井草川

井草川は杉並区上井草4丁目の切通し公園を谷頭とし、妙正寺公園に至る約
3.5kmの妙正寺川の支流である。
現在では全区間が暗渠となっており、井草川緑道が川の上に続いている。
緑道の途中の四宮森公園脇にある井草川の説明板によれば、周辺の宅地化
により、昭和56年(1981)には全ての流路が暗渠となった。
下の写真は、その説明板に掲載されていた昭和30年代の井草川の様子である。
2014-11-08_68.jpg
井草川流域には旧石器時代や縄文時代など、26箇所もの遺跡があり、古代
から人々の生活の場となっていたという。

井草川の水源は切通し公園であるが、江戸時代には千川上水の分水である
六ヶ村分水から水を引き入れ、井草川に落としていたようである。
六ヶ村分水は現在の青梅街道沿いに開削され、現在の井草八幡前交差点付
近の谷頭口(切り通し口)から取水され、井草川流域の田畑を潤していたという。
2014-11-08_5.jpg

こちらが井草川の谷頭に位置する切通し公園、公園は斜面を利用して設けら
れており、谷底に降り立つといかにも谷頭という雰囲気を味わうことができる。
2014-11-08_9.jpg

井草川の本流は、公園に隣接する都立杉並工業高校の敷地内を通っていた
ようだが、高校の脇にも小さな傍流が暗渠として残っている。
2014-11-08_16.jpg

高校の東側、三谷公園から井草川緑道が始まる。
緑道は途中、西武新宿線で分断されるものの、井草川の終端である妙正寺公
園まで続いている。
2014-11-08_21.jpg

三谷公園で北から、もう一つの支流が合流しており、その支流を辿っていくと、
上井草4-27まで行き着く。
この支流沿いには、杉並の暗渠のシンボルである金太郎の車止めをいくつか
確認することができる。
2014-11-08_29.jpg

こちらはその支流の暗渠道と一般道の交差、一般道からは数段の階段を降り
るような形となっている。
2014-11-08_34.jpg

井草川緑道を歩いていくと、三谷小学校の北側に道灌橋と書かれた標柱がひ
っそりと残っている。
2014-11-08_40.jpg

この南側の丘はかつて道灌山と称され、また道灌橋が架かっていた道路(先ほ
どの標柱の手前)の坂は道灌坂と呼ばれている。
下の写真は北側から道灌坂を俯瞰して撮影したものであり、3本ある横断歩道
のうちの真ん中が井草川緑道である。
2014-11-08_50.jpg

これら道灌橋などは太田道灌にまつわる伝説から名づけられたものであり、そ
のことについて少し触れておこう。
太田道灌は文明9年(1477)、江古田原沼袋の戦い(妙正寺川2参照)におい
て豊島泰経を破り、更に追い詰めて石神井城へと向かうが、その途中でこの道
灌山に布陣したという話が伝わる。
合戦は同年4月13日に行われ、翌14日には石神井城に対峙する愛宕山(現
在の早稲田高等学院付近)に布陣しているので、道灌山での滞在は合戦が行
われた13日の夜ということになるが、合戦の直後に沼袋からここまで移動し、
布陣することができるのか、私としては疑問が残る。
ただ、この南にある井草八幡宮や荻窪八幡神社などにも、道灌が戦勝祈願を
行ったという言い伝えがあり、完全な否定は難しい。

なお、井草川上流部の地は古くは「谷頭」という小字名(この場合、一般的な名
称であるコクトウではなくヤガシラと称する)であったが、「矢頭」から転じたもの
であり、道灌と豊島氏の合戦の際に矢が打ち込まれたことに由来するともいう。
また、豊島泰経が井草八幡宮に参拝した帰路、切通しにおいて道普請の人夫
に扮していた道灌の兵に討たれたという伝説があり(史実とは異なる)、
その地を「道灌の切り通し」とも称したという。
前述の切通し公園の名前もこれに由来すると思われる。

話を井草川に戻す。
三谷公園からほぼ直線的に進んでいた井草川は、この先、蛇行しながら北上する。
2014-11-08_61.jpg

北上した先にあるのは西武新宿線との高架。
線路との交差部分は鉄橋となっており、水路跡を確認できる。
写真は北側(下流側)から撮影したもの。
2014-11-08_76.jpg

交差した後、300mほど西武線の北側に沿って井荻方面へ進む。
2014-11-08_83.jpg

再び西武新宿線と交差して、線路の南へと出る。
そこにも井草川を渡る鉄橋が残っている。
2014-11-08_91.jpg

西武線の南側に出て、井草川は更に東進する。
その先で環状八号線を越えて、井荻駅の南側へと達する。
写真は人の通行が途切れた隙を狙って撮影したものだが、駅の至近のため、
緑道の人通りは多い。
2014-11-08_101.jpg

井荻駅を過ぎて更に400mほど、ビルや住宅の間を抜けて更に東へと進んだ
後、向きを南へと転じる。
右手から今川3丁目付近を水源とする支流が合流する。
緑道がY字路となっているが、ここは左へと向かう。
2014-11-08_108.jpg

中瀬児童遊園の脇には、「こみち岩石園」と称する花崗岩、安山岩、玄武岩な
どを展示しているスペースがある。
2014-11-08_117.jpg
妙正寺川の項でも紹介したが、この辺りではノーベル物理学賞の受賞者で杉
並区名誉区民となった小柴昌俊博士を記念して行われた事業が行われている。
上の写真にも映っている「夢のタマゴ」というモニュメントは、緑道沿いにいくつ
か設置されている。
妙正寺川の川沿いや井草川等の支流の緑道は、科学と自然の散歩みちと称
されて、歩行者道のネットワークが作られている。
また、緑道沿いの草木には児童達の手による説明が付けられ、それらを見な
がら歩いていくのも楽しい。

中瀬児童遊園の先からは真っ直ぐと南下し、やがて妙正寺公園が前方に見え
てくる。
2014-11-08_122.jpg

最後に妙正寺公園の北西にある中瀬天祖神社を、杉並区教育委員会の掲示
板の記載に基づいて紹介しておこう。
「新編武蔵風土記稿」によると、杉並区清水にある妙正寺がここに十羅刹を祀
ったものと思われる。
十羅刹とはもと人を食う悪魔だったが、後に法華経を守る守護神となった十羅
刹女(十人の女性の鬼神)といわれている、
明治以前は従羅刹様、神明様などと称したが、維新後の神仏分離令により天
祖神社と改称した。
昭和二十年頃までは、例祭日には下ベロ餅という丸餅を参拝者に配る風習が
あり、食べると子宝を授かるといわれて親しまれてきたという。
2014-11-08_127.jpg
現在は井草川の西側の丘の上にひっそりと鎮座している。

《参考文献》
『決戦 ―豊島一族と太田道灌の闘い』 葛城 明彦著 (星雲社刊) 


 
目次
  
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

ごあんない
目次
過去記事はこちらから。
水系ごとに体系化しています。

橋マップ
Google Mapを利用して、
橋の位置と写真を紹介します。
INDEX

Twitterボタン
Twitterブログパーツ
プロフィール

リバーサイド

Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
フォトアルバム
外部のサイトを利用して、フォトアルバム(スライドショー)を表示します。
以前のブログから引き継いでいます。

金太郎(杉並の暗渠)
神田川の桜 2008
善福寺川の桜 2008
目黒川の桜 2012
三島の湧水
リンク
QRコード
QR
検索フォーム
アクセスカウンター
おすすめ
リバーサードがお勧めする本