空川

渋谷から京王井の頭線で2駅目、駒場東大前駅に降り立つと、そこは駒
場の谷地となっている。
今回取り上げる空川は、駒場の谷から湧く湧水を集めて目黒川へと注ぐ
かつての小河川であり、所々に暗渠として痕跡を残す。
現在でも湧水はあり、主として3つの水源を確認することができる。
1つは駒場野公園内の池、1つは駒場東大前駅北側の湧水、そしてもう
1つは東大構内の駒場池である。
それらを巡りながら、空川を追っていくこととする。

まずは駒場野公園内にある池、木が生い茂る公園内に静かにたたずむ
湧水池である。
駒場野公園は、明治11年、駒場農学校として開設され、その後、東京
帝国大学農学部や東京教育大学農学部を経て、東京教育大学がつくば
市へ移転(筑波大学)するのを機に、跡地を公園として整備され、開設さ
れたもの。
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また駒場という地は、江戸期には将軍家の鷹狩場であった。
かつては駒場野と呼ばれ、原野に放牧の馬が群れていたことがその由来とされる。
駒場野
江戸名所図会駒場野』    (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

公園の東側、井の頭線沿いにはにはケルネル田圃という水田が広がる。
前掲の駒場農学校は、ドイツ農法を取り入れ、農業技術者を送り出した。
教師として招かれたドイツ人のオスカー・ケルネル(1851~1991)は、
後に「明治三老農の一人」とも称された船津伝次平が空川上流部の谷あい
に造った実験田を利用して、土壌や肥料の改良に取り組んだ。
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現在でも、ケルネル田圃は、筑波大学附属駒場中・高等学校の農業体験
実習の場として維持されている。

さすがに田圃の中は歩けないので、迂回して駒場東大前駅の方へと足を運ぶ。
すると、駅西口の北側、東大構内へ入ったところに、湧水が流れる場所が
あり、ここが第二の水源だ。
わずか数十メートルほどの区間であるが、清らかな水が流れるのを確認
することができる。
残念だが、おそらく水はこの先、下水管へ流れてしまうのだろう。
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かつては駒場野公園からの流れに合流して、下流へと流れていたものと
想像できる。
その水路跡は駅南側の住宅街の中に確認することができる。
川跡は立ち入ることができないので、近くの道へ迂回を繰り返しながら進
むことになる。
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その先の暗渠の風景。
立ち入ってみたい衝動に駆られるが、手前にある柵がそれを許さない。
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川跡を歩けるようになるのは、駒場一丁目防災緑地脇から。
右手は急峻な崖地となっている。
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細い道がくねくねと続き、右側には古めかしい石壁もあったりする。
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暗渠道は100メートルほど続いた後、一般道へと出る。
ここで、北の駒場池からの水流と合流していたらしい。
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その三つ目の水源とである駒場池を訪れてみよう。
駒場池は東大駒場キャンパスの東端、木々に囲まれた谷地にある湧水池である。
明治の農学部時代には養魚場であったという記録もあるという。
本郷キャンパス内の三四郎池に対して一二郎池と呼ばれていたが、一二
浪に通じるとして嫌われ、2008年、駒場池という正式名称が付けられた。
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東側の崖の上には、かつて三田用水が流れており、用水が台地や尾根を
縫うように造られたものであることを、改めて感じさせる。

駒場池の南側から出た先も小さな谷地形となっており、池からの水路は
ここを流れていたことが容易に判る。
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駒場池からの流れを合流し、空川は南側の目黒川を目指して流れていた。
その先で淡島通りと交差する。
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淡島通りの南側の脇に松見坂地蔵尊が建立されている。
現在の淡島通りは古くは瀧坂道と呼ばれ、この付近に道玄物見の松と呼
ばれる松があったことが松見坂の由来である。
賊徒の道玄(大和田太郎道玄)が、松の上から往来する人々を狙っていた
という。
この道玄、渋谷の道玄坂にもその名を残している。
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松見坂地蔵尊は空川に架かる遠江橋付近が旧上目黒村の出入り口にあ
たるため、村へ侵入しようとする厄を除けるために建てられたようだ。
地蔵尊は昭和20年の空襲で被災し、現在の地蔵尊は旧地蔵尊を埋めた
地の上に建立されたと言われている。

地蔵尊の敷地内には明治23年(1890)に架橋された遠江橋の親柱も保
存されており、「とほとうみはし」と刻まれた文字を読める。
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遠江橋付近から、空川は二筋に分かれていたようだ。
東側の水路は、地蔵尊脇から暗渠道として辿ることができるが、その先、
山手通りにぶつかって終わってしまう。
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西側の水路は、山手通りの西側を蛇行する道路として辿ることができる。
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その道路も国道246号線との交差手前で山手通りへと出る。
この辺りで東西の水路は再び合流していたようだ。
因みに写真左にある茶色の建物は、国土地理院地形図の販売元などで
知られる日本地図センター。
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この先、空川は扇状に幾筋かの流れに分かれ、周囲の田圃を潤していたようだ。
但し、区画整理されてビルや住宅が立ち並ぶ現在では、その流路は判ら
なくなっている。
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戦前の地図には、現在の大橋JCTの南、氷川橋付近で目黒川へと合流
する空川が描かれている。
2016-07-30_67.jpg

こちらは山手通りの西側の中の橋、この辺りでも空川が目黒川へと落ちて
いたと想像されるが、その痕跡はなにもない。
2016-07-30_73.jpg

《参考資料》
『めぐろの文化財』 目黒区教育委員会


  
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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