三田用水白金村分水

三田用水白金村分水(白金分水とも称する)を取りあげる。
かつて、現在の日の丸自動車学校辺りの銭噛窪取水口で三田用水を分け、
古川へと流れ出ていた。
白金村分水は古川の北側に建てられた麻布御殿のための上水として開削さ
れたという。
分水は古川を掛樋として越えていたと推定されている。
麻布御殿は元禄11年(1698)、五代将軍徳川綱吉の別荘として建てられた
が、元禄15年(1702)、わずか4年後に焼失してしまう。
享保7年(1722)三田用水は廃止されるものの、その3年後に復活し、以降、
この分水も流域の灌漑用水として維持されていたものと思われる。

白金村分水は前述の通り、恵比寿目黒間の日の丸自動車学校で分水されていた。
その南側には山手貨物線(埼京線)の長者丸踏切がある。
分水はこのやや北側を流れていたと思われるが、線路を渡るにはこの踏切を
利用するしかない。
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線路を渡り、山手線の内側に入った後、目黒区三田と上大崎の間を進んでいく。
かつてはかつて白金長者丸という地名であり、住居表示により上大崎二丁
目という変哲もない町名に変わってしまったが、その名前の良さからか付近
のマンションなどに「長者丸」を冠したものが多い。
なお白金長者については、後ほど自然教育園を紹介する際に述べることとする。
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北東へと辿っていくと、上大崎の住宅街の中に突如として暗渠が現れる。
残念ながら、柵があってその先を辿ることはできない。
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こちらは途中の脇道から入り込んだところ。
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柵で封じられた区間を過ぎると、細い暗渠道が続いている。
いつの日なのだろうか、新しいアスファルト舗装が施されていた。
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白金村分水はこの後、並行する道路に出てきていたようだ。
この先で首都高速2号線(目黒線)と交差する。
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首都高速と交差した先で、行く手に森が見えてくる。
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国立科学博物館付属自然教育園である。
20万平方メートルの園内には武蔵野の自然が残り、数多くの動植物が生
息し、入園するとここが都会であることを忘れさせてくれる。
ここで自然教育園について、紹介しておこう。

寛文4年(1664)、この地に高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷が建てられた。
明治4年(1871)、松平家から明治政府へ返納されると海軍火薬庫、陸軍
兵器支廠として利用され、大正2年(1913)以降は天皇御料地となった。
戦後、文部省の所管となり、昭和24年(1949)には天然記念物及び史跡
に指定、以後、国立自然教育園として公開され現在に至る。
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園内に入ると土塁が至るところにあるのに気づく。
柳下上総之助という者が応永年間(1394~1428)、白金の地に移り住み、
この地に館を築いたという話が伝わる。
以後、柳下家は代々郷士として、元和年間(1615~24)近隣の地に移住す
るまでの間、「白金長者」と言われるまでに富豪として繁栄したという。
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土塁は野火止め、あるいは館の防御のために造られたと想定されている。

また園内には3か所の湧水があって、池を作っている。
(写真は「水鳥の沼」と称する園西部の池)
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3つの湧水から出た水は合流し、湿地帯の中を小流となって流れ、園北部
へと向かっている。
その先には土塁が立ちはだかるのだが、土塁の下には木管が設けられ、
水は木管を通って外部へと流されているという。
その木管を閉じれば土塁内の湿地帯は堀となり、館の防御力が上がると
いう用途もあったらしい。
2016-03-21_20.jpg
現在はそのまま下水道へと流されているのだろうか。
園の北側の湿地帯は立入禁止区域なので、流れを追うことはできない。

自然教育園の北側に戻って、白金村分水を追っていこう。
水路は北の古川に向かって進んでいく。
おそらく自然教育園からの湧水も白金分水に合流していたのだろう。
分水開削以前に湧水からの流れがあったはずだから、この先の分水は元
々あった小川の流路を利用して造られたということも考えられる。
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水路からちょっと外れた路地にあった井戸、充分、現役のようだ。
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その先で再び細くて蛇行した道路が続くこととなる。
こちらも先ほどと同様、新しく舗装が施されたらしい。
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この暗渠道には、古い燈孔(昭和初期に造られた管渠内の照明用蓋)が残
っている。
舗装が新しくなっても、こちらは無事に残されたようだ。
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都道305号線を越してさらに北へと向かう。
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再び首都高速と交差して、その先、狸橋の下流で、白金村分水は古川に合
流していた。
狸橋から下流側を見ると右岸に吐口が見えるが、ここが合流地点である。
冒頭に記載したように、当初は掛樋で渡り対岸の麻布御殿に水を引きいれ
ていたと思われるが、どのような風景だったのか知る術はない。
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《参考文献》
『港区の文化財第6集 高輪・白金』 港区教育委員会編



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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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