玉川上水 5

ここも前回で述べたように、玉川上水整備活用計画によって落葉樹などが
伐採されたのであろうか。
そのお陰で、玉川上水の流れをはっきりと見ることができる。
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こちらはもっと進んで、後継樹の植樹が行われている。
小金井桜の古株や茨城県桜川市のヤマザクラのサクランボから発芽した苗を、
ボランティアの方々が自宅で8ヶ月間育て、植樹したものだという。
6kmの区間に1200本を植樹する計画で、東京都・自治体・市民団体によ
る事業としてすすめているようだ。
何年か後には、再び見事な桜並木が再現されることを祈りたい。
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この付近、玉川上水の北側には、江戸東京たてもの園小金井公園が続く。
小金井公園は昭和29年(1954)、広域公園として開園した約79haの公園で
ある。
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公園の北側には石神井川が流れ、また公園の反対、玉川上水の南には、野川
の支流の仙川が流れている。
玉川上水は石神井川と仙川の分水嶺をうまく利用して通されたことがわかる。

関野橋の先、左岸に桜樹接種碑がある。
小金井桜が植えられてから百年余経った嘉永3年(1850)、代官大熊善太郎
は、周辺の村(田無村・境新田・梶野新田・下小金井新田・鈴木新田)に
桜を補植するように命じ、桜の苗木を持ち寄って植樹した。
この石碑は、嘉永4年に田無村の名主、下田半兵衛が補植の経緯を後世に伝
えるために建てたもので、表には「さくら折るべからず」と記され、裏には
「桜樹接種の記」が刻まれている。
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曙橋の数十メートル上流には、千川用水旧分水口(明治4年〈1871〉から
昭和41年〈1966〉まで使用)がある。
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現在の千川用水分水口は境橋にある。
ここは境水衛所跡であり、以前は柵で囲まれていたが、つい先日(2013年
5月末)、小公園化・開放された。
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千川用水は元禄9年(1696)に五代将軍綱吉の命により開削された約22
kmの水路である。
当初は、湯島聖堂、上野寛永寺および浅草寺などへの給水を主な目的とし、
その周辺の武家屋敷や町家への飲料水にも利用され、後には周辺の灌漑用水
への使用も許可された。
現在は青梅街道までの約5kmの区間において、玉川上水と同様に清流復活
事業により流水されている。

境橋で、長く併走していた五日市街道とは別れを告げる。

桜橋の脇に国木田独歩文学碑がある。
国木田独歩は明治期の短編小説家で自然主義文学の先駆者として知られる。
代表作には『武蔵野』や『牛肉と馬鈴薯』などがあるが、文学碑にはその
『武蔵野』の一節から下記の部分が引用、刻まれている。
今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎
町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋と
いう小さな橋がある。

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桜橋の先、左岸に緑の土手が七百メートルほど続く場所が、東京都水道局
境浄水場である。
大正13年(1924)の通水で、用地面積約20万平方メートルという広大な敷
地を持つ。
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村山・山口貯水池(多摩湖・狭山湖)から水を引き入れているが、玉川上
水上流の羽村導水ポンプ所からは村山・山口貯水池へ送水されており、
境浄水場の何割かの水は、羽村堰から取り入れられ玉川上水を流れていた
水であり、別ルートで再び上水脇に辿りついたことになる。
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上記写真は見学会開催時に訪問・撮影したものである。

その対岸には、品川用水の取水口がある。
品川用水は寛文9年(1669)の開削、現在の三鷹、世田谷、目黒と流れ、
品川へ達する長さ25km以上に達する分水である。
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当初は戸越の肥後細川家下屋敷の泉水用に開削されたとの説があり、用水
開削を国元で聞いた家老の長岡帯刀が、江戸まで駆けつけて「江戸市民の
飲用水を玩物とするとは何事ぞ」として、庭を取り壊して即刻帰国したと
の話がある。
その後、用水沿いの各村の農業用水などに使用されたが、近年の都市化に
伴い下水化し、昭和二十年代に廃止された。
余談だが、取水口脇にある品川用水の説明板は品川区と武蔵野市の教育委
員会の連名となっている。

境浄水場の南側の門近くに東京都水道局専用線の橋台跡がある。
かつてここには武蔵境からの専用線が通っており、建設資材や濾過のため
の砂利を運搬していた。
その廃線跡は現在、武蔵境駅の東、仙川との交差箇所まで公園化されている。
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境浄水場が途切れた先に新しい橋(いちょう橋)がある。最近(2013年2月)
に開通した都道調布保谷線である。

この場所にもかつて武蔵野競技場線という三鷹駅からの鉄道が走っていた。
その前身は中島飛行機武蔵製作所(現:武蔵野中央公園)への引込み線で
あったが、戦時中の空襲により壊滅的な打撃を受けた。
戦後の昭和26年、工場跡地にプロ野球専用の野球場としてグリーンパー
クスタジアムが開設された。(但し、諸事情により、実際使用されたのは
1シーズンのみである)
かつての引込み線は観客輸送の為の旅客線として再生されたが、昭和34
年に廃線となる。
かつての鉄道橋の橋台は遺構として残っていたが、いちょう橋に隣接する
人道橋のぎんなん橋に再利用されることとなった。
こちらの廃線跡も遊歩道として整備されており、武蔵野中央公園まで続く。
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玉川上水は三鷹駅に向かって進んでいくが、その手前、三鷹通りの手前で
暗渠となる。
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その先、三鷹駅までの区間も水路が続くが、これは親水用として流されて
いる人工水路である。
駅付近の休息広場として活用されている。
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そして玉川上水は三鷹駅構内を斜めに横切る。
駅構内では水路そのものを見ることはできないが、ホームの下をよく見る
と、水路が流れる部分のみ構造が他とは異なっていることが判る。
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この付近では玉川上水が武蔵野市と三鷹市の境界となっているが、三鷹駅
は両市に跨っているのである。


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小金井の桜

今回も、楽しく拝見しました。
小金井公園のあたりの玉川上水が、石神井川と仙川の分水嶺をうまく利用して通された。が印象に残りました。 
また、有名な小金井の桜について、桜の苗木を持ち寄って植樹した村々の名前が、田無村・境新田・梶野新田・下小金井新田・鈴木新田と、新田が多いことにも。 
やはり玉川上水とその分水によって、武蔵野台地は開拓された、という名残りなんでしょう。

次回は いよいよ 散歩道に近づいて来ました。楽しみです。
色付きの文字

Re: 小金井の桜

> awagaduさん
玉川上水を歩いていると、本当に分水嶺をよく利用していることに関心します。
この先も、神田川水系・目黒川水系・渋谷川水系の支流などが左右にあります。

多摩地方の新田、確かに玉川上水の恩恵を受けているんでしょうね。
玉川上水が無かったら、この地方の発展も違っていたかもしれませんね。
ごあんない
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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