の運航を妨
げないことが絶対条件でしたので、当時としては最高の土木技術を駆使
した大規模な掛樋の築設による通水の方法を考案したのです。
寛文2年(1662)新河岸川の上に長さ約260メートル、水面からの高さ約
4.4メートル、樋の幅と深さ約42センチメートルの巨大な木樋が架設され
ました。
掛樋は48個の樋をつなぎ、長さが百間以上もあることから、「いろは樋」
とも「百間樋」とも呼ばれ、当時の『江戸名所図会』にその姿が描かれて
います。
完成した掛樋は宗岡地区の水田を潤して収穫量を大幅に増大させ、地域
に大きな恩恵をもたらせてくれました。いろは樋はまさに地域発展の礎
だったのです。


こちらが上記文中にある江戸名所図会に描かれたいろは樋。
宗岡里内川
江戸名所図会 宗岡里 内川   (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

再現模型の横にはガラスケースに入ったジオラマも展示されている。
天保15年(1844)の「いろは樋絵図」に基づき、75分の1で作成
されたものだそうだ。
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そこから数十メートル歩くと、柳瀬川栄橋の脇に水門が見える。
現在の水門は柳瀬川沿いにあるものの、栄橋のすぐ下流で新河岸川
合流している。
野火止用水の終末は新河岸川と書かれているので、以前はやや下流に
あったのかもしれない。
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この記事は善福寺川リバーサイドBlogに記載したものを再編集して掲載したものです。


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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