三沢川 2

三沢川は、稲城の市街地へ向かって緩やかに下っていく。
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勾配は緩やかであり、歩いている限りは下っているという感覚はあまりないが、
ところどころにある段差が、そのことを教えてくれる。
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行く手に武蔵野南線(貨物線)が見えてくる。
貨物線はこの三沢川の谷を渡るためにトンネルから出て、三沢川や京王線
を高架で渡った後、再びトンネルへと突入する。
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武蔵野南線をくぐった先でようやく谷を抜け、稲城の市街地へと出てくる。
黒川から北東へと向かって流れていた三沢川はここで東へと向きを変える。
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そのカーブの手前、亀山橋の脇に長沼城・報恩寺跡地の碑がある。
現在の稲城駅から、かつては北にのびる舌状台地があり、亀山と呼ばれていた。
碑文には、「この地はその昔、源頼朝に仕えた武将、長沼五郎宗政一族の館
(長沼城)とはいわれ(中略)、また江戸時代中期建立され、明治の末年廃寺
となった報恩寺の跡地でもある。」と書かれている。
但し、『武蔵名所図会』には武蔵七党(武蔵国を中心とした同族的武士団)の
うちの西党であった長沼二郎大夫職人の子孫の館跡であり、「城地といふに
あらず」とも記載されているという。
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長沼城跡とされていた台地は、昭和38年(1963)、砂利採掘工事のために
切り崩され、残念ながら今となってはその跡を知る術はない。

川沿いには桜並木が続く。
両岸には歩道が続き、ジョギングやウォークキングなどを楽しむ人が多い。
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欄干橋のたもとには、地蔵菩薩が建っている。
明和元年(1764)、長沼村の願主29名により建立されたという。
三沢川はかつて蛇行しており、南にある常楽寺の参道の川沿いに建ってい
たが、川の改修とともに当地へ移設された。
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その天台宗の樹光山常楽寺は欄干橋から100mほど南へ行ったところにある。
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行基が天平年間(729~749)に庵を造ったという伝説があるが定かではない。
永禄元年(1558)、比叡山で修行した僧、良順が再興したという。
阿弥陀堂には東京都有形指定文化財の阿弥陀如来像と両脇侍像が安置
されており、平安末期の制作と伝わるという。

稲城市役所の南をさらに東進していく三沢川。
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南の丘陵からはどころどころに小さな支流が合流している。
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また稲城の名産として梨があるが、川沿いにも所々に梨畑を見ることができる。

さらに川沿いを歩いていくと三沢川親水公園があり、子供たちの歓声が聞こ
えてくる。
芝生のスロープが広がり、付近住民の憩いの場となっているようだ。
これまで、様々な川の親水公園を見てきたが、かなりハイレベルの親水公園
だと思う。
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三沢川親水公園は京王よみうりランド駅の北に位置するが、駅の西にある
臨済宗の雲騰山妙覚寺に立ち寄ってみる。
室町末期、足利義晴(第12代将軍 1511~50)の開山で、鎌倉の建長寺
の末寺として建立された。 
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境内には享徳3年(1454)、逆修供養(自己の極楽往生を祈願すること)
のために建てられた「板碑」(写真左)や、学業指導の功績と徳をたたえて
嘉永7年(1854)に建立された「筆塚」など文化財も多い。
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境内には梅林もあり、梅の名所としても有名である。

三沢川に戻って下流に歩いていくと京王線と交差する。
その先、南側にはこんもりとした天神山と呼ばれる丘陵が迫る。
この丘陵には穴澤天神社や小沢城址などみるべきところが多い。

まずは川沿いの湧水から見てみよう
穴澤天神社の湧水と称され、東京の名水57選の一つに指定されている。
ここの湧水は次々と水を汲みに人が訪れ、訪問時にもシャッターチャンスに
困るほどだった。
写真の鳥居の先には弁天洞窟があり、石仏を安置した跡が見られる。
(石仏は明治4年(1872)、南西に位置する威光寺に移転)
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湧水の裏手の階段を上っていくと、山の中腹に鎮座する穴澤天神社の境内
に出る。
創建は孝安天皇4年(紀元前389)というが、縄文時代にあたり、これはなに
がなんでも疑わしい。
元禄7年(1694)、社殿を改修して菅原道真公を合祀した。
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穴澤天神社は江戸名所図会にも描かれている。
三沢川が流れ、その上には先ほどの洞窟が「巌窟」として描かれている。
左上には穴澤八幡の社殿があり、現在の位置関係ともマッチしている。
三沢川の対岸には「水車」と書かれた家屋(画面中央下)があり、三沢川の
流れを利用した水車があったことが判り、興味深い。
谷之口穴沢天神社
江戸名所図会『谷之口 穴沢天神社(国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

天神社から更に上っていき、小沢城址を目指す。
境内から直接上っていく道はかなりの急傾斜、遠回りしても裏の道路から
アプローチしたほうが楽であろう。
城跡には詳しくないが、神社から上がる道は縦堀(空堀)のようである。
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山の上の城跡は緑地公園として保存され、物見櫓や土塁などの遺構が残る。
現地の説明板によると、鎌倉初期に源頼朝の重臣で小沢郷の領主、小沢
三郎重成(もしくはその子の小次郎)の居城として造られたという。
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小沢城の付近は度々、合戦の舞台となった。
元弘3年(1333) 分倍河原の戦い(新田義貞VS北条高時)
観応2年(1351) 足利尊氏による弟義に対する追討(尊氏方武将は高麗経澄)
永正元年(1504) 北条早雲と山内上杉顕定の戦い(長享の乱の一戦)
享禄3年(1530) 小沢原の戦い(北条氏康VS扇谷上杉朝興)

三沢川を下っていくと、東京都と神奈川県の都県境となり、再び神奈川県
(川崎市多摩区)へと入っていく。
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小沢城址の山の下を流れる三沢川、川沿いには歩行者道が続いている。
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左岸から大丸用水大堀清水川)が合流する。
大丸用水大堀は、南武線鉄橋の上流にある大丸用水堰で多摩川から取水し、
南多摩駅北口付近の分量樋で分かれ、大丸村の田畑を潤していた用水である。
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三沢川は大丸用水からの水を受け入れ、稲田堤方面へと向かう。

《参考資料》
『稲城市史』 稲城市編
『稲城市の歴史と文化財』 稲城市教育委員会編




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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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