野中用水 1

小平市東部から西東京市へ至る野中用水を追ってみた。
野中用水の開削は享保14年(1729)、鈴木用水とともに開削されたと言われる。

他の用水同様、まずは野中新田の成立から説明していくこととしよう。
野中新田開発の契機は、多摩郡上谷保村(現国立市)の円成院(後述)の僧大堅
と、同村居住の矢沢藤八である。
大堅は享保7年(1722)、先手観音の御神籤と毘沙門天の夢のお告げを受けた
として、新田開発の起請文を書いた。
それをもとに、谷保村の百姓ならびに江戸の商人らの証文を取り付け、幕府(代
官岩手役所)へ新田開発の願書を提出する。
翌8年、代官と江戸町奉行与力による検分が行われるが、冥加金(権利金)とし
て250両の上納を求められ、問題が発生する。
そこで、当時、隣接する鈴木新田に出資をしていた上総国万国村(現木更津市)
の野中屋善左衛門に、新田に善左衛門の名を冠し、開発地を割り当てることを
条件として出資を依頼する。
かくして享保9年(1724)、幕府から513町歩の新田開発が許可された。

その後、上谷保村出身の百姓三名による土地の手放し(彼らはもともと土地売
買による利益を目的としたらしい)や、鈴木利左衛門の開発場取り上げ(鈴木
用水1参照)などの経緯を経て、野中新田が成立する。
野中新田は玉川上水の北側、青梅街道沿いを中心に位置する北野中新田、そ
して上水南側の南野中新田と、飛び地状に形成された。

こうして出来上がった野中新田であるが、その広大さゆえに年貢納入などの管
理に不便であることを理由として享保17年(1732)、与右衛門・善左衛門・
六左衛門・利左衛門の4名が名主役となり、与右衛門組、善左衛門組、六左衛
門組および鈴木新田(利左衛門管理)に分けられ、組ごとに年貢の取立てから
上納までを行うようになった。

野中用水は、青梅街道の天神町バス停の南側にある天神町分岐水門大沼
田用水
から分かれる。
流れてきた水はそのまま大沼田用水(写真奥)へと流れており、野中用水(写
真手前)へは流れこまない。
そのため、現在、野中用水は空堀として続いている。
2015-10-03_41.jpg

野中用水は、青梅街道の南側を東へと進んでいく。
この付近、青梅街道を挟んで、北に大沼田用水、南に野中用水が流れている。
2015-10-03_99.jpg

新小金井街道と交わる天神町1丁目交差点の手前では、一度、青梅街道沿い
に顔を出す。
2015-10-03_101.jpg

交差点の先では、素堀の区間も見られる。
但し、そこは私有地であるため、金網越しに眺めるということになる。
2015-10-03_106.jpg

その北側、多摩湖自転車道沿いには小平ふるさと村があり、小平市内の古民
家などを移築復元して保存・展示をしている。
小川新田の名主である小川家住宅の玄関棟や旧小平小川郵便局舎などがあ
り、立ち寄ることをお勧めしたい。
写真は旧神山家住宅主屋。
2015-10-03_114.jpg

また園内には復元した水車小屋もある。
水車は主に脱穀・製粉に利用され、玉川上水の分水各所に設けられたようだ。
同園設置のリーフレットには小平市内の水車について以下の通り記載されている。
小平でも、明和元年(1764)に小川村名主弥次郎が小川の分水を利用して
水車一台を仕掛けたのを皮切りに、明和9年(1772)には大沼田新田に、安
永4年(1775)には小川新田に、寛政10年(1798)、12年(1800)、享保3年
(1803)には野中新田にそれぞれ分水を利用した水車が仕掛けられています。

2015-10-03_110.jpg

野中用水に戻ってみると、相変わらず空堀が東へと進んでいく。
2015-10-03_115.jpg

青梅街道と多摩湖自転車道が交差した先、街道の北側に武蔵野神社が鎮座する。
野中新田開発時の享保9年(1724)、上谷保村から毘沙門天を野中新田に村
の鎮守として遷宮したことに始まる。
以来、円成院(後述)が管理していたが、明治維新の際に分離独立、猿田彦大
神を村鎮守に祭祀して、社号を武蔵野神社としたという。
2015-10-03_119.jpg

青梅街道から南へ通じる道にある橋跡。
2015-10-03_120.jpg

小金井消防署花小金井出張所の東で、水路は2つに別れる。
残念ながら、その分岐を見ることはできない。
2015-10-10_1.jpg
野中用水の本流は真っ直ぐに進んでいくが、北へと分岐した水路は青梅街道
と交差し、街道の北側を東へと流れていた。

先に分水を見ておこう。
青梅街道の北に面した駐車場の奥にはかなり古めかしい橋が残っている。
2015-10-10_7.jpg

さらにはその先、住宅街の中にある駐車場の脇をクランク状に進んでいく。
2015-10-10_10.jpg

小金井街道まで達すると分水は北に方向を変える。
ただ、水路跡は現在、小金井街道の下に埋もれてしまってるようだ。
2015-10-10_15.jpg

小金井街道を東京街道との交差点である北野中交差点まで達すると、今度は
右折して、東京街道の北側を東進するようになる。
そして、この辺りも新興住宅などのため、水路は殆ど残されていないが、一箇
所だけ水路敷が確認できる場所があった。
2015-10-10_40.jpg

分水路はそのまま900mほど続いて、再び本流へと合流していたようだが、そ
の場所については次項で紹介しようと思う。

《参考文献》
『小平市史 近世編』 小平市編


  
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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