牟礼用水

牟礼用水(牟礼分水とも称する)は玉川上水に架かるほたる橋の下流で取
水され、牟礼村の田園に水を供給するために開削された用水路である。
延享2年(1745)に許可がおりて、その後、開削された。
玉川上水の数ある分水の多くは複数の村に水を供給していたが、1つの村
のために造られた用水路として異色の存在でもある。
現在の三鷹市牟礼2~4丁目付近には牟礼田んぼという田園地帯が広が
っており、玉川上水から導水した水により、良質の米がとれたそうだ。
昭和34年(1959)に用水は埋め立てられ、その後、住宅や三鷹台団地、
小学校の敷地へと転用されている。
なお、玉川上水から取水され、牟礼用水に水が流れる期間は5月から9
月までの約5ケ月間のみであったらしい。

牟礼用水の分水堰は井の頭公園内のほたる橋の下流約20メートルほど
の地点に、その跡を見ることができる。
周囲は木々に覆われているが、上水沿いの歩行者道から木々の間を覗く
と、石積みの分水口を確認できる。
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分水口から取水された用水は、真っすぐ南へと流れていたようだ。
水路そのものの痕跡を探すことは難しいが、人工のせせらぎが流れている。
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その先、園内路の左側に柵で囲まれた別の通路が出てくる。
殆ど人が踏み込まない道ではあるが、ここがかつての水路であろうか。
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園内路を出て、その先、井の頭公園西縁沿いの道路を真っすぐ進んでいく。
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道路を350メートルほど進んだところで、牟礼用水は左へと曲がっていた。
その地点は道路の幅が半分ほどになる地点であり、これを目標にすると
分かりやすい。
ちょうど水路の部分だけ、この先の道幅が短くなっているのであろう。
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左折するとクランク状に住宅の中を抜け、明星学園高校の南側へと進んでいく。
途中、南側へと短い暗渠道が分かれていく。
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この辺りから牟礼用水はいくつかの水路に枝分かれし、または合流して
牟礼田んぼに広がっていたようだ、
現在では、住宅やマンション・団地などが建ち並んでおり、その水路跡を
丹念に辿ることは難しいが、所々にその痕跡を見つけることができる。
この先はその痕跡等を紹介しながら、進んでいくこととしよう。

南側水路へ曲がらずにそのまま真っすぐ進み、明星学園のグラウンド脇
を過ぎると、住宅と駐車場の間に用水跡の空間が続いているのを見つけ
ることができる。
ここで水路は緩やかに右へと曲がっていたようだ。
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今度は南側の水路に足を向ける。
南側の水路跡は僅かに蛇行する道路となって、南東方向へ進んでいるが、
その先でT字路で終了してしまう。
ただ、こちらもT字路の場所、家の間に水路跡の敷地を確認できる。
こういう場所を目にするのは、水路探索をしている者にとっては嬉しいことだ。
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とりとめもなく申し訳ないが、再び北側の水路跡へ廻ってみる。
三鷹市立第三中学校の南側に沿う道路がかつて用水が流れていた地と
思われる。
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こちらは南側の水路、恐らくこの辺りを流れていたのであろう。
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以前はこの先の人見街道を挟んで、東西に三鷹台団地という古い団地群
が広がっていた。
牟礼田んぼの跡に建てられた団地である。
その団地も人見街道の東側(用水下流側)は真新しい建物に建て替えられ、
また西側は近年、マンション街へと生まれ変わりつつある。
そのマンション街の真ん中の牟礼三丁目9番緑地という緑道が設けられている。
但し、かつての牟礼たんぼから二回も開発が行われたため、かつての面
影を探すことはできない。
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この辺りから牟礼用水は主として3本の水路が南東方向へと続いていた。
3本の水路は西の川中川東の川と呼ばれ、西の川、東の川から水をひき、
真ん中の中川が排水専用の川であったという。
特に中川は、牟礼用水からつながる水無川の三鷹市内における名称であり、
現在も川跡の中川遊歩道(後述)にその名を残している。

三鷹台団地の東側を通る一般道、さすがに河川の痕跡などあるはずもな
いが、おそらく中川がこの辺りを流れていたのであろう。
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こちらは団地の西側、道路が僅かに蛇行しているが、西の川の跡なのだろうか。
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その道沿いに大盛寺別院の墓地があり、その中に詩人で、「赤とんぼ」な
どの童謡作家として知られる三木露風(1889~1964)の墓があり、三鷹
市指定文化財となっている。
露風は昭和3年(1928)に牟礼の地に移住、晩年までを過ごした。
残念ながら、散歩中に交通事故にあい、他界したという。
露風は、用水が流れる牟礼田んぼの風景を楽しんで過ごしたのだろうか。
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三本の水路のうち、その跡を一番色濃く残しているのは東の川である。
人見街道の牟礼二丁目交差点脇から400メートルほどの暗渠道が始まる。
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北側に並行する人見街道の交通量が多く、歩道もラインが引かれてい
る程度のものなので、近隣住民の通路として利用されているようだ。
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暗渠道は牟礼の住宅街の中を縫うように続く。
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中本宿通りに出たところで暗渠道は終わる。
この先、川跡を追うことはできなくなるが、500メートルほど東、牟礼一丁
目(国学院久我山高校付近)で烏山川上流の水路が出現することから、
そちらにつながっていた可能性も高い。

人見街道沿いの日蓮宗寺院の高栄山真福寺を訪れてみた。
天正年間(1573~93)、牟礼村成立のころ、同村を開村した高橋家が
開いた古寺である。
池上本門寺の末寺であるという。
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牟礼用水跡を辿っていくと、やがて東八道路へと達する。
かつては東八道路沿いに品川用水が流れていたが、品川用水と交差し、
この辺りからは水無川中川)として、北野、烏山方面へ下っていくことになる。
東八道路との交差点の先には、その中川遊歩道が始まっている。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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