下の川 2
次に常盤の清水からの流れを追う。
常盤の清水は、谷保天満宮の北側、甲州街道の南に位置する。
延宝年間(1673~81)、筑紫の僧が谷保天満宮に詣でた折、この泉を見て、
とことはに湧ける泉のいやさやに、神の宮居の瑞垣となせり
と詠んだことに由来するという。
東京の名湧水57選の一つに選定されている。

常盤の清水は、隣接する弁天池につながっている。
弁天池の水は澄んでいて、鯉が悠然と泳ぎ回っている。
池の中央にあるのは、谷保天満宮の境内社で、弁財天を祀った厳島神社。

その南側に、湯島・亀戸と並んで関東三大天神と称される谷保天満宮の本
殿がある。
菅原道真の第三子、道武はこの地に配流された。
延喜3年(903)。父道真の薧去の報を受け、道武が父を偲んで建てた廟殿に
始まるという。
延喜21年(921)に道武が逝去後、神霊を相殿に配祀して三郎殿と称したと
伝えられる。
江戸時代には、朱印13石を寄せられ、谷保村の鎮守として信仰を集めた。

現在の本殿は寛永年間(1624~43)の造営と伝えられる。

江戸名所図会『谷保天神社』 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)
なお、天満宮は甲州街道を背にして建てられているが、これは五街道整備
以前の甲州街道は境内の南方、立川段丘ハケ下を通っていたからとされる。
常盤の清水を水源とする川は、天満宮の西側に沿って流れていく。
清らかで豊富な水流である。

その後は住宅の間へと消え、前項で紹介した清水立場付近からの河川と合流する。
合流した後、天満宮の南側を流れていく。

南の田園地帯へ分流する用水路、分流地点には小さな水門があり、農閑期
には水は流れない。

こちらは農繁期のほぼ同じ地点、満々と水が流れ、周囲の水田に給水している。

もう1本、天満宮の南から住宅の裏手を通って合流する小さな流れもある。

ここまで紹介してきた流れを集めて、下の川は立川段丘の下に沿って流れていく。

下の川沿いには遊歩道が設けられ、府中用水との合流地点まで流れを見な
がら歩くことができる。

国道20号線(日野バイパス)との交差地点では、道路への螺旋階段が設置
されている。
(手前に迂回路の案内板が設置されており、バイパスをアンダークロスする
道路へ進むことも可能)

国道を越えた後は、谷保の住宅街の中を進む。

その先の上坂橋が架かる一般道は大山道である。
府中方面からの大山詣への道筋であったのだろうか。
橋名は、段丘を上る坂の名前に由来する。

さらに進むと左側の段丘の下に、こちらも東京の名湧水57選に指定されて
いる、西府町湧水がある。

段丘下からチョロチョロと水が湧き出ているが、場所柄、訪れる人は殆どい
ないと思われる。
西府町湧水から百数十メートルほど進むと、右手から府中用水本流が合流し、
下の川は終わる。

府中用水との合流後、一般道の歩道として市川緑道が東南方向に続くが、
下の川を流れてきた水の一部は、緑道沿いの親水路として流れ続ける。
(府中用水の水は、緑道の下を暗渠として流れる)
《参考文献》
『くにたちしらべ №6』 くにたち図書館地域資料ボランティア編

常盤の清水は、谷保天満宮の北側、甲州街道の南に位置する。
延宝年間(1673~81)、筑紫の僧が谷保天満宮に詣でた折、この泉を見て、
とことはに湧ける泉のいやさやに、神の宮居の瑞垣となせり
と詠んだことに由来するという。
東京の名湧水57選の一つに選定されている。

常盤の清水は、隣接する弁天池につながっている。
弁天池の水は澄んでいて、鯉が悠然と泳ぎ回っている。
池の中央にあるのは、谷保天満宮の境内社で、弁財天を祀った厳島神社。

その南側に、湯島・亀戸と並んで関東三大天神と称される谷保天満宮の本
殿がある。
菅原道真の第三子、道武はこの地に配流された。
延喜3年(903)。父道真の薧去の報を受け、道武が父を偲んで建てた廟殿に
始まるという。
延喜21年(921)に道武が逝去後、神霊を相殿に配祀して三郎殿と称したと
伝えられる。
江戸時代には、朱印13石を寄せられ、谷保村の鎮守として信仰を集めた。

現在の本殿は寛永年間(1624~43)の造営と伝えられる。

江戸名所図会『谷保天神社』 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)
なお、天満宮は甲州街道を背にして建てられているが、これは五街道整備
以前の甲州街道は境内の南方、立川段丘ハケ下を通っていたからとされる。
常盤の清水を水源とする川は、天満宮の西側に沿って流れていく。
清らかで豊富な水流である。

その後は住宅の間へと消え、前項で紹介した清水立場付近からの河川と合流する。
合流した後、天満宮の南側を流れていく。

南の田園地帯へ分流する用水路、分流地点には小さな水門があり、農閑期
には水は流れない。

こちらは農繁期のほぼ同じ地点、満々と水が流れ、周囲の水田に給水している。

もう1本、天満宮の南から住宅の裏手を通って合流する小さな流れもある。

ここまで紹介してきた流れを集めて、下の川は立川段丘の下に沿って流れていく。

下の川沿いには遊歩道が設けられ、府中用水との合流地点まで流れを見な
がら歩くことができる。

国道20号線(日野バイパス)との交差地点では、道路への螺旋階段が設置
されている。
(手前に迂回路の案内板が設置されており、バイパスをアンダークロスする
道路へ進むことも可能)

国道を越えた後は、谷保の住宅街の中を進む。

その先の上坂橋が架かる一般道は大山道である。
府中方面からの大山詣への道筋であったのだろうか。
橋名は、段丘を上る坂の名前に由来する。

さらに進むと左側の段丘の下に、こちらも東京の名湧水57選に指定されて
いる、西府町湧水がある。

段丘下からチョロチョロと水が湧き出ているが、場所柄、訪れる人は殆どい
ないと思われる。
西府町湧水から百数十メートルほど進むと、右手から府中用水本流が合流し、
下の川は終わる。

府中用水との合流後、一般道の歩道として市川緑道が東南方向に続くが、
下の川を流れてきた水の一部は、緑道沿いの親水路として流れ続ける。
(府中用水の水は、緑道の下を暗渠として流れる)
《参考文献》
『くにたちしらべ №6』 くにたち図書館地域資料ボランティア編

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