深大寺用水東堀 2

引き続き、深大寺東堀を追っていく。
柴崎緑道は公園の東側で終わってしまうが、その先も歩行者用道路として柴崎2
丁目の住宅街の中を続いている。
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堀跡の歩行者道は宮の上交差点付近でいったん一般道に合流、そして交差点
から東へ100メートルほど行った地点で再び暗渠道が左へと折れる。
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ここの歩行者道は未舗装、左側の擁壁は古い護岸跡であろうか。
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その先の左側に寺院が三軒ほどある一画がある。
まずは仏迎山延浄寺、浄土真宗の寺院で、寛永9年(1632)、西照坊の開基
により日本橋浜町に建立。
その後、明暦の大火により築地に移転、当地には関東大震災後の区画整理の
ため、昭和4年(1930)に移転してきた。
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坂を上ると、光源寺(写真手前)と寿林寺(写真奥)が並んで建つ。
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光明寺光源寺は元和元年(1615)、佐々木専祐により日本橋浜町に建立。
平源山寿林寺は永禄7年(1564)、寿林尼により芝金杉に創建された寺院。
延浄寺同様、ともに関東大震災後にこの地に移転してきたという。
ただ、どちらも鉄筋コンクリートに建て替えられおり、古刹のような奥深さは感
じられない。

中央高速道路より北側では、東堀は入間川沿いに設けられていたが、この付近
では光源寺や寿林寺付近を尾根として、北に入間川、南に深大寺用水と、別々
の谷を流れている。
ともに10メートルほどの谷であるが、用水路が谷を造るわけではないので、
もともとこの地を流れていた川を利用して、深大寺用水が開削されたのだろう。

その先の北側にはつつじヶ丘公園があり、その窪地の中にらんせん池と呼ばれる
池がある。
明治期末期から昭和にかけての政治活動家である田中澤二(1887~1955)
が当地に居を構え、湧水を利用して自然庭園を造り、池を掘ったという。
らんせん池の由来は田中澤二のペンネームである蛍澤藍川に因み、彼の死後に
弟子たちによって名づけられたものである。
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東堀に戻り、進んでいくと道路脇に緑地帯がある。
緑地帯の中にはマンホールがあり、ここが東堀の跡であることを語ってくれている。
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その先の道路の左側には窪地となり、その窪地の中を蓋暗渠が続いているが、こ
れは入間川の支流。
深大寺用水と間違えやすいが、暗渠はその先、入間川が流れる東へと曲がって
いくのですぐにわかる。
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深大寺用水は甲州街道に出るが、その西側にあるのが曹洞宗の大雲山金龍寺
栄西禅師により建永元年(1206)に開基されたというから、相当の古刹である。
もともとは金子弁財天社(現金子厳島神社 深大寺用水西堀2参照)に安置さ
れた南光坊と称する堂宇であったらしい。
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もとは臨済宗の寺院であったが、文禄3年(1594)に曹洞宗に改宗、寛文5年
(1665)に当地に移された。

甲州街道に達した深大寺用水東堀は、街道の南沿いを西へと進む。
この辺りは旧金子村、深大寺用水開削以前の天保14年(1843)に描かれた
「金子村絵図」には既に水路が記載されている。
これは品川用水の分水である根田耕地用水であり、深大寺用水はこの水路を
流用したものであるらしい。
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しばらく甲州街道沿いを歩き、坂を下っていくと、その先で左に入る。
道路沿いにはコンクリートの歩道が続く。
京王線のガードの手前で、本流から右へ大町分水が分かれていた。
その水路名は現菊野台付近にあった大町村にもとづくもの。
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先にその大町分水を追ってみよう。
未舗装の道を数十メートルほど歩くと、畑が広がり、道が二又に分かれる。
ここで水路は2つに分かれていたようであるが、左は京王線に突き当たって終わって
しまうので、ここは右側の道を進んでいく。
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畑の脇の道を進んでいくが、その道の中央には明らかに用水の護岸壁とわかるコン
クリート壁跡が続いている。
なお、京王線はこの道路を小さな架道橋で越えているので、このまま進めば線路
の反対側へと出ることができる。
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線路を越えた後はしばらく一般道が続くが、品川通りを越えた先、大町分水は、
菊野台第3緑道として現れる。
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緑道は100メートルほど続き、市民大町スポーツ施設に突き当たる。
スポーツ施設の敷地内には水路跡は確認できないが、その南側を流れていた
大寺用水西堀
と合流し、野川へと向かっていた。

さて、大町分水との分岐点へと戻り、深大寺用水東堀の本流を辿る。
京王線を越えた先、西つつじヶ丘4丁目の住宅街に歩行者道が続く。
こちらの歩行者道は、道路の中央部に幅数十センチのアスファルト舗装が続くと
いうもの。
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本流も先ほどの大町分水と同様に品川通りを越えて東へと進む。
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その先は調布市と狛江市に跨る巨大な神代団地、昭和40年(1965)に完成した。
団地ができる前は「金子田んぼ」と呼ばれる田園地帯であったようだが、今では水
路跡さえ確認できない。
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深大寺用水は小金橋脇で野川へと合流する。
以前は雨水管のごく普通の吐口があるだけだったが、平成25年、入間川下流
部の浸水被害を防ぐために入間川分水路が建設され、その吐口として改修された。
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かつては入間川源流の枯渇が一因として開削された深大寺用水、その
東堀の吐口が近年、このように利用されたということに。入間川との
因縁を感じざるを得ない。

《参考文献》
『調布の古道・坂道・水路・橋』 調布市教育委員会編



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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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