二ヶ領用水 川崎堀 2

二ヶ領用水 川崎堀は中原街道を越えて南東方向に進むが、追う前にこの付
近の史跡を紹介しておこう。

中原街道手前の左岸、川崎堀と府中街道に挟まれて立地しているのが、浄土
真宗の覚王山高元寺、二ヶ領用水の開削時期にあたる慶長年間(1596~1615)
に建立されたらしい。
帯刀を許された家来もいることから「侍寺」と呼ばれ、泉澤寺や西明寺とともに
中原御殿(ともに後述)を守護する役割を果たしていた。
また、用水の利水などの争いの調停役として住職があたることもあったという。
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江戸中期には川崎最古の寺子屋が開かれ、明治5年(1872)には「宮内学舎」
と称されるなど、近世から近代初期にかけて教育の場でもあったようだ。

中原街道が架かる神地橋の右岸には、浄土宗の寺院、宝林山泉澤寺がある。
延徳3年(1491)、武蔵国多摩郡烏山(現世田谷区)に世田谷領主の吉良氏の
菩提寺として、吉良頼高が開山した。
その後、天文18年(1549)に堂宇が焼失、翌年、吉良頼康がこの地にに新しく
建立したという。
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川崎堀からは少し離れるが、中原街道を多摩川方面へ向かい、住宅地の中に
御主殿稲荷陣屋稲荷)という小さな祠がある。
小さな祠なのでちょっとわかりづらいが、小杉陣屋町中公園を目指すとよい。
二ヶ領用水を造った小泉次大夫は、ここに陣屋を設け、工事の指揮をしたという。
現在、この辺りの町名である小杉陣屋町もこれに因む。
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その南西、龍宿山西明寺は真言宗智山派の寺院。
創建年代は不明だが、弘法大師がこの地に滞在し高弟泰範上人に命じて堂宇
を建立したとも、北条時頼が開基もしくは中興したとも言われる。
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またこの付近には江戸初期慶長13年(1608)、将軍・大名の宿泊施設として
建てられた小杉御殿があった。
東海道整備以前、中原街道は江戸と西国を結ぶメインルートであり、おそらく
家康もこの中原街道を往来したことであろう。
中原街道はここでカギ型に曲がっているが、これは城下町に見られる防御の
ための工夫であるとされる。
こちらも小杉陣屋町と同じく、小杉御殿町として町名にその名を残す。

さて、川崎堀を辿っていくことにしよう。
武蔵小杉の街に近いためか、ここから先、平和公園あたりまでの区間、ところ
どころに親水用の階段などがみられる。
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その先の右岸に鎮座する今井神社、境内には児童遊具もあり、児童公園とし
ての役割も兼ねているようだ。
創建は不明だが、この地方を一時支配した平重盛が崇拝したと伝えられている。
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南武線と交差した先、右に渋川を分ける。
渋川は元住吉を経て鶴見川へ注ぐ。
川崎堀を流れてきた水の6~7割は渋川へと流れていくようである。
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大半の水を渋川に取られて、川崎堀の水路は細くなる。
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こちらは階段を下りて撮影したもの、玉石張りの護岸は昭和61年以降の親水
化工事で設置されたものだが、二ヶ領用水という歴史的遺産に風情を持たせている。
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やがて鉄道の高架橋が見えてくるが、これは東急東横線・目黒線。
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東急線を越え綱島街道と交差した先、水路沿いに中原平和公園が広がる。
ここには戦前、東京航空計器工場があり、戦後はGHQに接収されて米陸軍出
版センターがあったところで、昭和50年に変換後、平和公園として整備・開放
されたところである。
綱島街道沿いには川崎市平和館が建っている。
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公園内にもこのような親水施設が設置されている。
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公園を過ぎると二ヶ領用水はコンクリート三面張りの水路となる。
またしても取水門が見えてくるが、調べてみるとどうやら鹿島田堰のようだ。
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川崎堀は東海道新幹線の高架下を抜け、蛇行しながら中原区市ノ坪と苅宿の
間を進んでいく。
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その先で横須賀線と交差するが、ここは堀沿いに進めないので南側の御幸跨
線橋へと迂回することになる。
その跨線橋から見た横須賀線をくぐる川崎堀。
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横須賀線と南武線の間を南東方向へと進んでいく。
ここにも、水路際に下りる階段が何箇所か設けられている。
水路沿いには桜が植えられており、水路側へ枝を伸ばしている。
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すっと府中街道の南側を並行して流れてきた川崎堀だが、鹿島田橋で府中街
道の反対側に出る。
その鹿島田橋には古い欄干が残る。
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この先で南武線と交差するが、水路沿いを歩けないので再び迂回していくと、
線路沿いに大師掘町田堀分岐水門がある。
ここで川崎堀は、大師掘(左)と町田堀(右)の二本の堀に分かれていた。
柵に囲まれてうまく写真が撮れず恐縮だが、水門の上は鳥居風になっている。
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道路を隔てて反対側には平間配水所がある。
ここはもともと平間浄水場として昭和14年(1939)に造られたもので、我が国
初の公営工業用水水道事業の浄水場として設立された。
昭和初期、臨海部での地下水汲み上げによる地盤沈下が問題となり、二ヶ領
用水の余剰水ならびに15ヶ所のさく井を水源として、ここ
から工業用水が臨海部の京浜工業地帯に供給されたという。
産業構造の変化に伴う水使用の合理化や工場移転により、平成15年(2003)
に浄水場としての機能が廃止、以降配水所と変更された。
上の写真のコーンに囲まれた箇所が、浄水場の取水口跡である。

《参考資料》
『二ヶ領用水知恵図改訂版』 川崎市建設緑政局編
『散策マップ 二ヶ領用水』 川崎市建設緑政局編
『川崎歴史ガイド 二ヶ領用水』 川崎市文化財団編


   
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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