梶野新田分水 1

梶野新田分水は下小金井村地先で玉川上水を水を分け、梶野新田・染谷新田・
南関野新田・井口新田・野崎新田・上仙川村などに導水するために造られた
二里余り(8km)の吞用水である。
分水願いは享保十年(1725)から度々提出され、許可されたのは享保19年(1734)
、そしてまもなく用水路に水が流れたようである。
(許可年については三鷹市史の記載に基づくもので、築樋付近にある小金井市教
育委員会による説明板には享保17年という記載がある)

さらには明治4年(1871)、梶野新田分水の下流に深大寺用水を開削するにあた
り、上流部の砂川用水を含めて水路の拡張が行われた。
それまでの梶野新田分水は細い水路であったが、幅1.2m、深さ0.7~1.2mに掘
り下げたという。

それでは梶野新田分水を追うことをしよう。
開削当時の玉川用水からの取水口がどこにあったのかは、はっきりしない。
これは明治3年の分水口改正で、梶野新田分水を含めて国分寺用水や小金井
分水などの上水南側の分水が、砂川用水からの取水に改められたからである。
本ブログ 砂川用水の項では関野橋までを辿って紹介したので、その続きとして関
野橋から水路を追ってみることにしよう。

玉川上水に架かる関野橋の南側に空堀を見ることができる。
2015-12-19_3.jpg

その空堀は、玉川上水の南側に沿ってしばらく進んでいく。
写真でみるように玉川上水から一般道をはさんで水路が進んでいるが、玉川上水
が偉大すぎるため、地味なこちらの水路には目を向けにくい。
2015-12-19_6.jpg

その先で梶野新田分水は向きを東南方向へと変え、玉川上水から離れていく。
但し、水路沿いに歩くことはできないため、玉川上水沿いの道に戻りながらその用水
を追っていくことになる。
2015-12-19_11.jpg

梶野橋から南へ続く一般道へと顔を出した梶野新田分水の開渠。
まだ追い始めて数百メートルだが、開渠として確認できるのはここまで、この先は水
路跡として追っていくことになる。
2015-12-19_17.jpg

その一般道沿いに百メートルほど南へと進んだ後、再び南東へと進行方向を変える。
水路跡の草地が続いているが、ここには柵が張り巡らせれており立ち入ることはできない。
この先で仙川との築樋があるのだが、残念ながら大きく迂回を強いられる。
2015-12-19_19.jpg

そしてその仙川との築樋(つきどい)がこちら、ここで梶野新田分水は谷を渡り、
と立体交差することになる。
先ほど柵によって侵入が妨げられると言ったが、下流側からは柵もなく入ることができる。
とはいえ、水路沿いには住居が立ち並んでいるので、訪れる際は迷惑にならぬよう
に気をつけたい。
コンクリートの側壁は、近年になって付けられたものだろうか。
2015-12-19_29.jpg

こちらは下の仙川から見た築樋、その高さは4メートルほどである。
2015-12-19_25.jpg
この仙川、江戸期には長窪の水流と呼ばれる悪水路(排水路)であったが、築樋
と悪水路が梶野新田と下流の境村との抗争の種にもなった。
悪水路は大雨のたびにあふれ出て築樋を破壊してしまうのである。
その後、築樋の補強によって破壊することはなくなったが、その後も境村の農民が水
害にあうのを避けるために堤を築いたことが原因で、長雨時に溜まった悪水が勢い
よく堤を超え、築樋が壊されてしまうという事件も起こったようだ。

梶野新田分水は築樋の後、梶野地区を南下していく。
築樋のところにある説明文によると、「ほっこ抜き」と呼ばれる暗渠であったという。
現在は、水路跡とおぼしき歩道が続いているが、前述の明治期の水路拡張時に
開渠化したとも考えられる。
2015-12-19_31.jpg
なお梶野新田は上小金井村の名主、梶家により開発された新田であり、大麦・小
麦・粟・稗・菜・大根などが栽培されていたようだ。

その先、道路の左側に白い塀が続く場所が、曹洞宗の恵日山長昌寺である。
梶野新田における菩提寺として、明和4年(1767)、栢間村(現埼玉県菖蒲町)
から引寺してきたという。
2015-12-19_37.jpg

北大通りを越えてJR中央線までの区間は並木道が続く。
2015-12-19_38.jpg

JR中央線の北側で、梶野新田分水はそのまま南下して連雀通り沿いに進む水路と、
富士見通り沿いに南東方向へ進む水路に分かれていたようだ。
まずは前者の水路を追ってみて、後者の水路は次項で紹介することにしよう。
(2本の水路は、東町2丁目で再び合流する。)
2015-12-19_42.jpg

中央線の南へと出て、日本歯科大グラウンドの東側の歩行者道が梶野新田分水
の跡のようだ。
2015-12-19_44.jpg

その歩行者道を辿って更に進むと、住宅街の中に水路跡の空間を見つけることができる。
残念ながら柵があって立ち入ることはできない。
どうやら水路跡沿いのお宅が菜園に利用しているようだ。
2015-12-19_47.jpg

迂回していくと、小金井市立東小学校の西側の一般道へと出る。
2015-12-19_51.jpg

やがて道路は西武多摩川線の新小金井駅前へと出る。
小金井市文化財センターに展示されている古い小金井市の地図を見ると、水路は
線路沿いに流れていたようだ。
普通に考えればそのまま直進するのが自然かと思われるが、鉄道開通時に流路変
更が行われたのかもしれない。
2015-12-19_53.jpg

新小金井駅から100メートルほど行くと、連雀通りに出る。
ここで梶野新田分水は、西から流れてきた小金井分水の末流と合流し、向きを東
へと変え、連雀通りに沿って流れていた。
2015-12-19_57.jpg

その連雀通りの南側にあるのが笠森稲荷神社
縁起・由緒などは明らかではないが、元文元年(1736)の創建といわれる。
小さな社殿だが、参道に続く赤い鳥居が目立つ。
2015-12-19_59.jpg

その先、連雀通りの北側には菅原道真を祭神とする南関野天神社が鎮座する。
境内にある石碑には次のように由緒が記載されている。
関野新田(南関野)開発に当り守護神として奉斎す。
享保7年正月中創建と伝う。
   ※享保7年=1722年
本殿は小金井神社から祠を移築したという。
2015-12-19_66.jpg

連雀通りは三鷹市方面へ東進する。
残念ながらというべきか、当然のことというべきか、通り沿いに梶野新田分水を思わ
せるものは何一つない。
2015-12-19_69.jpg

《参考資料》
『小金井市誌Ⅱ 歴史編』 小金井市
『小金井市の歴史散歩』 小金井市教育委員会編
『三鷹市史』 三鷹市
『対話 深大寺用水』 調布市郷土博物館編



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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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