北十間川 2

横十間川を分けた後、北十間川はさらに東へと向かう。
分水地点から先は、川沿いに遊歩道が設けられ、親水化が図られている。
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境橋の橋詰には、祐天堂と称する祠と木下川やくしみち道標が保存されている。
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祐天堂には供養塔が納められており、これは元禄年間(1688~1704)祐天上
人が川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て回向され、供養塔を建てた
というもの。
以降、この付近では水死者も無くなったと言い伝えられている。
また供養塔と並んで宝暦11年(1761)建立の道標(写真左下)があり木下川
薬師堂(現葛飾区東四つ木)へ通ずる薬師道を示す道標である。

境橋から川沿いの浅草通りを50mほど行くと、梅屋敷の説明板がある。
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この辺りは江戸期には梅屋敷と呼ばれ、本所埋堀の商人、伊勢屋彦右衛門の
別荘で清香庵と称していたが、庭内に梅が多く植えられていたところから梅屋敷
と呼ばれるようになったという。
八代将軍吉宗も鷹狩りの帰途にこの地を訪れ、また歌川広重も名所江戸百景
の一つに取り上げて描いている。
残念なことに、明治43年(1910)の大雨により、亀戸、大島、砂村のほぼ全域
が浸水、すべての梅樹が枯れ、梅屋敷は廃園となった。
亀戸梅屋敷
名所江戸百景亀戸梅屋敷』  (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

史跡紹介ばかりで恐縮だが、境橋の次の福神橋の南と北にある2つの神社も
紹介しておきたい。

まずは南にある亀戸香取神社、ご由緒の説明書きには天智天皇4年(665)、
藤原鎌足が東国下向の際、この亀の島に船を寄せ、香取大神を勧請したのが
創立の起因であると記されている。
また天慶(938~47)の頃、平将門を追討した俵藤太秀郷が当社に戦勝を祈願
して戦いに臨んだところ、平定したで神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と
命名したという。
この古事により、現在でも勝矢祭がとり行われ、またスポーツ振興の神として、
多くのスポーツ関係者が参拝に訪れるという。
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香取大神宮
江戸名所図会香取大神宮(国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

福神橋北側の微高地には吾嬬神社が鎮座する。
こちらは香取神社と違って小ぢんまりとした神社であるが、こちらも由緒ある神
社である。
古くはの吾嬬の森、浮洲の森と呼ばれ、正治元年(1199)北条泰時が幕下の
葛西領主遠山丹波守に命じ、300貫を寄進し社殿を造営したのが創建とされる。
また、当社の創建については次のような神話も伝わるようだ。
日本武尊が東征の際、相模国から上総国へ渡ろうとした時、海神の怒りに触れ
て暴風が起こり、妻の弟橘媛命が海中に身を投げて、その怒りを沈めた。
後に、その品が流れ着いたとが当地であったということで、以来、海や川で働く
人々の守護神として信仰されたという。
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なお、こちらも江戸名所図会に描かれている。
吾嬬森 吾嬬権現 連理樟
江戸名所図会吾嬬森 吾嬬権現 連理樟
                       (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

北十間川は福神橋の先、緩やかに蛇行する。
訪れた時は護岸改修工事が行われていたが、遊歩道が延長されるのかもしれない。
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その南には曹洞宗の西帰山常光寺がある。
天平九年(737)、行基による開山と伝えられる。
江戸時代には江戸六阿弥陀巡礼(春秋の彼岸に六ヶ寺の阿弥陀仏を巡礼する
もの)の六番目の霊場として栄えたといい、その様子は江戸名所図絵にも描か
れている。
境内には延宝7年(1679)建立の六阿弥陀道道標があり、江東区の有形民族
文化財に指定されている。
また常光寺は亀戸七福神の一つ(寿老人)でもある。
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亀戸村の常光寺ハ
江戸名所図会亀戸邑 常光寺 六阿弥陀回り(国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

常光寺から蔵前橋通りを渡り、300mほど行ったところに亀戸水神宮にも立ち
寄ってみた。
東武亀戸線の駅名(亀戸水神駅)にもなっているが、その割には意外と小さな
神社である。
享禄年間(1528~32)の創建とされ、新田開発の際に土民が堤上に水神を勧
請して、水害の被災が無きよう祈願したものとされる。
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北十間川は東武亀戸線と交差、亀戸水神駅の北側300mほどの地点に鉄橋がある。
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その鉄橋から200mほどいくと、北十間川は旧中川に突き当たって終了する。
そこは旧中川の整備された河川敷が広がっており、気持ちよい空間となっている。
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本項では社寺の紹介が多くなったが、江戸名所図会などにも数多く描かれている
ということは、北十間川流域は江戸庶民に親しみがある地域だったのかもしれない。
現在は東京スカイツリーで賑わっているが、何かしら江戸期と現在に共通するも
のがあるような気がする。


   
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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