善福寺川 3

白山前橋から和田堀公園に入る。
といっても公園が続いているため、緑地公園との境はわからず、公園の案内図
をみるしかない。(以前は小さな杭があったが)

和田堀公園に入ると善福寺川の右岸は崖地となる。
その崖の下からは湧水が川に流れ込んでいるが、東京の名湧水57選にも選ば
れている場所である。
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左岸の和田堀公園には和田堀池があり、カモなどの水鳥のほか、多くの野鳥が
集まる場所となっている。
特にカワセミは人気の的で、休日ともなると池の周りに多くのカメラマンが
集まる。
また武蔵野園という釣堀も隣接し、こちらには太公望が集まる。
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なお以前は大宮公園と称し、すぎなみ学倶楽部によれば、戦前はウォーター
シュートがある遊園地だったという。
静寂な現在の公園からは想像もできない。

公園の東側の崖上には松ノ木運動場があるが、その脇に松ノ木遺跡が保存・
展示されている。旧石器時代~古墳時代の複合遺跡であり、古墳時代の竪穴
住居も復原されている。
善福寺川の対岸には大宮遺跡、さらに下流には済美台遺跡などがあり、善福
寺川周辺が古代の人々の生活に適した場所であったことがわかる。
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善福寺川の対岸、西側には大宮八幡宮が位置する。
大宮八幡宮の創建については、杉並区教育委員会の説明板の言葉を借りると、
平安時代末、源頼義が奥州出陣の際、当地で白雲が八つ幡のようにたなびく
瑞祥をみて、八幡大神の霊威を感じ、勝利を得ることができた。この報賽の
ため、康平6年(1063)、この地に源氏の氏神である八幡神を祀ったのが
当宮の起源である。(当宮縁起による)
とある。
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杉並南部に位置する大宮八幡宮は、初詣や秋の例大祭には混雑するほどの
人を集める。

こちらは江戸名所図会に描かれた大宮八幡宮、右下に善福寺川も見える。
大宮八幡宮
                      (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

大宮八幡宮の鳥居から下った場所には宮下橋が架かる。
ここは、昭和34年3月に英国BOAC航空の客室乗務員が他殺体として
発見された場所である。
当時、民間航空機そのものが珍しい時代であり、スチュワーデスの殺人事
件として、世間の注目を浴びたのだろう。
容疑者として取調べを受けたベルギー人神父は帰国してしまい、事件は未
解決になる。
なお、事件は松本清張氏により黒い福音という題名で小説化されている。
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宮下橋を過ぎると、左岸に和田堀野球場を見ながら川は左へと曲がる。
この野球場は、調節池となっており、名称を和田堀第六号調節池という。
平成17年9月4日に起きた集中豪雨により、善福寺川・妙正寺川流域では
大規模な浸水被害が起きた。
この豪雨により、緊急整備として河川激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)
が実施された。
激特事業として護岸整備などが行われた(後述)が、ここも元々の野球場
(調節池)を更に掘り下げ、平成20年に工事を完了させた。
なお護岸整備事業は今後も更に続く予定で、現在も宮下橋上流などで行われ
ている。
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大宮橋を過ぎると、右岸に壁打ちテニス場(ここも調節池)があり、そこに
隣接して杉並区立郷土博物館がある。
古代から近代に至る杉並の歴史を展示している常設展示場のほか、寛政年間
に建てられたとされる旧篠崎家住宅主屋などが保存展示されている。
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宮木橋~大松橋間では、右岸にサトザクラ、左岸に紅白のハナミズキが植え
られ、4月中旬~下旬には見事な花をつける。
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またこの辺りでは和田堀公園の拡張が行われ、用地買収が行われた箇所から
徐々に公園化されている。常時は区民の憩いの場として、大震災などの非常
時には広域避難所として公園を拡張整備しているようだ。

善福寺川は再び舌状台地(済美山と呼ばれる)に阻まれ、北側に大きく蛇行する。
その済美山の上には大宮中学校があるほか、陸上競技トラックを持つ運動広
場がある。以前は銀行の保養施設であったが、平成24年に田堀公園済美
山運動広場
として開放・開園された。
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荒玉水道道路が架かる済美橋を過ぎると済美公園となり、そこには善福寺川
唯一の親水広場がある。(平成26年開設)
この親水エリアは護岸整備事業に伴い新たに設けられたものであるが、水が
滞留し異臭を放つまでになったため再度工事が施され、残念ながら親水性が
薄らいでしまった。
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その先、激特事業によって整備された白い護岸が続く。
以前は、上流域同様に斜面の護岸だったが、垂直護岸に変わり無機質な感じ
となってしまった。(安全のためには仕方がないが)
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本村橋の左岸、数十メートルほど入ったところに堀之内熊野神社が鎮座する。
社伝によれば文永4年(1267)に紀州の熊野三山から勧請したことにはじま
るという。
その後、北条氏綱が上杉朝興を破り江戸を攻略した際に(大永4年(1524))
社殿を修築し祝祭を行ったとか、また寛永11年(1634)にさらに修繕を加え
たという言い伝えがあり、相当の古社であることが判る。
旧堀之内村の鎮守であり、かつては北にある妙法寺が別当をつとめていた。
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環七が架かる和田堀橋手前の左岸にあるのは環状七号線地下調節池の取水口。
神田川の項で説明した通り、総延長4.5km、内径12mの巨大トンネルが環七
の下に設置されている。
善福寺川の取水施設は神田川に遅れること10年、第2期事業として平成19
年に供用開始した。
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下の写真は、平成19年当時、完成披露会時に訪問・撮影したものである。
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環七を過ぎると、川の左右に立正佼成会の敷地があり、大聖堂、法輪閣、普門
館などの建物が立ち並ぶ。
写真の大聖堂は1964年に建設されたユニークな建造物である。
また、普門館は全日本吹奏楽コンクールが開かれ、「吹奏楽の甲子園」として
親しまれている。
(但し耐震性の問題により、2012、13年は代替地に変更)
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その先、左岸に東京都下水道局の和田ポンプ施設がある。
善福寺川の北に並行する本郷通りの地下50mに和田弥生幹線と称する雨水貯
留管が設置されている。
前述の環七地下調節池は河川に流れる水を一時的に貯留する施設であるのに対
し、和田弥生幹線は川沿いの低地に降った雨水を貯留する施設である。
そのため前者は建設局、後者は下水道局の管理となっている。
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総延長2.2km、内径8.5mと環七地下調節池に比べると小規模ではあるが、貯留
量は15万立方メートルあり、周辺地域の浸水被害防止に貢献している。
写真は先日開かれた見学会において撮影した和田弥生幹線の本管である。
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和田ポンプ施設から数百メートルほど歩くと、善福寺川は神田川に合流する。
合流地点の対岸にあるのは東京メトロ丸ノ内線の中野車両基地。
続けて神田川沿いに数分ほど歩くと、丸ノ内線の中野富士見町駅に達する。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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