二ヶ領用水 江川堀

二ヶ領用水を東京湾まで追いたくなって、その末流、江川堀を歩いてみた。
前項、大師掘の文末で記した通り、花見橋バス停前交差点付近で、大師堀は殿
町堀と江川堀に分かれる。
殿町堀は多摩川沿いへと向かうが、残念ながら工場地帯となり行く手を阻まれる。
ということで、大師堀に続いて江川堀を追うこととした。
しかしながらその痕跡は全くといっていいほど無いため、いくつかの地図を参照
してみた。
ただ、二ヶ領用水の末流ということもあり改修されたようで、時代によってその
ルートは変わっているようであるが、今回は明治期の地形図を参考に辿ってみた。

※ 高津区と中原区の境を流れ、江川せせらぎ遊歩道で知られる江川とは
  別の水路である。江川についてはこちらをご覧頂きたい。

大師堀から分かれた殿町堀は味の素の工場の中へと入っていくが、江川堀は
大師道に沿って流れていたようだ。
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300mほど行くと京急大師線、川崎大師駅前に達する。
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駅から100mほど行くと若宮八幡宮が鎮座している。
創建年代は不詳、多摩川対岸の六郷神社(六郷用水中根堀参照)の氏子たち
が開拓のために大師河原へ移り住んだ際、、御祭神を分祀したのがはじまり
と言われる。
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境内には二ヶ領用水に架かっていた橋が移設・保存されている。(但し、欄干
は後から模造で造られたようである。)
ただ、どこに架かっていたものなのかは判らない。
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そしてもう一つ、境内社として金山神社がある。
もとは川崎大師駅東踏切付近にあったが、大正時代に八幡宮境内に遷座。
金山比古神と金山比売神を祀り、伊邪那美命が火の神カグツチを生んだ際、
下半身に大やけどを負い、両神が看護したという伝説から、お産・下半身の病
気の守護神ともされ、子授け・夫婦円満の神社とされる。
性信仰の神社ゆえに、境内には立派な男根の鋳物が奉納されている。
さすがに本サイトでの掲載は憚れるので、幟の絵柄だけに留めておこう。
毎年4月に行われる「かなまら祭」も有名で、外国人見学客も多いという。
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また、境内の建物には郷土資料室もあり、昔の漁具・生活用具などを展示して
おり、別室では性に関する器具の展示(こちらは十八禁)もあり興味深い。

駅前を通っていた江川堀は、大師線の南を東進する。
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500メートルほど行くと五差路があり、明長寺の裏を通る100メートルほどの歩
行者用道路がのびている。
明治期の地図と照合すると、この歩行者道は江川堀の水路と一致する。
江川堀の中で唯一、水路の痕跡が確認できる場所である。
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その恵日山明長寺は天台宗の寺院、文明年間(1469~87)に創建したと伝え
られる。
現在の本堂は明和2年(1765)に再建されたものである。
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ここで、関東三大師の一つ、川崎大師に立ち寄ってみた。
あまりにも有名かつ大規模な寺院であり、多くの参拝客が訪れ、参道には飴菓
子屋などの商店が建ち並ぶ。
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正式名を金剛山平間寺といい、創建は大治3年(1128)。
この地で漁労を業としていた平間兼乗が、夢枕に高僧のお告げを受けて海中
より、弘法大師の木像を引き揚げた。
諸国を廻っていた高野山の尊賢上人がこの地を訪れた際、木像を供養し、平
間寺を建立したのに始まるという。

大師堂
江戸名所図会大師河原 大師堂』  (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

本殿の東につるの池と称する池がある。
その池の説明文の中に「往時は多摩川から分水した二ヶ領用水が池に入り、
鶴や鴨が悠々として遊んだという
」という記述がある。
どのようにして取り入れていたのかは判らないが、この付近には江川堀以外
にも大師掘から分かれた水路があり、恐らくそちらを経由して池に注がれてい
たのではないだろうか。
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さて江川堀に戻ろう。
明治期の地図では、さきほどの明長寺裏から円弧を描くように北へと向かい、
京急の東門駅脇を通って大師道へと出ている。
しかしながらこの付近は区画整理されており、そのルートの痕跡は全くない。
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大師道の北側に沿って建てられているのが、天台宗の千蔵寺がある。
江戸時代の創建とされるが、詳細は不明。
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門前にある説明によると本尊は厄神鬼王、のみと小槌で病根を削り取る厄除
けの鬼という。
そのため、節分祭では「鬼は内、福は外」と言って豆まきを行うそうだ。

江川堀は大師道の北側付近を流れていたらしい。
途中、首都高の大師インターを通るが、この敷地のどこかを流れていたのだろう。
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産業道路を過ぎると、向きを南東に変え、小島新田駅方面へと進んでいたようだ。
その途中にある江川ふれあい公園、この公園を横切るように水路があったの
であろうと思われる。
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公園を過ぎると京急大師線の終着駅である小島新田駅が見えてくる。
江川堀はこの線路の北側を流れていたようだ。
駅名ともなっている小島新田は、江戸時代後期に小島六郎左衛門と池上七左
衛門が干拓し新田開発を行ったことに由来する。
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江川堀を辿る際に、川崎市のサイトで、小島新田駅南側の遊歩道に江川堀に
架かる御鷹橋の遺構(石の橋板)が移設・保存されていることを知った。
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そこに辿りついてみると、残念ながらそこは京急の工事現場となっており、緑
道もろとも無くなっていた。
反対側の電柱には史跡の位置を示す案内が掲示されており、虚脱感を覚え
ることとなってしまった。
工事終了後、是非とも遺跡を復活させることを願うばかりである。

JRの貨物線を渡ると、東京湾は近い。
そこには川崎市の大師河原ポンプ場があるが、かつてここに江川堀がながれ
ていたことと関係があるのだろうか。
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ポンプ場の脇の道を通り、小さな造船所を回りこむと東京湾の入江に出る。
この辺りで二ヶ領用水 江川堀は海へと流れ出ていたのだろう。
現在は造船所や工場の中にあってその面影をみることは全くできないが、数
十キロを流れてきた用水の水が海へと流れ出る光景はどのようなものだった
のか、想像してみるのも楽しい。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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