三田用水 鉢山口分水

西郷橋の南東で三田用水から分かれ、鉢山町、鶯谷町を経て渋谷川へ注
いでいた田用水 鉢山口分水を取り上げる。

資料とした『「春の小川」はなぜ消えたか』添付の地図によると、その分水口
は現在の都立第一商業高校の辺りかと思われる。
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分水は用水をちょっと戻る形で西郷橋下の切り通しへと下る。
写真は下から見た西郷橋、現在は旧山手通りの道路橋であるが、かつて
は三田用水がこの切り通しを越えていた。
三田用水から分かれた水は急流となって下っていたのであろう。
この辺りには製綿工場の水車があったらしい。
なお製綿工場は明治期の地形図にも描かれており、この周辺では目立っ
た存在であったようだ。
2017-07-22_2.jpg

鉢山口分水は鉢山町を北東へと進んでいた。
実際は右手の住宅地の中を流れていたらしい。
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鉢山町交番前交差点まで歩き、右へ数十メートルほど行った地点から、
用水跡の暗渠道が始まる。
周囲は宅地造成のための盛土が行われたためであろうか、暗渠の入口に
は数段の階段が設置されている。
2017-07-22_7.jpg

鉢山公園という児童公園脇を進む分水跡の暗渠道。
右手は高台となっており、分水はその崖下を流れていたのだろう。
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その先は一旦途切れて北側の道路に迂回することとなるが、1ブロック
を歩いた先から再び細い道が出現する。
2017-07-22_12.jpg
この辺りは用水に沿って長い谷戸が続いており、かつては長谷戸という
小字で称されていた。
水路は複数に分かれ、水田が広がっていたらしい。
今では住宅が建ちこむ街となってしまい、そのような風景を想像するだけ
でも難しい。

2017-07-22_14.jpg

乗泉寺の北で暗渠道は終わってしまう。
かつてここには鶯橋という橋が架けられており、鶯谷町の名はこの橋名
から命名されたという。
2017-07-22_17.jpg

鉢山口分水に位置する妙正山乗泉寺は元和年間(1615~24)に創建さ
れた本門佛立宗の寺院である。
江戸西久保(現在の神谷町の辺りか)に一庵が建立したのを始まりとし、
その後麻布桜田町へ移転、戦後この地に移った。
広大な敷地の寺院の中に近代建築の本堂が建つ。
2017-07-22_19.jpg

暗渠道が終わると、その先、正確な流路は殆ど判らなくなってしまう。
住宅などが建ち並び、既に鉢山口分水の跡は絶たれてしまっている
ためだ。
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ただ用水跡付近は相変わらず谷となっており、地形の高低差を楽しむこと
ができる。

鶯谷児童遊園という児童遊園、南側の中学校との間には数メートルほどの
段差がある、
かつて鉢山口分水はこの辺りを流れていたのだろうか。
2017-07-22_23.jpg

さらに東へと進み、猿楽橋で山手線を渡る。
この近くで分水も山手線と交差していたはずだ。
2017-07-22_29.jpg

そして渋谷川の並木橋付近に達する。
以前は吐口があったようだが、平成になって河川改修工事が行われた際
に吐口は無くなってしまった。
2017-07-22_33.jpg

暗渠として確認できる区間は数百メートルほどの僅かな区間であるが、
都会に埋もれたかつての谷戸の地形を実感できる水路であった。

《参考文献》
『「春の小川」はなぜ消えたか』 田原光泰著
『歩く渋谷川入門』 梶山公子著



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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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