青梅街道を渡ると
千川上水は暗渠となり、道路沿いを進む。
上水沿いの道路はその名も千川通り、もちろん千川上水から名づけられ
た道路名である。
暗渠の上は
千川上水緑道となっている。
(残念ながら辿った時は改修工事中であった。)

立野橋交差点脇に小さな祠があり、
上石神井立野の庚申塔と、
出羽三山
百八十八ヶ所観音供養塔が収められている。
庚申塔は宝永9年(1704)、上石神井立野村の人々により建立されたも
のである。
また、観音供養塔は天保13年(1842)の建立で、出羽三山と四国・西国・
坂東・秩父出羽三山・百八十八ヶ所観音の文字が刻み込まれているという。

この庚申塔・観音供養塔の説明板には千川上水の説明もかなり詳しく記
されている。
立野橋交差点から150メートルほど進んだ左側に
上石千川児童遊園とい
う小さな公園があるが、この傍には
田中水車と呼ばれた水車があった。
説明板によれば、上水流域には10基以上の水車があり、この田中水車は
最後まで残っていた水車で、昭和40年頃まで製粉が行われていたようだ。
写真は園内の説明板に掲載されている在りし日の田中水車である。

公園内には水車をイメージした児童遊具もある。

千川用水は西武新宿線上石神井車両基地の南側を進んでいく。

西武新宿線との交差の手前で、千川用水は一瞬だけ顔を見せる。
わずか十メートルほどの区間だけだが、開渠となりその姿を確認できるの
は嬉しい。
ただ、前項で記したように通水は中止されているため、現在は空堀となっている。
これより先、千川上水が姿を見せることはない。

その脇、西武線との交差地点には「千川上水橋梁」の文字を確認すること
ができる。

その先、通りの左側が幅広い歩道となっており、千川上水がその下を通っ
ていることが判る。
ここからしばらく、千川上水は練馬区と杉並区の境界線となっている。

並木が続く道路を進んでいく。

新青梅街道と交差した先、道幅は狭くなる。
淡々と道路を歩き続けることとなるが、千川通りに沿っていけばよいので
迷うことはない。

環状八号線を過ぎて数十メートルほど行くと、旧早稲田通りと交差する。
ここには
八成橋が架けられており、そこには
八成水車と称する水車があっ
たという。
八成橋はこの少し先のバス停にその名を残している。

八成橋から約120メートル先、左手に「
右 長命寺道」と記された道標が
建っている。
高野台の長命寺方面と江古田、落合方面の岐路に建てられていた道標
であり、江戸時代に建てられたものだという。
高野台にある長命寺は「東の高野山」として人々から信仰を得ており、こ
の道標も参詣者のために建立されたのであろう。
なお、ここには三兵橋が架かっていたようだ。

千川通りを歩き続けていくと、中野区上鷺宮へと入っていく。
とは言っても中野区内の区間は700mほど、中野区の北をかすめる程度
で、その先は再び練馬区となる。

西武池袋線富士見台駅の南側、富士見台五差路に達する。
ここには
九頭竜橋が架かっていた。
この付近の千川上水は一番深く、谷のようになっていたらしい。

その先、千川通りの左側には、桜並木が植えられた広い歩道となる。
しばらくは西武池袋線の南側を東進することになる。

中村橋駅近くまで進むとと、その緑地帯の中に
九頭竜弁財天の祠を見る
ことができる。
弁財天の他に「弘法大師」、「子庚申」などと書かれた石碑が立ち並ぶ。
花が活けてあるところをみると、地元の方々によって大切に祀られている
のであろう。
この九頭竜弁財天は、もともと先ほどの九頭竜橋の脇に建っていたが、
昭和31年(1956)頃の暗渠化工事の際、一時的に行方不明となったら
しいが、昭和49年(1974)、この地に再建された。

《参考資料》
『絵図と写真に見る千川上水』 石神井公園ふるさと文化館
『千川上水 一九四〇年といま』 千川の会
『千川上水の今と昔』 練馬古文書研究会
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