小金井分水

小金井市貫井北町3丁目の一画、砂川用水の水路跡に小金井分水の水門が
ひっそりと残っている。
今回はここから小金井分水を追っていくことにしよう。
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水門脇にある説明板によると、小金井分水は元禄年間(1688~1704)の頃に
許可されて玉川上水から取水、山王窪で仙川を築樋で渡り、小金井村へと通水
していたという。
後述する築樋が元禄9年(1696)に築かれたとのことであるから、分水が完成
したのは、それ以降のことと思われる。
当初は飲用水として分水されたようだが、野川の水が少なくなり、飲用水の残水
を田用水として利用されたとようだ。

また小金井分水は元々、玉川上水から直接取水していたが、明治3年(1870)
の分水口改正(玉川上水の通船を目的としたもの)により、砂川用水から分岐
するように改められた。

分水地点から100メートルほどは暗渠、その先、西へと進む空堀が現われる。
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郵政宿舎の北側を100メートルほどいくと、水路は南へと転じる。
堀の脇には歩行者道があり、水路を眺めながらあるくことが可能だ。
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歩行者道を抜けると、今度は小さな緑地帯の中を空堀は抜けていく。
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その先は小金井本町住宅の脇を進んでいく。
早春の時期に歩いたが、空堀の中は落ち葉溜まりと化している。
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道なりに進んでいくと、遊歩道北2号線と称する歩行者道に通じる。
ここが前述した築樋の場所で、小金井分水はその築樋で、山王窪と呼ばれる
仙川の窪地を越える。
全長五十六間(約102m)、高さ一丈八尺(約5.4m)と記録されているという。
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こちらが仙川の脇から見た築樋。
築樋跡を利用した遊歩道は歩行者や自転車の通行が多く、周辺住民には仙
川を南北に渡る通路としてよく利用されているようだ。
築樋が出来てから三百年以上経ているが、築樋を築いた人々は、後年、この
ような利用がされるとは想像できただろうか。
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築樋の先、右手に鎮座するのが山王稲荷神社仙川1参照)。
承応3年(1654)の創建、ということは小金井分水の50年ほど前のことだ。
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その先は一般道を辿ることとなり、しばらくは痕跡はなくなる。
途中、東へと水路が分水されていた。
東へ向かう水路は武蔵小金井駅の東を通っていくため、一部の暗渠道を除い
てその痕跡は殆ど残されていない。
ただ、国分寺崖線の下の流末では湧水を野川に流すための水路として、現在
でも利用されているので、後ほど紹介することとしよう。
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本流は更に南下し、その跡である一般道を進んでいくと、やがてJR中央線の
高架橋が見えてくる。
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その先の連雀通りから、国分寺崖線を下る平代坂となる。
それなりの傾斜が長く続く坂であり、見ていると自転車の殆どが押し歩きで坂
を上っていく。
万延もしくは文久年間(1860~64)の頃、坂の東側に住む梶平太夫が、分水
を使って水車を回したので平太坂と呼ばれていたが、それが転じて平代坂と
いわれるようになったという。
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また坂の付近では、旧石器時代の石器や縄文時代中期の住居跡が発見され、
平代坂遺跡と呼ばれている。
この他、室町時代の墓跡もしくは祭祀場と思われる前原地下式横穴も見つか
っているという。

崖線下の道を歩いていくと、畑の脇に歩行者道を見つけた。
ここで水路は左へと曲がっていたらしい。
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その歩行者道を抜けると、左右で舗装が異なるという面白い道に出た。
左側が水路跡であるが、右側は水路脇の道路であったのだろうか。
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更に歩いて行くと水路脇に神明宮がある。
天正13年(1585)の創建と伝えられ、上小金井(前原町)の産土神であった。
小金井分水開削より百年以上前に造られたものだが、既に近くを流れる野川
を中心に田園地帯が広がっていたことが想像できる。
なお、神明宮は明治43年(1910)、小金井神社に合祀されるが、昭和22年
(1947)、地元有志によりこの地に復帰、再建された。
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その先は遊歩道南3号線という遊歩道となる。
とはいっても百メートルにも満たない短いものだ。
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前原小学校に突き当たると、小学校の北側の通路を進む。
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その先で野川に限りなく近づくが、これは野川が改修された区間であるためで、
当時はおそらく野川とももう少し離れていた。
また小金井市文化財センターに掲示してある昔の地図を見ると、この辺りでは
田畑の中を水路が入り組んでいたようだ。

小金井街道の先、用水は自動車学校の北側を通っていく。
その途中、北からコンクリート蓋の水路が合流する。
前述した築樋の南で分水した水路の流末である。
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その分水路は武蔵小金井駅の東を南下したあと連雀通り沿いに東進し、一部
の水を分け、「車屋の坂」の西側で崖線を下っていたようだ。
なお、坂の名となった車屋とは明治時代に2台の水車があったことから、その
名が付いたとされる。

その分水路を上流へと辿っていくと、清らかな水流を見つけることができる。
これは黄金井と呼ばれる湧水から流れ出る水である。
黄金井そのものは民有地で且つ緑地保全地域に指定されているため、目にす
ることはできない。
因みに小金井という地名は、この黄金井に由来するともいわれている。
(他にも古戦場である金井原を由来とする説などもある)
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この水路はこの、暗渠となって西念寺野川2参照)の西を流れ、先ほどの自動
車学校の水路へと繋がっている。

小金井分水の本流は、天神橋の下流で野川に合流していた。
現在、その地点は野川の親水エリアとなっており、その面影はない。
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そこから数十メートルほど下流に、黄金井からの湧水を野川に落とす排水口が
ある。
こちらも元は小金井分水から分かれた水路が野川に水を落としていた地点で
もある。
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《参考資料》
『小金井市の歴史散歩』 小金井市教育委員会編
『玉川上水系の用水の地域に果した役割に関する調査
             -砂川用水の水利用を中心に-』 小坂克信


  
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こんにちは

こんにちはimakenpressです。
小金井分水、リバーサイドさん記事冒頭写真の水門(跡??)、残っていたんですね!ヨカッターー。

ここ数年で付近にて多くの住宅が建てられ、本水路の“その後”を心配していました(もっとも、googlemap street viewである程度は判りますが…)。

後ほど、じっくり読ませて頂きます!

Re: こんにちは

> imakenpressさん

いつもコメントありがとうございます。

水門は残っていますよ。
脇に説明板もあり、歴史的遺産(水門自体はそんなに古いものではないかもしれませんが)としての小金井分水を紹介するために保存しているんだと思います。
玉川上水の北側の分水(小川分水など)には水門がいくつかあるようですが、南側では貴重ですよね。

玉川上水の分水は今後も順次追っていきたいと思っていますので、時々は覗いてみてください。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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