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大沼田用水

大沼田用水は、小平市回田町で鈴木用水から分岐して北へと流れて同市大沼
町へと至る用水路である。
現在でも、玉川上水から新堀用水・鈴木用水を経由してきた多摩川の水が流れ
ている。
かつては大沼田新田への田用水、吞水として利用された。

まず最初に大沼田新田の成立から説明しておくことにしよう。
大沼田新田のおおよその地域は、現在の小平市大沼町、美園町のほか、天神
町や花小金井の一部である。
小平市に隣接する東村山市の東部には、野火止用水の開削を契機にひらかれ
た入間郡大岱村(現恩多町付近)という村があった。
享保7年(1722)、日本橋に新田開発の高札が揚げられると、同9年(1724)、
大岱村にも隣接する17町歩が割り渡された。
これが大沼田新田のはじまりとされる。
大岱村の名主、當麻弥左衛門は勝楽寺村(現所沢市)など周辺地域に割り当
てられた開発地を購入するなど、土地を売買して買占めを行っていった。
同様に大岱村の半次郎も開発場の買占めを行い、弥左衛門と半次郎の二人
によって買い集められた土地によって形成されていったという。
享保14年(1729)の時点で、その面積は132町歩に達したとされる。

そのような状況下において、大沼田用水が開削された。
開削時期は資料によって異なるが、享保14年(1729)もしくは同19年(1734)
とされる。
なお、広い大沼田新田の地域にはこの他にも水路が開かれ、小川用水の末流
(現在の小平駅北方)や、野中用水から分岐され江戸街道(現東京街道)に沿っ
て流れる水路もあり、前者を大沼田上分分水、後者を大沼田下分分水とも称される。

さて、大沼田用水を辿っていくことにしよう。
スタートは小平団地の東側、回田町分岐水門鈴木用水から水を分ける。
ここでは鈴木用水沿いに遊歩道が設けられ、水門を観察しやすい。
水路を流れる水のうち、6~7割程度は大沼田用水の方に流れるだろうか。
2015-10-03_4.jpg

私有地を抜け、鈴木街道を渡ると、北へと流れていく大沼田用水が現われる。
2015-10-03_9.jpg

その先は300mほどの蓋暗渠が続く。
暗渠は住宅街の道路の歩道となっており、普通の歩道よりやや高いような気もする。
2015-10-03_14.jpg

蓋暗渠の先は再び開渠となり、住宅の間を抜けていく。
回田道(めぐりだどう)に迂回していくと、鈴木町のマンション街にある鈴木親水
公園
の中を更に北へと進んでいく。
公園には水路脇に下りる階段や、水路を渡る橋の遊具などが設置され、親水
性が高い。
訪れた時は休日ということもあって、多くの子供たちが遊んでいた。
2015-10-03_23.jpg

再び住宅の間を北上し、迂回しながら水路を見ていくこととなる。
水路脇は草が刈られ、環境保全の苦労がうかがえる。
2015-10-03_27.jpg

青梅街道の手前に達すると、水路は東へと向かう。
そこにあるのは天神町分岐水門、ここで大沼田用水から野中用水が分かれる。
写真は下流側から撮影したもの、写真奥に曲がっていくのが大沼田用水、手前
は野中用水である。
水路を流れてきた水は全て大沼田用水へと流れている。
2015-10-03_42.jpg

野中用水を分岐した後、青梅街道と交差し、再度、東へと向きを変える。
写真手前の柵を用水が流れるが、その北側は天神窪という窪地になっている。
写真奥の植え込みから、道路が緩やかな坂になっているのがおわかりになる
だろうか。
大沼田用水が窪地を避けて開削されていることがよくわかる光景である。
2015-10-03_48.jpg

青梅街道の北側を東へ進むと、大沼田用水は伽羅陀山延命寺の境内へと入っ
ていく。
写真手前の石橋の下を水が流れている。
2015-10-03_58.jpg
延命寺はもともと多摩郡中藤村(現武蔵村山市中藤)の竜華山真福寺の塔頭
であったが、野中新田開発に際して入村した者たちによって、享保18年(1733)
時の代官上坂安左衛門役所に願いが出され、間もなく許可されてこの地に引
寺されたという。
野中新田を開拓した野中善左衛門が開基となっている。

用水は延命寺の北側で直角に曲がり、北へと向きを変える。
2015-10-03_61.jpg

延命寺の北側沿いで多摩湖自転車道と交差、自転車道に隣接する小平グリー
ンロード親水公園
には大沼田用水と大きく書かれた看板があり、「流れている
水は、多摩川本流の自然水です。」という説明も添えられている。
あたかもここを通る人々に用水の存在をアピールしているようだ。
2015-10-03_65.jpg

その先で今度は西武新宿線とクロス、更に住宅街を抜けていくと畑が広がる一
画に出る。
ここでは築堤が続き、そこを大沼田用水が流れていく。
2015-10-03_70.jpg

築堤のまま、用水は新小金井街道沿いに出てくる。
水路沿いに咲く小さな花々が心を癒してくれる。
2015-10-03_75.jpg

新小金井街道沿いに北上した後、東京街道(旧江戸街道)との錦城高校南交差
点に達する。
ここで大沼田用水は面白い動きをする。
水路は交差点の南を東へと向かった後、北へと向きを変え、東京街道を渡ると、
今度は道路沿いに西へと戻り、先ほどの交差点の北側に戻ってくる。
その途中で二手に分かれ、一方は北東方向に向かう短い水路があると資料に
は記載されているが、そちらの流れは民家に入っていくためなのか、その存在
を確認することはできなかった。

下の写真は交差点の南を東へと流れていく場所。
写真左奥にある樫の木は。こだいら名木百選に指定されている「宮崎さんのカ
シ」だそうである。
2015-10-03_79.jpg

こちらは、東京街道沿いを錦城高校南交差点へと戻っていく大沼田用水。
2015-10-03_86.jpg

その交差点を東へ200メートルほど行ったところには、當麻山泉藏院という天
台宗の寺院がある。
大沼田新田開拓時、寺院建立を代官に願い出て、寺領予定地を認めてもらった。
また、當麻弥左衛門と當麻伝兵衛も自分の所有地を寺領に寄付して寺院建立
に備えた。
しかしながら、当時は新寺院の建立は幕府の許可が得がたく、今寺村(現青梅
市今寺)の報恩寺の塔頭であった泉蔵院を引寺することで話がまとまり、延享
元年(1744)にこの地に建立したという。
2015-10-03_83.jpg

大沼田用水はさきほどの交差点の北側を西へ向かって流れていく。
2015-10-03_88.jpg

ここでも、用水沿いを歩くことはできず、東京街道を迂回しながら水路を追ってい
くことになる。
2015-10-03_90.jpg

東京街道沿いには、こちらも大沼田新田開拓に関わる大沼田稲荷神社が鎮座する。
先ほどの泉藏院と同じく、今寺村から當麻弥左衛門が稲荷社を勧請し、村内の
鎮守とした。
当初は泉蔵院内にあったが、明治元年(1868)、村の中央である現在地に社
殿を新築し、遷座したという。
2015-10-03_94.jpg

用水は大沼町2丁目で、小川用水悪水堀に合流して終わる。
現在、悪水堀は一般道となっているため、用水を流れてきた水は道路脇の枡へ
と流れ込んでいる。
大沼田用水の流末周辺はのどかな畑地が広がっており、玉川上水の分水路の
中でも有数の風景だと思う。
2015-10-03_96.jpg

《参考資料》
『小平市史 近世編』 小平市編
『小平の歴史を拓く 第6号』 小平市企画政策部市史編さん担当編
  


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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