仙台堀川 1
小名木川と隅田川を結ぶ仙台堀川を追った。
仙台堀川は寛永年間(1624~44)に開削されたとされ、江戸期は隅田川と
横十間川(大横川~横十間川間は十間川の別名で称される)を結ぶ水路
であった。
名前の由来は隅田川にほど近い上ノ橋北岸一帯に仙台藩の蔵屋敷があ
ったことによる。
江戸時代、仙台堀川は貯木場として、また木場への材木輸送路として使
用された。
一方、小名木川から横十間川までは砂町運河として東京運河土地株式
会社により開削された。
大正11年(1922)小名木川から東砂七丁目付近までの南北の一線が、
その後、昭和8年(1933)に横十間川合流点までの区間が完成した。
民間の手による運河として珍しいものであったが、戦後の昭和23年
(1948)に東京都に移管され、砂町川と称した。
昭和40年(1965)の河川法改正により砂町運河は仙台堀川の一部となった。
なお、昭和55年に埋め立てられ、現在は小名木川から横十間川まで
の3.7kmの区間は仙台堀川公園として親水公園化されている。
さて今回は小名木川からの分岐点をスタートとし、隅田川へ向かって
紹介することにしよう。
まずは小名木川との分岐点、現在、特に分岐していたことを示すものはない。

ここから仙台堀川公園が始まる。
大横川交差地点手前まで、延長3700mほどある長い公園である。
公園には自転車道が続き、そこを行き交う自転車も多い。
大島や砂町などの街々への移動手段として利用されているのであろうか。
一般道を進むよりは安全で快適なのがよい。

区道を横断すると左手に水路が出現する。
堀というよりは貯水路という感じで流れはない。

ここで一旦公園を離れ、東側にある二軒の寺院を訪れてみる。
まずは日蓮宗の最勝山上妙寺、元和年間(1615~24)、大和国平方村
出身の萩兄弟がこの地を開墾、萩新田と称した。
寛永2年(1625)萩兄弟は一寺を建立、日財上人を迎え開山した。

門前には文化10年(1813)、神田小柳町(現千代田区須田町)の商人
三名により建立された鬼子母神道道標が建っている。
上妙寺境内には鬼子母神堂があり、道標は小名木川沿いに建っていたが
昭和三十年代に当地へ移設されたという。

その南には真宗大谷派の大護山因速寺がある。
こちらは元和9年(1623)に京橋竹町に建立、その後木挽町(現中央区銀座)、
黒江町(現江東区永代)を経て昭和2年(1927)当地の再建された。

仙台堀川公園へ戻り更に南へと進む。

旧境川橋の先には砂町魚釣場があり、近隣の太公望の憩いの場となっている。

更には園内に旧大石家住宅が展示されている。
江戸時代後期の住宅とされ、安政の大地震や関東大震災などの災害に
耐えてきたようだ。
区内最古の住宅として江東区の有形文化財に指定され、平成8年に移
設復元された。

旧大石家住宅のすぐ先で、仙台堀川は90度西へと向きを変える。

曲がったところに砂町運河の説明板があるので、読んでおきたい。
(冒頭の説明はこの説明板から要約)
こちらはその説明板に掲げられていたかつての砂町運河の写真。

西に向きを越えた先も南に沿って水路が続く。

こちらは潮入りの池と名付けられた小さな池。

明治通りの旧弾正橋の下をアンダーパスで潜る自転車道。

その先JRの貨物線である越中島支線と交差する。
線路下の遊歩道は浮橋となっている。
なお線路沿いには仙台堀川公園から分岐するような形で南砂線路公園
という公園が続いている。

旧弾正橋の次の松島橋では親柱が残る。

尾高橋付近では親水化が推し進められた構造となっている。

こちらは公園内に保存されている尾高水門の部品。
かつてこの辺りにマイターゲート式(両開き式)の水門があったという。

北から流れてきた横十間川と交差する。
前述の通り、砂町運河として開削された区間はここまででである。

《参考資料》
『川の地図辞典 江戸・東京23区編』 菅原健二著/之潮

仙台堀川は寛永年間(1624~44)に開削されたとされ、江戸期は隅田川と
横十間川(大横川~横十間川間は十間川の別名で称される)を結ぶ水路
であった。
名前の由来は隅田川にほど近い上ノ橋北岸一帯に仙台藩の蔵屋敷があ
ったことによる。
江戸時代、仙台堀川は貯木場として、また木場への材木輸送路として使
用された。
一方、小名木川から横十間川までは砂町運河として東京運河土地株式
会社により開削された。
大正11年(1922)小名木川から東砂七丁目付近までの南北の一線が、
その後、昭和8年(1933)に横十間川合流点までの区間が完成した。
民間の手による運河として珍しいものであったが、戦後の昭和23年
(1948)に東京都に移管され、砂町川と称した。
昭和40年(1965)の河川法改正により砂町運河は仙台堀川の一部となった。
なお、昭和55年に埋め立てられ、現在は小名木川から横十間川まで
の3.7kmの区間は仙台堀川公園として親水公園化されている。
さて今回は小名木川からの分岐点をスタートとし、隅田川へ向かって
紹介することにしよう。
まずは小名木川との分岐点、現在、特に分岐していたことを示すものはない。

ここから仙台堀川公園が始まる。
大横川交差地点手前まで、延長3700mほどある長い公園である。
公園には自転車道が続き、そこを行き交う自転車も多い。
大島や砂町などの街々への移動手段として利用されているのであろうか。
一般道を進むよりは安全で快適なのがよい。

区道を横断すると左手に水路が出現する。
堀というよりは貯水路という感じで流れはない。

ここで一旦公園を離れ、東側にある二軒の寺院を訪れてみる。
まずは日蓮宗の最勝山上妙寺、元和年間(1615~24)、大和国平方村
出身の萩兄弟がこの地を開墾、萩新田と称した。
寛永2年(1625)萩兄弟は一寺を建立、日財上人を迎え開山した。

門前には文化10年(1813)、神田小柳町(現千代田区須田町)の商人
三名により建立された鬼子母神道道標が建っている。
上妙寺境内には鬼子母神堂があり、道標は小名木川沿いに建っていたが
昭和三十年代に当地へ移設されたという。

その南には真宗大谷派の大護山因速寺がある。
こちらは元和9年(1623)に京橋竹町に建立、その後木挽町(現中央区銀座)、
黒江町(現江東区永代)を経て昭和2年(1927)当地の再建された。

仙台堀川公園へ戻り更に南へと進む。

旧境川橋の先には砂町魚釣場があり、近隣の太公望の憩いの場となっている。

更には園内に旧大石家住宅が展示されている。
江戸時代後期の住宅とされ、安政の大地震や関東大震災などの災害に
耐えてきたようだ。
区内最古の住宅として江東区の有形文化財に指定され、平成8年に移
設復元された。

旧大石家住宅のすぐ先で、仙台堀川は90度西へと向きを変える。

曲がったところに砂町運河の説明板があるので、読んでおきたい。
(冒頭の説明はこの説明板から要約)
こちらはその説明板に掲げられていたかつての砂町運河の写真。

西に向きを越えた先も南に沿って水路が続く。

こちらは潮入りの池と名付けられた小さな池。

明治通りの旧弾正橋の下をアンダーパスで潜る自転車道。

その先JRの貨物線である越中島支線と交差する。
線路下の遊歩道は浮橋となっている。
なお線路沿いには仙台堀川公園から分岐するような形で南砂線路公園
という公園が続いている。

旧弾正橋の次の松島橋では親柱が残る。

尾高橋付近では親水化が推し進められた構造となっている。

こちらは公園内に保存されている尾高水門の部品。
かつてこの辺りにマイターゲート式(両開き式)の水門があったという。

北から流れてきた横十間川と交差する。
前述の通り、砂町運河として開削された区間はここまででである。

《参考資料》
『川の地図辞典 江戸・東京23区編』 菅原健二著/之潮


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