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乞田川 2

引き続き乞田川を東進していく。
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青木葉川に続き、右岸から貝取川が合流する。
貝取川は貝取谷戸から流れ出てきた川であるが、上流域は暗渠化されており、
開渠として辿れるのは下流域の800メートルほどの区間である。
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コンクリート護岸の中程に遊歩道が整備され、歩きやすい。
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貝取川合流部から250メートルほど行くと、今度は瓜生川が合流する。
短い間隔で支流が合流しているということは、乞田川の南岸には小さな谷
戸が点在しているということを示しているのであろう。
瓜生川は暗渠となっているが、その上には瓜生せせらぎ散歩道と称する
緑道が続いている。
2017-11-03_65.jpg

遊歩道を歩いていると散策やジョギングを楽しむ方々とすれ違う。
周辺住民の憩いの場として利用されているようだ。
2017-11-03_66.jpg

永山橋脇にある庚申塔(中央)と二体の地蔵尊。
中央の庚申塔は享保12年(1727)の建立、左の地蔵尊は宝永7年(1710)、
右の地蔵尊は文政7年(1824)の建立である。
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乞田川はゆっくりと左へカーブし、北を流れる大栗川を目指す。
2017-11-03_73.jpg

諏訪下橋の手前で馬引沢川が右岸から合流する。
こちらも開渠は合流部付近の数百メートルほどだけだが、乞田川脇の道路
からは急流を下っていく姿を見ることができる。
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諏訪下橋からは大栗川合流部までほぼ直線、ラストスパートといった感がある。
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熊野橋を左へ行くと小高い丘の上に関戸熊野神社が鎮座する。
延徳元年(1489)、紀州熊野三社を勧請したと伝わる。
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神社の参道脇には東京都史跡に指定されている霞ノ関南木戸柵跡がある。
霞ノ関は建暦3年(1213)に起こった和田合戦の後、横山党の残党に備
えて鎌倉街道に設けられた軍事的な関所。
昭和30年代の発掘で丸柱の痕跡が45㎝間隔で16箇所確認され、現在
はその柱が再現されている。
周辺の地名の関戸は霞ノ関が由来となっている。
2017-11-03_82.jpg

熊野神社の北側には真言宗豊山派の慈眼山観音寺がある。
創建は、建久3年(1192)唐僧が聖観世音菩薩を草庵に安置したのがは
じまりとされる。
狩野派系の画師相沢五流、生花允中流の創始者相沢伴主親子の墓所がある。
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なお、熊野神社の南側は暗渠となっている関戸川が流れており、旧鎌倉
街道との交差点脇に暗渠を確認することができる。

そろそろ大栗川との合流地点が見えてくる。
2017-11-03_93.jpg

右岸から連光寺地区を流れてくる大谷戸川が合流する。
町名となっている連光寺は現存せず、その場所や由縁も不明らしい。
2017-11-03_96.jpg

向ノ岡橋を過ぎると、左手から流れてくる大栗川と合流し、乞田川は終わる。
2017-11-03_102.jpg

《参考資料》
『大栗川・乞田川 流域の水と文化』 小林宏一著



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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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