蟹川

蟹川は新宿の歌舞伎町付近を水源とし、戸山公園や早稲田を経て流れる
神田川の支流であり、現在は暗渠となっている。

まずは西武新宿駅の東側からスタートしてみる。
明治期の地形図を見てみると、新宿東宝ビル(かつてのコマ劇場)付近など、
歌舞伎町から新宿五丁目辺りにかけて池が点在しており、かつてこの辺り
が湧水地帯であったことが想像できる。
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とはいえ、現在では、飲食・歓楽街のビルが立ち並び、この辺りで水が湧
き出し、川となって流れ出していたとはわからない。
道路が僅かに蛇行していることが唯一の証拠なのかもしれない。
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新宿区役所通りとの交差点、南北に貫く区役所通りはこの交差点を底とし
て僅かな坂道となっており、蟹川の跡の道が窪地となっているのがわかる。
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右手から新宿遊歩道公園四季の路が合流する。
こちらの遊歩道は川跡ではなく、かつて新宿駅を発着する都電13系統の
専用軌道の跡に設置された遊歩道である。
都電はこの先、蟹川沿いを走り、抜弁天(後述)から飯田橋方面へと向か
っていた。
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明治通りを過ぎてさらに東へと進む。
都電は右側を、蟹川は左側を通っていたようだ。
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そのまま道路を歩いていくと右手に新宿区立新宿文化センターが見えてくる。
かつてここには都電の大久保車庫があった。
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新宿文化センターの先、南側の台地の上に西向天神社が鎮座する。
安貞2年(1282)、明恵上人が創建したと伝えられ、社殿が西を向いてい
ることから西向天神と呼ばれたという。
古来より大久保村の鎮守社であり、また三代将軍家光が鷹狩りの際に荒
廃している境内を見て黄金の棗(なつめ)を下賜されたことから「棗の天神」
とも称されたという。
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江戸名所図会では大窪天満宮として紹介されている。
右下に橋が描かれているが、これが蟹川だろうか。
大窪天満宮
(国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

さらに蟹川を辿ると抜弁天通りと交差するが、その東側に抜弁天厳島神
)がある。
応徳3年(1086)、源義家が後三年の役の途上、この地に宿営し、遠く安
芸の厳島神社に勝利を祈願した。
奥州平定後、義家がその御礼にこの地に市杵島姫命を祀ったのが始まり
とされる。
また、参道を南北に通り抜けることができ、義家が苦難を切り抜けたという
逸話から、江戸時代に抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つ
とされ、また山之手七福神の弁財天としても知られる。
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抜弁天の向かいに曹洞宗の大久保山永福寺がある。
慶安元年(1648)の創建と伝えられ、こちらは山之手七福神の福禄寿が
境内に祀られている。
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蟹川から永福寺へと上る坂は久左衛門坂と呼ばれ、写真にあるように説
明柱が建てられている。
それによれば、徳川家康の江戸入府以前から大久保の居住していた島田
家の草創久左衛門が新しく開いた坂道であることが坂名の由来とのこと。
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蟹川は新宿七丁目の住宅地の中を北上していく。
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川跡の道路沿いにはマンションなどが立ち並ぶが、川であったことを示す
ものは見当たらない。
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その先、大久保通りが築堤となって蟹川の谷を越えていく。
大久保通りから北を望んだ風景。
蟹川は写真右に見える東戸山小学校の地を貫いていたようだ。
小学校の先に見える緑は、都立戸山公園だ。
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蟹川は戸山公園および公園に隣接する都営戸山ハイツを流れていた。
その戸山公園内には山手線内の最高峰として知られる箱根山がある。
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こちらは箱根山山頂から戸山公園、戸山ハイツを望む風景。
かつては蟹川の流れも望めたのかもしれない。
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この戸山公園はかつては尾張徳川家の下屋敷となり、「戸山荘」と呼ばれ
る回遊式築山泉水庭園であった。
中央に泉水を掘り、築山・渓谷・田園を設けて。更には小田原宿を模した
街並みをつくり、他に類をみない庭園だったらしい。
この箱根山も庭園の一部として築山されたものだ。
そのような庭園も幕末の安政年間(1854~59)に災害にあい、明治以降
は陸軍戸山学校として利用された。

下の写真は箱根山中腹に掲示されている「寛政年間戸山尾張邸園地全図」
であり、中央に大きな池があったことがわかる。
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蟹川は戸山公園の中を早稲田方面へと流れていた。
園内北部には、かつての川をイメージしたものか、人工水路も設けられている。
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公園を出ると、早稲田通りに向かって緩やかに下っていく。
一般道の南側に早稲田大学戸山キャンパスが広がるが、蟹川はキャンパ
ス内を蛇行して流れていたようだ。
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早稲田通りに出ると、馬場下町交差点の東側に僅かに凹んだ場所を見る
ことができ、明らかに蟹川の流路跡であることがわかる。
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その馬場下町交差点脇に穴八幡宮が鎮座する。
こちらも抜弁天と同様、源義家に因む創建の逸話があり、康平5年(1062)、
前九年の役で奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神
を祀ったことが始まりとされる。
冬至から節分の間、一陽来復のお守りを求めて多くの参拝客で賑わう。
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江戸名所図会では高田八幡宮として描かれている。
高田八幡宮
高田八幡宮 其二 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

早稲田通りと交差した後、蟹川は早稲田中学校・高等学校の敷地の一部
を通り、その後は同校の東側を流れていたようだ。
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神田川まであと数百メートルという場所まで達するが、そのまま神田川へ
向かうことはなく、向きを東へと変え、早稲田鶴巻町の町内を横断する。
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外苑東通りを越えると、支流の加ニ川を合流する。
加ニ川は、本流の蟹川と同音異字の名であるためややこしいが、牛込柳町
方面から、現在の外苑東通り沿いに流れていた細流だったのだろうか。
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外苑東通りの西側の一部の小道にその流路跡を残しているが、現在、東
通りは拡幅工事中であり、その行方が懸念される。

明治の終わり頃の地図を見ると、蟹川はここで北上し、一休橋付近で神田
川へと注いでいたようだ。
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ただこの付近の都市化は早くも明治期には進んでいたようで、おそらくその
過程で流路変更が行われたことと想像する。
もう少し昔、明治時代前半の地形図を見ると、早稲田村の田畑の中を進む
蟹川はさらに東へと流れており、その流路跡は山吹高校の東にある蛇行す
る道路の形状に残している。
道路の南側には大日本印刷の工場があり、また周囲にも印刷・製本業の
中小企業が多い。
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蟹川でこの先で北上する。
行く手に神田川に並行する首都高速が見えれば、ゴールはすぐそこだ。
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そして、掃部橋の上流辺りで神田川へと合流していた。
現在、並行する目白通り下には神田川の江戸川橋分水路が流れており、
護岸整備された神田川には合流の痕跡を見ることはできない。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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