大丸用水新堀
大丸用水菅堀から分かれて稲城長沼駅周辺を流れ、再び菅堀へと戻る
1.5kmほどの水路、大丸用水新堀を紹介しよう。
南武線南多摩駅から大丸用水親水公園沿いに歩くこと約1km、大丸地区
会館の先で、菅堀から新堀が分かれていく。(駅は稲城長沼の方が近い)
写真左側が新堀である。

短い区間ではあるが、水路沿いに遊歩道が設けられている。

その先の橋の脇では、宿堀からの水が流れ込んでいる。
宿堀は大堀の上流部で水を分け、南武線と交差した後は、線路北側の道
路沿いを暗渠で流れる水路である。

その橋から西へ100mほど歩いた場所に但馬稲荷神社が鎮座する。
創建年代はわからないが、社殿の扁額には文久2年(1862)の文字が見
えるので江戸期からあった神社であろう。
赤い小さな社が印象的な神社である。

南武線の脇まで来ると、その先は暗渠となってしまう。

稲城長沼の南口に水が流れていない堀をみることができる。
駅南口の整備事業に伴い、流路変更が行われたためである。
現在は空堀となっているが、今後の行方が気になる。

流路変更された水路は線路沿いにながれ、駅前広場を過ぎると、真新しい
開渠となって現れる。

その先、新堀は再び暗渠として続いている。
所々にある点検口から水の流れを確認しながら歩いていく。

左手に石橋供養塔や庚申塔、馬頭観世音塔などを集めた石塔群がある。
説明板などは特にないが、集められた石塔は見ごたえがある。
多摩川近くの北堀沿いにも馬頭観世音塔を集めた場所があるが、このよ
うに集められて大切に保存されているのは嬉しい。

途中、何本か新堀からの支流が分かれていくのを目にする。
ただ、分水された支流には水は流れていないようだ。

稲毛大橋へ続く都道と交差した先には、蔵がある旧家などもある。
この新堀に沿う道は旧川崎街道であり、かつては相応の往来があったの
かもしれない。
今は住宅地の中の道路となっており、時折、自動車が通る程度である。

その旧川崎街道をなおも歩いていくと新堀は開渠となり、道路脇に清らか
な流れを見せる。

道路の左側に、北を大きく迂回してきた菅堀が接近してくる。
写真左、ピンクの花が咲いている脇に菅堀が流れている。

そこで新堀が菅堀に合流しているのが判る。

ただ、合流の様子は水が多い農繁期よりも、水が少なく周りの緑も少ない
農閑期の方が見やすいかもしれない。
(上の写真は5月中旬、下は3月下旬の様子である。)

ただ、道路脇の水路はさらに続き、そこを水が流れ続ける。
ここから先は新堀の支流である落堀という区間である。
資料等で予備知識がないと、依然として新堀が続いていると誤解してしま
うだろう。

その落堀は100mほど流れると暗渠となり、南武線高架化に伴い新しく造
られた道路の下を進んでいる。
残念ながら道路下に隠れて、その様子を確認することはできない。
落堀は新設された線路沿いに進み、300メートルほど東、菅堀が南武線と
交差する箇所で合流しているようだ。

そこは菅堀も暗渠となっている場所で、地下での合流を道路の上から想像
するしかない。
《参考資料》
『稲城市文化財地図』 稲城市教育委員会
1.5kmほどの水路、大丸用水新堀を紹介しよう。
南武線南多摩駅から大丸用水親水公園沿いに歩くこと約1km、大丸地区
会館の先で、菅堀から新堀が分かれていく。(駅は稲城長沼の方が近い)
写真左側が新堀である。

短い区間ではあるが、水路沿いに遊歩道が設けられている。

その先の橋の脇では、宿堀からの水が流れ込んでいる。
宿堀は大堀の上流部で水を分け、南武線と交差した後は、線路北側の道
路沿いを暗渠で流れる水路である。

その橋から西へ100mほど歩いた場所に但馬稲荷神社が鎮座する。
創建年代はわからないが、社殿の扁額には文久2年(1862)の文字が見
えるので江戸期からあった神社であろう。
赤い小さな社が印象的な神社である。

南武線の脇まで来ると、その先は暗渠となってしまう。

稲城長沼の南口に水が流れていない堀をみることができる。
駅南口の整備事業に伴い、流路変更が行われたためである。
現在は空堀となっているが、今後の行方が気になる。

流路変更された水路は線路沿いにながれ、駅前広場を過ぎると、真新しい
開渠となって現れる。

その先、新堀は再び暗渠として続いている。
所々にある点検口から水の流れを確認しながら歩いていく。

左手に石橋供養塔や庚申塔、馬頭観世音塔などを集めた石塔群がある。
説明板などは特にないが、集められた石塔は見ごたえがある。
多摩川近くの北堀沿いにも馬頭観世音塔を集めた場所があるが、このよ
うに集められて大切に保存されているのは嬉しい。

途中、何本か新堀からの支流が分かれていくのを目にする。
ただ、分水された支流には水は流れていないようだ。

稲毛大橋へ続く都道と交差した先には、蔵がある旧家などもある。
この新堀に沿う道は旧川崎街道であり、かつては相応の往来があったの
かもしれない。
今は住宅地の中の道路となっており、時折、自動車が通る程度である。

その旧川崎街道をなおも歩いていくと新堀は開渠となり、道路脇に清らか
な流れを見せる。

道路の左側に、北を大きく迂回してきた菅堀が接近してくる。
写真左、ピンクの花が咲いている脇に菅堀が流れている。

そこで新堀が菅堀に合流しているのが判る。

ただ、合流の様子は水が多い農繁期よりも、水が少なく周りの緑も少ない
農閑期の方が見やすいかもしれない。
(上の写真は5月中旬、下は3月下旬の様子である。)

ただ、道路脇の水路はさらに続き、そこを水が流れ続ける。
ここから先は新堀の支流である落堀という区間である。
資料等で予備知識がないと、依然として新堀が続いていると誤解してしま
うだろう。

その落堀は100mほど流れると暗渠となり、南武線高架化に伴い新しく造
られた道路の下を進んでいる。
残念ながら道路下に隠れて、その様子を確認することはできない。
落堀は新設された線路沿いに進み、300メートルほど東、菅堀が南武線と
交差する箇所で合流しているようだ。

そこは菅堀も暗渠となっている場所で、地下での合流を道路の上から想像
するしかない。
《参考資料》
『稲城市文化財地図』 稲城市教育委員会

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