残堀川 2

残堀川は、伊那平橋から都道59号線(多摩大橋通り)に沿って南下する。
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人工的に開削された区間であり、直線の水路が1kmほど続く。
川には水が流れておらず、川沿いの歩道をひたすら真っ直ぐ進むしかない。
左岸の広大な空き地は、平成16年(2004)に閉鎖された日産自動車の旧村山
工場である。
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直線区間の後、残堀川はS字カーブを描き、その先で西武拝島線と交差する。
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ここで残堀川の流路変更について紹介しておこう。
残堀5
元々、残堀川は立川断層に沿って流れていた河川であり、愛宕松と呼ばれた
地(本記事冒頭の伊那平橋)から南東へ向かって流れ、立川駅の東を通って
流末は現在の矢川へと接続されていた。(上図、紫線)
江戸期、玉川上水が開削された際、残堀川の水を助水として利用するために、
流路の付け替えが行われ、玉川上水の天王橋付近へ接続された。(上図、赤線)
なお、明治時代の地形図を見ると、その後、現在の玉川上水との交差部付近
に改められているようだ。
明治期に入ると、残堀川上流域周辺地域で養蚕や織物等の産業が盛んにな
った結果、残堀川の水質悪化が進み、明治36年(1903)から明治41年(1908)
にかけて、玉川上水への合流が中止され、玉川上水を伏せ越して根川へ至る
流路が開削された。
昭和37年(1962)、日産自動車の工場が誘致されるにあたって伊那平橋から
下流の水路が、現在のように直線の流路に改められた。

残堀川から1kmほど東へ行った農地に、『残堀川旧水路跡』の説明板が立て
られている。
立川断層に沿った当初の水路を紹介したものであり、「昔は、この付近から、
現在の立川市役所付近を経て国立市青柳方面に流れていました。江戸時代
初めの砂川の新田開発は、残堀川の水を頼りに、その流域から始められた
のです。
」と記載されている。
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西武拝島線の橋梁の北側には江戸期からの水路跡と思われる旧河道が残っ
ている。
上流部は工場跡地に入ってしまうため、数百メートルほどの短い区間であるが、
途中にはなんと素堀の部分も見られる。
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その近くには新残堀橋の旧欄干が残っており、「昭和41年4月竣工」の文字
が見える。
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これは、昭和49年(1974)から着手された改修工事(時間雨量30mmから
50mmへの対応)によって流路変更されたものによるもので、カーブが緩和
された結果であろう。
なお。この河川整備事業は、昭和41年の台風4号による被害を受けて、翌
年に策定された「東京都中小河川緊急整備計画」に基づくものある。

西武線の橋梁の先、玉川上水の伏せ越しを見ることができる。
当初は残堀川が玉川上水を伏せ越す形で造られたが、残堀川が氾濫する
機会が多くなり、溢水が玉川上水に混入しないように、昭和38年(1963)、
玉川上水が伏せ越す形に改修された。
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こちらは玉川上水の上流側、サイホン方式による伏せ越しの説明が掲げられ
ている。
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玉川上水との交差後、河川の両岸には桜並木が続く。
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松風橋の先、左岸は国営昭和記念公園となる。
(川沿いを歩くには公園への入場(有料)が必要)
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川の右岸は立川陸軍航空工廠の跡地である。
現在、一部では立川基地跡地再開発事業により、国際法務総合センターなど
の建設工事が着手されている。
その区画の一部では残堀川の調節池が設置されるようだ。
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工事着手前、ここには三本の煙突が立っていた。
工場の暖房のためのボイラー施設であり、廃墟として有名であった。
歴史的遺構としてなんとか残せなかったものか、残念でならない。
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玉川上水の分水である柴崎分水が、こちらも玉川上水同様に伏せ越しで残堀
川を右岸から交差、公園内の区間では残堀川の左岸に沿って流れていく。
溝蓋(グレーチング)が施されているが、柴崎分水には清らかな水が流れてい
るのを見ることができる。
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公園内に設置されている残堀川の調整池。
普段は水が流れていないのに、大きな調整池とはいささか滑稽な気もするが、
大雨時には大量の水が流れ込むのであろう。
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残堀川は東へと向きを変え公園内を進み、その後、再び南進する。
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昭和記念公園を出ると、残堀川は青梅線と交差する。
(写真は下り連絡線)
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富士塚橋を西へ百メートルほど行くと、富士塚の頂上に浅間神社が祀られて
いる。(橋名もこの富士塚に基づく)
立川市教育委員会の説明板によると、立川市(旧柴崎村)には富士講の話は
残っていないという。
富士がよく見えることから呼ばれた説もあるという。
現在は周囲のビルにより、富士山は見えない。
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更に歩いていくと、奥多摩街道が掛かる滝口橋の先、大滝という落差工があり、
高低差10mの立川段丘を一気に水を落とす。
元々は、勾配30~40度程度の自然斜面だったようだが、昭和43年(1968)
に水害対策の一環として施工されたとのこと。
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完成後、雑排水により直下で洗剤の泡が発生、周囲の環境を悪化したようだ
が、現在は解消、但し、普段は水は流れていない。

大滝の下に迂回してみるが、滝付近は立入禁止区域となっており、残念なが
らその雄志を見ることはできない。
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大滝の直下で残堀川は直角に曲がり、南東方向へと流れを変える。
大滝から先は、立川段丘から流れ出る根川(後述)に接続され、ここから先は
旧根川の流路である。
現在も大滝の下付近から僅かな水流が見られるが、立川段丘の湧水を残堀
川に流しているのだろうか。

その先、右岸から昭和用水が合流、水量が増して、ようやく川らしくなる。
写真奥に中央線の鉄橋が見える。
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中央線の鉄橋の先、左岸の断崖の上には、玄武山普済寺柴崎用水2参照)
が見える。
普済寺は文和2年(1353)、立川宗恒が開基した寺院で、境内には立川氏館
の土塁が残る。
また、国宝の六面石幢は断崖の上にある。
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新奥多摩街道の立川橋手前で、左に根川を分ける。
とは言っても、現在、根川とは直接つながっていない。
かつて、残堀川は根川に接続され、根川を通して多摩川に水を流していた。
しかしながら、大雨時に洪水被害が多発し、昭和47年(1972)、多摩川へ
ショートカットする水路が造られた。
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現在の根川は立川市下水処理場の高度処理水を流す人工水路となり、
川沿いは緑道が整備されている。

多摩モノレールも走る立日橋の先で、残堀川は多摩川へと合流する。
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《参考文献》
『残堀川の成り立ちと大滝の成立』 石原成幸、高崎忠勝
                H24都土木技術支援・人材育成センター年報



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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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