二ヶ領用水 根方十三ヶ村堀 2
第三京浜を越えた先も根方十三ヶ村堀(以下、根方堀と略)は、暗渠とし
て道路の左側に続いている。
この水路は、資料とした『二ヶ領用水支流水路復元図』では上小田中堀と
の記載されている。

道脇にある小さな祠、水の神である弁財天を祀っているようだ。

その先の左側に関神社が鎮座する。
慶長10年(1605)、武田信玄家臣の末流、原勘解由左衛門勝久が此の
地に移住したが開墾が進まず、近江国の関蝉丸神社に祈願したところ霊
示があり、社殿を造営した後、開墾が進むようになったとの言い伝えがある。

上小田中の住宅街を進んでいく。

その先、左側にひと際目立つ寺が見えてくる。
真言宗智山派の大谷山宝蔵寺、川崎七福神の弁財天となっている。
創建は永正17年(1520)、原勘解由左衛門勝光が開基とされている。

蛇行して進む根方堀、ここの暗渠は鉄板の蓋となっている。

やがて、前方に南武線の高架橋は見えてくる。

その南武線まで追っていくと水路は中原電車区の中へと入り込んでしまう。

ここは電車区を右(西側)へと迂回することになる。
その迂回の途中にある又玄寺と新城神社を訪ねることとする。
こちらは正覚山又玄寺、臨済宗の寺院である。

電車区の西端の南側には新城神社、元禄7年(1694)の創建、新城村の
守り神として鎮座した。
毎年10月の祭礼に行われている囃子曲持は、力持ち曲芸と祭り囃子が
一緒になった芸能で、川崎市の重要習俗技芸に指定されている。

さて、電車区の中に入っていった根方堀は、その南側へ出てくる。
更には電車区向かい側の個人宅の中へと入っていく。

1ブロック南の道路に廻り込むと、その先は一般道へと出て、道路右側に
暗渠の歩道が続いている。

道路は南へと向きを変え、最終地点の江川へと目指して進んでいく。

今は住宅が続く街並みであるが、数十年前までは田園風景が広がって
いたのだろうか。

この道に交わる水路敷らしき通路を発見、おそらく田圃の間を縦横に流
れる水路跡であろう。

暗渠は道の右から左へと移り変わり、なおも暗渠蓋が続いていく。

その先、暗渠蓋は無くなってしまうが、これは道路整備したためだろう。

先ほどの電車区から1.4kmほどあるいていくと、江川へと出る。
現在の江川は、せせらぎ遊歩道として人工水路が流れているが、以前はこ
の辺りで水を落としていたのだろうか。

《参考資料》
『二ヶ領用水支流水路復元図』 ※川崎市立中原図書館所蔵

て道路の左側に続いている。
この水路は、資料とした『二ヶ領用水支流水路復元図』では上小田中堀と
の記載されている。

道脇にある小さな祠、水の神である弁財天を祀っているようだ。

その先の左側に関神社が鎮座する。
慶長10年(1605)、武田信玄家臣の末流、原勘解由左衛門勝久が此の
地に移住したが開墾が進まず、近江国の関蝉丸神社に祈願したところ霊
示があり、社殿を造営した後、開墾が進むようになったとの言い伝えがある。

上小田中の住宅街を進んでいく。

その先、左側にひと際目立つ寺が見えてくる。
真言宗智山派の大谷山宝蔵寺、川崎七福神の弁財天となっている。
創建は永正17年(1520)、原勘解由左衛門勝光が開基とされている。

蛇行して進む根方堀、ここの暗渠は鉄板の蓋となっている。

やがて、前方に南武線の高架橋は見えてくる。

その南武線まで追っていくと水路は中原電車区の中へと入り込んでしまう。

ここは電車区を右(西側)へと迂回することになる。
その迂回の途中にある又玄寺と新城神社を訪ねることとする。
こちらは正覚山又玄寺、臨済宗の寺院である。

電車区の西端の南側には新城神社、元禄7年(1694)の創建、新城村の
守り神として鎮座した。
毎年10月の祭礼に行われている囃子曲持は、力持ち曲芸と祭り囃子が
一緒になった芸能で、川崎市の重要習俗技芸に指定されている。

さて、電車区の中に入っていった根方堀は、その南側へ出てくる。
更には電車区向かい側の個人宅の中へと入っていく。

1ブロック南の道路に廻り込むと、その先は一般道へと出て、道路右側に
暗渠の歩道が続いている。

道路は南へと向きを変え、最終地点の江川へと目指して進んでいく。

今は住宅が続く街並みであるが、数十年前までは田園風景が広がって
いたのだろうか。

この道に交わる水路敷らしき通路を発見、おそらく田圃の間を縦横に流
れる水路跡であろう。

暗渠は道の右から左へと移り変わり、なおも暗渠蓋が続いていく。

その先、暗渠蓋は無くなってしまうが、これは道路整備したためだろう。

先ほどの電車区から1.4kmほどあるいていくと、江川へと出る。
現在の江川は、せせらぎ遊歩道として人工水路が流れているが、以前はこ
の辺りで水を落としていたのだろうか。

《参考資料》
『二ヶ領用水支流水路復元図』 ※川崎市立中原図書館所蔵

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