葛西用水 4
葛西用水はつくばエクスプレス線をくぐって更に南へと流れていく。

つくばエクスプレスとの交差地点から400メートルほど行くと、桁川と合流する。
桁川は綾瀬川の旧流路であり、東へ流れる中川へ通じている。
川沿いには糸を垂れている太公望の方々を見ることができる。

既に記した通り、亀有溜井への補給を目的として造られた葛西用水であっ
たため、開削当初の葛西用水はこの地で終わる。
しかしながら、葛西用水に並行して造られていた亀有上水が享保7年(1722)
に廃止されたため、ここから先は亀有上水が農業用水として転用された区
間とうことになるであろう。
桁川への合流地点の対岸に水門があり。この先、再び葛西用水が始まる。
桁川が都県境となっており、いよいよ埼玉県から東京都足立区へと入っていく。

水路沿いは緑地として整備され、訪れた際にはキショウブが咲き、周辺住
民の方々の目をひいていた。

その先には親水ゾーンと称された場所があり、用水の水面近くまで下りる
ことができる。

六木地区を南下していく葛西用水。

桁川から700メートルほど行くと、葛西用水は再び水路と交差する。
花畑運河(花畑川とも称される)であり、葛西用水は伏越で花畑運河を越える。

花畑運河は昭和6年(1931)、綾瀬川と中川を結ぶ運河として開削された。
荒川放水路(大正13年完成)により中川が分断され、北関東と東京を結ぶ
舟運(農作物や肥料を運搬)に支障をきたしたため、開削された運河である。
水運事業は衰退し、現在では無駄に広い水路と化してしまった感があるが、
川沿いの看板によれば、将来は水辺環境事業により、市民の憩いの場と
して整備されるようである。

花畑運河を渡ると「あれ、水が流れていない?}。
ご安心を、これは暗渠の上に造られた親水施設、夏になれば子供たちが
水遊びに興ずるのだろうか。

その先、再び葛西用水は顔を見せる。
写真左側に並行する道路は、その名も葛西用水桜通り、用水に沿って真
っすぐに延びる道路である。

葛西用水沿いには足立区立郷土博物館が建っている。
足立区の歴史や生活・文化を展示しており、用水に関わる展示や資料な
どもそろっているので時間があれば訪問をお勧めしたい。

こちらは博物館裏に併設されている東渕江庭園、回遊式日本庭園で散策
の休憩がてら立ち寄るのもいい。(庭園は入園無料)

用水沿いの各所に、写真に見られるような鉄道建設促進の幟などが立て
られている。
地下鉄8号線(有楽町線)の早期延伸を要望する運動で、豊洲から分岐し
て亀有へと延伸する路線が計画されており、その先、葛西用水沿いに八
潮市、野田市方面への延伸も検討されているようだ。

用水の東側に真言宗の阿遮山福寿院がある。
創建は不明、参道入口にある地蔵は「旧中川のいぼとり地蔵」と言われ、
塩を供えた後、その塩を患部に塗ることにより、皮膚病に効果があるとの
言い伝えがある。

やがて環状七号線へと近づき、用水はいったん暗渠となる。

環七の大谷田橋交差点の北にそびえたつ銀河の塔。
説明板によると、葛西用水親水水路の完成を記念して作られたシンボル
タワーとのことだ。

交差点の先、亀戸方面へ向けて緑地帯が続き、その中を葛西用水が流れる。
亀戸駅まで1kmほどとなり、駅周辺への人々の往来も多くなる。

用水沿いにある東和親水公園。
用水とは関係はないと思われるが、噴水やじゃぶじゃぶ池などもあって楽
しそうな公園だ。

親水公園から数十メートルほどいくと、八ヶ村落堀と交差する。
八ヶ村落堀は六木から大谷田、東和を通り綾瀬で古隅田川に落ちる悪水
掘(排水用水路)、現在は環七以南で八ヶ村落し親水緑道として整備され
ている。
交差点付近に碇伏越橋と記された親柱が保存されていたので、2つの水
路は伏越で交差していたことが判る。

そこから200メートルほど行ったところで、葛西用水は暗渠となってしまう。
この先、曳舟川親水公園などに水路があるが、人工水路であるため、葛西
用水の水路として目にすることができるのはここが最後である。

遊歩道沿いにある大きな水車のオブジェ。

さきほどの八ヶ村落堀に続いて、今度は古隅田川と交差する。
近くには古隅田川についての説明板があり、以下のように記載されている。
古隅田川はかつて利根川の流末の一つで、豊かな水量をもつ大河であり
ましたが、中川の灌漑事業等により水量を失い、やせていったものと考え
られています。
近代に至っては、雑排水路として利用されてきました。

現在、古隅田川跡は足立区と葛飾区の境界となっており、ここから葛飾区
となる。
暗渠となった葛西用水の上は広い歩道となり、南へと続いている、

歩道脇にあった両さん像、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津
勘吉像は、亀有駅前にある像が有名だが、小さな像も周辺にいくつか建て
られているようだ。

そして常磐線のガードが見えてくる。
亀有駅の東側で葛西用水は常磐線と交差していた。



つくばエクスプレスとの交差地点から400メートルほど行くと、桁川と合流する。
桁川は綾瀬川の旧流路であり、東へ流れる中川へ通じている。
川沿いには糸を垂れている太公望の方々を見ることができる。

既に記した通り、亀有溜井への補給を目的として造られた葛西用水であっ
たため、開削当初の葛西用水はこの地で終わる。
しかしながら、葛西用水に並行して造られていた亀有上水が享保7年(1722)
に廃止されたため、ここから先は亀有上水が農業用水として転用された区
間とうことになるであろう。
桁川への合流地点の対岸に水門があり。この先、再び葛西用水が始まる。
桁川が都県境となっており、いよいよ埼玉県から東京都足立区へと入っていく。

水路沿いは緑地として整備され、訪れた際にはキショウブが咲き、周辺住
民の方々の目をひいていた。

その先には親水ゾーンと称された場所があり、用水の水面近くまで下りる
ことができる。

六木地区を南下していく葛西用水。

桁川から700メートルほど行くと、葛西用水は再び水路と交差する。
花畑運河(花畑川とも称される)であり、葛西用水は伏越で花畑運河を越える。

花畑運河は昭和6年(1931)、綾瀬川と中川を結ぶ運河として開削された。
荒川放水路(大正13年完成)により中川が分断され、北関東と東京を結ぶ
舟運(農作物や肥料を運搬)に支障をきたしたため、開削された運河である。
水運事業は衰退し、現在では無駄に広い水路と化してしまった感があるが、
川沿いの看板によれば、将来は水辺環境事業により、市民の憩いの場と
して整備されるようである。

花畑運河を渡ると「あれ、水が流れていない?}。
ご安心を、これは暗渠の上に造られた親水施設、夏になれば子供たちが
水遊びに興ずるのだろうか。

その先、再び葛西用水は顔を見せる。
写真左側に並行する道路は、その名も葛西用水桜通り、用水に沿って真
っすぐに延びる道路である。

葛西用水沿いには足立区立郷土博物館が建っている。
足立区の歴史や生活・文化を展示しており、用水に関わる展示や資料な
どもそろっているので時間があれば訪問をお勧めしたい。

こちらは博物館裏に併設されている東渕江庭園、回遊式日本庭園で散策
の休憩がてら立ち寄るのもいい。(庭園は入園無料)

用水沿いの各所に、写真に見られるような鉄道建設促進の幟などが立て
られている。
地下鉄8号線(有楽町線)の早期延伸を要望する運動で、豊洲から分岐し
て亀有へと延伸する路線が計画されており、その先、葛西用水沿いに八
潮市、野田市方面への延伸も検討されているようだ。

用水の東側に真言宗の阿遮山福寿院がある。
創建は不明、参道入口にある地蔵は「旧中川のいぼとり地蔵」と言われ、
塩を供えた後、その塩を患部に塗ることにより、皮膚病に効果があるとの
言い伝えがある。

やがて環状七号線へと近づき、用水はいったん暗渠となる。

環七の大谷田橋交差点の北にそびえたつ銀河の塔。
説明板によると、葛西用水親水水路の完成を記念して作られたシンボル
タワーとのことだ。

交差点の先、亀戸方面へ向けて緑地帯が続き、その中を葛西用水が流れる。
亀戸駅まで1kmほどとなり、駅周辺への人々の往来も多くなる。

用水沿いにある東和親水公園。
用水とは関係はないと思われるが、噴水やじゃぶじゃぶ池などもあって楽
しそうな公園だ。

親水公園から数十メートルほどいくと、八ヶ村落堀と交差する。
八ヶ村落堀は六木から大谷田、東和を通り綾瀬で古隅田川に落ちる悪水
掘(排水用水路)、現在は環七以南で八ヶ村落し親水緑道として整備され
ている。
交差点付近に碇伏越橋と記された親柱が保存されていたので、2つの水
路は伏越で交差していたことが判る。

そこから200メートルほど行ったところで、葛西用水は暗渠となってしまう。
この先、曳舟川親水公園などに水路があるが、人工水路であるため、葛西
用水の水路として目にすることができるのはここが最後である。

遊歩道沿いにある大きな水車のオブジェ。

さきほどの八ヶ村落堀に続いて、今度は古隅田川と交差する。
近くには古隅田川についての説明板があり、以下のように記載されている。
古隅田川はかつて利根川の流末の一つで、豊かな水量をもつ大河であり
ましたが、中川の灌漑事業等により水量を失い、やせていったものと考え
られています。
近代に至っては、雑排水路として利用されてきました。

現在、古隅田川跡は足立区と葛飾区の境界となっており、ここから葛飾区
となる。
暗渠となった葛西用水の上は広い歩道となり、南へと続いている、

歩道脇にあった両さん像、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津
勘吉像は、亀有駅前にある像が有名だが、小さな像も周辺にいくつか建て
られているようだ。

そして常磐線のガードが見えてくる。
亀有駅の東側で葛西用水は常磐線と交差していた。



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