三ヶ村用水 2
引き続き、三ヶ村用水の本流を辿っていく。
二ヶ村用水と別れたあと、道路の左側に暗渠が出現する。
用水の暗渠といっても、ここには水は流れていない。
畑で農作業をされてる方に話を伺ったが、大雨の時しか水は流れないようだ。
かつてこの辺りの水田を潤したであろう用水は、周辺の都市化とともに雨
水排水路と変化してしまったようだ。
4~5kmほど西の府中用水の上流部では今なお、こんこんと水が流れて
いることを考えると、残念な気がする。

その先、住宅街の中をコンクリート蓋が続いていく。

その暗渠を辿っていくと都立府中東高校の北を蛇行しながら東へと進む。
この辺りの水路を車堀と称していたらしい。
車堀という名の由来は、高校の北東、押立町2-43付近に水車があった
ことからだとか。

バス通りを越えると用水跡は飛田給緑道として現れる。

緑道はわずか200メートルほどに長さだが、道路脇の草木が目を楽しませ
てくれる。

円弧を書くように右へと曲がり、中央道の北側で途切れる。

少し左に行くと支流の瀬戸堀(後述)と合流、中央道の高架下から再び暗
渠が現れ、南へと流れている。
早川と呼ばれる流れであるが水源があるわけでもなく、実態は三ヶ村用水
の続きである。

迂回しながら辿って行くと、右から二ヶ村用水の本流が合流してくる。

早川はこの先、200メートルほど開渠となり、更には住宅の裏を通って長瀞
川に合流するが、二ヶ村用水の項で紹介しているのでそちらを参照願いたい。
さて、前項冒頭で三ヶ村用水は現在の小柳町や押立町において多くの支
流を見ることができると記した。
多くの支流の中から4つほど辿ってみたので、写真を中心に紹介したい。
向田堀
三ヶ村緑道の北端近くから東へ折れて、三ヶ村用水・二ヶ村用水接近地点
へと流れる。
前項で説明した石井神社は、この向田堀沿いに鎮座する。
堀名はこの地域の集落名に由来するらしい。


裏堀
妙光院下水系が合流する東郷寺下交差点付近で本流から分かれ、しみ
ず下通り沿いに流れる水路、流末は根堀川上流部に合流する。
小田分村の部落の裏を流れていたことに由来する。
しみず下通りの南側に地下水汲み上げのポンプ場があった。
今は使われていないのだろうか。

西武多摩川線との交差手前、畑の中を通っている。

一度、しみず下通りの北側に出た後、再び南側へと戻ってくる。
道路の脇にはコンクリ蓋の暗渠が続く。

その先、通りからちょっと離れて東へと向かっている。


最後は白糸台第二公園という児童公園脇を流れ、根堀川に合流。

前どぶ
裏堀の上流部から分かれて、本流(車堀)へと落ちる400メートルほどの
短い堀である。
小田分村の部落の前を流れていたことに由来するという。



瀬戸堀(三御殿堀)
六中角交差点付近で裏堀から分かれて早川へと流れ込む堀。
三御殿堀(サグテン)緑道と称する緑道沿いに進む。

資料とした『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』では、
前述の裏堀の一部をサグテン堀と称していたとしているが、ちょっと疑問が残る。

その先、マンションや住宅の脇、畑の中を縫うように進む


訪れた時は6月の農繁期であったが、水は流れていない。
やはり、現在は雨水排水路化しているようだ。

道の左右に畑が広がる。
都市の中に突如として現れたのどかな風景である。

畑の中を進んでいくと、先ほどの早川の北へと出る。

《参考文献》
『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』 府中市教育委員会編

二ヶ村用水と別れたあと、道路の左側に暗渠が出現する。
用水の暗渠といっても、ここには水は流れていない。
畑で農作業をされてる方に話を伺ったが、大雨の時しか水は流れないようだ。
かつてこの辺りの水田を潤したであろう用水は、周辺の都市化とともに雨
水排水路と変化してしまったようだ。
4~5kmほど西の府中用水の上流部では今なお、こんこんと水が流れて
いることを考えると、残念な気がする。

その先、住宅街の中をコンクリート蓋が続いていく。

その暗渠を辿っていくと都立府中東高校の北を蛇行しながら東へと進む。
この辺りの水路を車堀と称していたらしい。
車堀という名の由来は、高校の北東、押立町2-43付近に水車があった
ことからだとか。

バス通りを越えると用水跡は飛田給緑道として現れる。

緑道はわずか200メートルほどに長さだが、道路脇の草木が目を楽しませ
てくれる。

円弧を書くように右へと曲がり、中央道の北側で途切れる。

少し左に行くと支流の瀬戸堀(後述)と合流、中央道の高架下から再び暗
渠が現れ、南へと流れている。
早川と呼ばれる流れであるが水源があるわけでもなく、実態は三ヶ村用水
の続きである。

迂回しながら辿って行くと、右から二ヶ村用水の本流が合流してくる。

早川はこの先、200メートルほど開渠となり、更には住宅の裏を通って長瀞
川に合流するが、二ヶ村用水の項で紹介しているのでそちらを参照願いたい。
さて、前項冒頭で三ヶ村用水は現在の小柳町や押立町において多くの支
流を見ることができると記した。
多くの支流の中から4つほど辿ってみたので、写真を中心に紹介したい。
向田堀
三ヶ村緑道の北端近くから東へ折れて、三ヶ村用水・二ヶ村用水接近地点
へと流れる。
前項で説明した石井神社は、この向田堀沿いに鎮座する。
堀名はこの地域の集落名に由来するらしい。


裏堀
妙光院下水系が合流する東郷寺下交差点付近で本流から分かれ、しみ
ず下通り沿いに流れる水路、流末は根堀川上流部に合流する。
小田分村の部落の裏を流れていたことに由来する。
しみず下通りの南側に地下水汲み上げのポンプ場があった。
今は使われていないのだろうか。

西武多摩川線との交差手前、畑の中を通っている。

一度、しみず下通りの北側に出た後、再び南側へと戻ってくる。
道路の脇にはコンクリ蓋の暗渠が続く。

その先、通りからちょっと離れて東へと向かっている。


最後は白糸台第二公園という児童公園脇を流れ、根堀川に合流。

前どぶ
裏堀の上流部から分かれて、本流(車堀)へと落ちる400メートルほどの
短い堀である。
小田分村の部落の前を流れていたことに由来するという。



瀬戸堀(三御殿堀)
六中角交差点付近で裏堀から分かれて早川へと流れ込む堀。
三御殿堀(サグテン)緑道と称する緑道沿いに進む。

資料とした『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』では、
前述の裏堀の一部をサグテン堀と称していたとしているが、ちょっと疑問が残る。

その先、マンションや住宅の脇、畑の中を縫うように進む


訪れた時は6月の農繁期であったが、水は流れていない。
やはり、現在は雨水排水路化しているようだ。

道の左右に畑が広がる。
都市の中に突如として現れたのどかな風景である。

畑の中を進んでいくと、先ほどの早川の北へと出る。

《参考文献》
『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』 府中市教育委員会編

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