玉川上水 6

三鷹駅の構内通路を渡って、南口に廻るとそこから再び玉川上水の開渠が始まる。
そこに架かる三鷹橋には、かつての橋梁の欄干と古井戸が保存している。
旧橋は昭和32年(1957)の架橋で、構造材の一部に鉄道のレールを活用して
いたが、駅前広場の拡張に伴い、平成17年(2005)に架け替えられ、保存さ
れたものだという。
130502_0167.jpg

南口から上水沿いに風の散歩道という道路が続く。
その途中に玉鹿石という石が置かれているが、ここが昭和23年(1948)に
太宰治が入水自殺したと言われる場所だ。(正確な場所は不明)
遺体の発見は、入水の1週間後、下流の新橋付近であった。
130502_0173.jpg
なお、この玉鹿石は太宰の故郷、青森県金木町から取り寄せたものだそうだ。

井の頭公園の手前、右岸には山本有三記念館がある。
ここは『路傍の石』などの著作で有名な山本有三が昭和11年(1936)から
進駐軍に接収される21年(1946)まで居住した洋館。
有三はここで『路傍の石』を執筆した。
130502_0178.jpg

玉川上水はその先、井の頭公園の中へと入る。
周囲は森林に囲まれ、暑い時期には木陰が有難く感じる。
130502_0182.jpg

公園の中を進んでいくと左岸に大きな碑がある。
松本訓導殉難碑と言い、大正8年(1919)、麹町区(現;千代田区)永田町
小学校の児童が遠足でこの地に来ていた時、一児童が上水に落ち、それを助
けようとした松本虎雄訓導(教諭)が水に飛び込み、殉職した。(児童は通
行人に助けられた。)
訓導の行為は、人々に感銘を与え、後に有志により殉難碑が建立された。
130502_0185.jpg
太宰や松本訓導の命を奪った玉川上水は、かつては「人喰い川」として恐れ
られた。
昭和40年以前には年間10名ほどの投身自殺があったという。
現在の清流復活事業による水量からは想像できないが、羽村取水堰付近の流
れを見るとと、なるほどと思う。


ほたる橋の先にあるのは、牟礼村分水(延享2年(1745))の取水口。
牟礼村分水は牟礼田んぼ(現在の三鷹台団地付近)を潤し、その後、水無川
(中川)へと流れ、烏山川に合流していた。
現在は、わずかに木々の中から堰が覗かせている。
130502_0190.jpg

玉川上水は、その後、井の頭地区と牟礼地区の間を流れていく。
周囲には、緑豊かな閑静な住宅街が広がり、神田川水系(左岸)と目黒川水
系(右岸)の分水嶺を縫うように抜けていく。
130502_0197.jpg

左手に東京都水道局の井の頭水源があった。
地下水を汲み上げ、上水道の一部として使用されているようである。
左岸の崖下には神田川の支流(暗渠)もあり、もともと水が豊富な地域なの
だろう。
130502_0199.jpg

上水沿いの遊歩道脇には畑があり、野菜の直売所もあったりする。
130502_0200.jpg

人見街道が斜めに横切る牟礼橋の手前に旧牟礼橋がある。
牟礼橋は『上水記』にも記載されている古橋で、宝暦7年(1757)の建立で
あり、牟礼村の東にあることから「東橋」、また急な水勢を表す擬態語から
「どんどん橋」の別名もあった。
130502_0208.jpg

また、橋の横には石橋建立供養之碑があるが、寛政9年(1797)と嘉永2年
(1849)年に架け替えられたことが記されている。
(現在の旧橋は大正期の架橋)
また、この供養碑は上水最古の碑であるという。
なお、交差する人見街道は府中から下総などに通じる古道であったという。
130502_0212.jpg

人見街道を過ぎると杉並区に入る。
上流から辿ってくると、やっと23区内に辿り着いたという感がある。
その先、玉川上水沿いにフェンスで囲まれた空間が続いている。
130502_0216.jpg
放射5号道路(東八道路)の道路予定地であり、計画によると玉川上水
および上水沿いの遊歩道を中央分離帯として、両岸に片側2車線の道路
ができるという。
周囲の住民の大きな反対に会い建設が滞っているが、かなり用地確保が
進んでいる。
玉川上水の貴重な自然が失われつつあるのは残念だが、この区間にも上
水の貴重な遺跡もあり、自然や史跡への配慮を期待したい。

その途中に久我山水衛所跡がある。
現在は除塵スクリーンが設置されているだけで、注意して見ていないと
通りすぎてしまう。
太宰の入水事件では、遺体発見より前、久我山水衛所で男女の下駄が発
見されたという。
130502_0219.jpg

水衛所跡のそばに小さな水難者慰霊碑がある。
これは国語学者金田一京助氏の娘、若葉さんが病気を苦に入水自殺した
ため、金田一氏が愛娘ならびに上水に命を落とした人の霊を慰めるため
に昭和27年に建立したもので、裏には金田一氏が詠んだ歌が刻まれて
いる。
130502_0217.jpg


久我山駅から続く商店街の道が交差する岩崎橋の下流に烏山分水、その
数十メートル先に北沢分水の取水口を見ることができる。
前者は烏山川に、後者は北沢川に流れ、2つの河川は世田谷区池尻付近
で合流、目黒川へと注いでいた。
草が生い茂ると撮影が困難となってしまうため、以前に撮影した取水口
の写真を掲載する。


烏山分水の開削は万治2年(1659)、烏山村など10村に分水されていた。
1236120228.jpg

こちらは北沢分水、万治元年(1658)の開削だが、当時の取水口は更に
下流の上北沢付近にあったという。その後2回にわたり取水口が変更さ
れ、この地に取水口が移されたのは明治4年(1871)である。
なお、現在の遺構(石柱)には「北澤分水」という文字と「大正四年十
月」という文字が刻まれている。
2009-04-18_2.jpg

中央自動車と合流する場所にあるのは浅間橋
小平監視所から続いてきた清流復活事業の流れはここで終了し、この先
は暗渠となって、中央道沿いを進む。
なお、暗渠となった清流復活事業の水流はこの先、環八で左へと曲がり、
高井戸駅付近で神田川へと放流されている。
130502_0238.jpg


より大きな地図で 【川のプロムナード】 玉川上水周辺マップ を表示

次へ 目次
  
スポンサーサイト

テーマ:東京 - ジャンル:地域情報

コメントの投稿

非公開コメント

ごあんない
目次
過去記事はこちらから。
水系ごとに体系化しています。

橋マップ
Google Mapを利用して、
橋の位置と写真を紹介します。
INDEX

Twitterボタン
Twitterブログパーツ
プロフィール

リバーサイド

Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
フォトアルバム
外部のサイトを利用して、フォトアルバム(スライドショー)を表示します。
以前のブログから引き継いでいます。

金太郎(杉並の暗渠)
神田川の桜 2008
善福寺川の桜 2008
目黒川の桜 2012
三島の湧水
リンク
QRコード
QR
検索フォーム
アクセスカウンター
おすすめ
リバーサードがお勧めする本