二ヶ領用水 2

東名高速道路の高架橋から400mほどいくと、左岸から宿河原堀が合流する。
宿河原堰で多摩川から取水されて、この地で本流に合流する水路で、こちらも
水路沿いに遊歩道が続く。
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宿河原堀を合流後、久地駅の西側で南武線と交差する。
ここで久地駅周辺の寺社に立ち寄ってみた。
久地駅の北方にある天台宗の寺院、青龍山龍厳寺
鎌倉時代の創建と伝えられるが不詳、多摩川三十三ヶ所観音霊場15番に指
定されている。
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更に北へと向かうと堰稲荷神社が鎮座する。
こちらも創建は不詳、一説には山城国伏見稲荷大社を勧請して創建したと伝
えられ、堰村の鎮守とされてきた。
新編武蔵風土記稿によれば、家康が江戸へ入る前、七人の農民がこの地に
住み、開拓を始めたのが堰村の始まりとされる。
堰村の名前は、開拓にあたり多摩川に堰を築いたことが由来とされる。
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二ヶ領用水は東へと流れていく。
傾斜が無い地であるためか、水が流れる速度は僅かで、一見すると淀んでい
るようにも見える。
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流れに沿って800mほど歩くと、小さな祠の脇に久地の横土手と書かれた説
明板がある。
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江戸時代中期に築かれた旧堤防であり、当時は川の流れに対して直角に横
土手を築いて洪水時の水勢を弱めるという方法がとられた。
しかし、下流の溝口、二子などの村々が守られる一方、上流の堰村などが洪
水の危険にさらされるということとなり利害が対立、300m進んだところで工事
が中止されたという。

二ヶ領用水はその先で交差するが、その先、100mほど行ったところに久
分量樋跡
の説明碑がある。
分量樋は田中休愚が築いたもので、二ヶ領用水の水を四つの堀に分ける施
設で、各堀ごとの水量比率を保つ役割を担った。
昭和16年(1941)、久地円筒分水(後述)の完成により、分量樋は円筒分水
に役目を継ぎ、廃止された。
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こちらは円筒分水(後述)の脇に説明板に掲載されている明治43年の写真。
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なお、久地分量樋は溝口水騒動(川崎堀1参照)の原因ともなった。


いよいよ二ヶ領用水(本川)は平瀬川へと合流する。
写真の水門は久地円筒分水への取水施設。
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ゆっくり流れてきた水は平瀬川へと勢いよく合流する。
二ヶ領用水を流れてきた水のうち、8割ほどが平瀬川へ流れ、2割は円筒分水
を介して各掘へ分水されている。
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その久地円筒分水を見る前に、周辺にある久地神社と久地不動尊などを説明
しておこう。
久地神社は、合流地点の西側高台に位置する神社。
神社の創立年代は定かではないが、江戸期の神仏習合の時代には赤城社と
称され、溝口神社の兄弟社として、毘沙門天・弁財天を祀っていた。
明治の神仏分離後は、祭神を天照大神と改め、社名を久地神社と改称した。
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久地不動尊は、もとは浅草の新吉原にあったが、不動明王の吉原遊郭の喧
騒に耐え切れず静かな所に移せとのお告げにより移転したらしい。
ただ、計画中に関東大震災が発生し寺は全焼、不動明王は古井戸に飛び込
み、難を逃れたという逸話が残る。
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その久地不動尊へ向かう途中の道脇には弁天堂を祀る池がある。
池は日照りが続いても水が絶えることが無く、「雨乞い弁天」と呼ばれていたという。
柵があって立ち入ることは無いが、湧水池ということだろうか。
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さて、いよいよ久地円筒分水を見ることにしよう。
川崎市高津区水沢付近を水源とする平瀬川は、溝の口付近で洪水を度々起
こし、問題となっていた。
その問題を解決すべく、多摩川右岸農業水利改良事業として、昭和11年
(1936)から平瀬川の流路を変更し、津田山をトンネルで通し、多摩川へ放流
する計画が画策された。
しかし、トンネルの先には二ヶ領用水が久地分量樋で4本の水路に分かれた
二ヶ領用水と交差する必要がある。
そこで改良事務所長であり、土木技師の平賀栄治(1892~1982)は、二ヶ領
用水を平瀬川と交差させ、その下流側で用水を分けることとした。
そうして昭和16年(1941)に完成させたのが、久地円筒分水である。
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円筒分水は円筒に中心部へ水を導水して湧き出し、周辺部に落下して一定の
割合で水を公平に分ける施設で、大正期から各地で造られている。
久地円筒分水では、二ヶ領用水を流れてきた水をサイフォンの原理により平瀬
川を伏せ越して、円筒分水中央部に導水している。
そこから川崎堀根方十三ヶ村堀川辺六ヶ村堀久地・溝ノ口村堀に分け、
耕地面積に応じて、38.471:7.415:2.702:1.575の割合で分水している。
言葉だけではうまく説明できないので、現地の説明板に描かれた平面図・縦断
図を掲載しておこう。
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なお、久地円筒分水は平成10年、国登録有形文化財に指定されている。
現在、二ヶ領用水は殆どその用途を失っているので、円筒分水は土木遺産と
して保存されているのである。

こちらは桜の季節の円筒分水。
この季節ばかりは人も多く、イベントも行われるようだ。
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最後に二ヶ領用水が合流する平瀬川を見ておこう。
久地円筒分水のすぐ脇に、津田山を抜けた平瀬川のトンネルの出口がある。
その抗口は2つあるが、これは上流部の宅地開発により保水力が失われ、豪雨
時の増水でトンネル入口付近で氾濫を起こすようになったため、昭和45年(1970)
に新しいトンネル(写真右側)を造ったのだという。
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平瀬川は二ヶ領用水を合流したあと、久地地区北部を蛇行しながら流れ、新二子
橋の北で多摩川に合流する。
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《参考資料》
『二ヶ領用水知恵図改訂版』 川崎市建設緑政局編
『散策マップ 二ヶ領用水』 川崎市建設緑政局編
『川崎歴史ガイド 二ヶ領用水』 川崎市文化財団編



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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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