六郷用水 南堀

六郷用水南堀を南北引分から蛸の手まで辿っていくことにする。

六郷用水本流からの道路を直進すると、そのまま南堀跡のルートになる。
道路は環八の東側を並行しながら、東南方面への向かう。
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南北引分から1ブロックほどいくと、『割場の堰』について書かれた案内板がある。
その案内板によると、この辺りには引水シーズンにだけ築かれた西側へ分流す
るための臨時の堰があったという。
「矢口の大堰」とも呼ばれ、分水路(三百間堀)は旧矢口村・今泉村(現:矢口一
丁目~三丁目一帯)を灌漑していた。
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土手の両岸に渡した丸太を枕として木杭が櫛の歯状に打ち込まれ、木枝をつ
めたり、ムシロで覆います。こうして堰止めをして用水の水カサをあげることに
より、堰の上手にあり分水路へ水を引き込みました。
    『六郷用水物語』案内板より
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一旦、環八に接した後、再び歩道が設置されている一般道を進む。
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その先にも『耕田橋の堰』の案内板がある。
こちらも臨時の堰で、2つの用水路が分流していた。
一つは千間堀と称する用水路で、東急多摩川線沿いに南東下して西六郷一帯
を灌漑し、もう一方は東へ流れる水路が安方地区(現:東矢口1・2丁目)を灌漑
していたという。
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第二京浜を過ぎると、歩道はなくなり、単調な道が続くようになる。
僅かに蛇行している形状が、用水跡の証であろうか。
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南堀の右側、環八沿いには真言宗寺院の遍照院と安方神社が隣接して建てら
れている。

遍照院の創建年代は不明、境内には承応3年(1654)から文化4年(1808)に
寄進造立された5つの供養塔があり、大田区文化財に指定されている。
もとは参道に並べられていたが、環八建設のために現在地に移された。
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遍照院に隣接するのが、安方神社
こちらも創建は不明、もとは八幡神社と称したが、安方村にあった天祖神社、
釈護子神社、大六天社等を合祀して、明治42年(1909)に安方神社と称した
のだという。
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その先で六郷用水南堀は多摩川線、そして環八と交差する。
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多摩川線を渡った先、東側に若宮八幡神社が鎮座する。
創建年代などの由緒は不明、旧荏原郡小林村の鎮守であったという。
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さらには、環八との交差した場所にあるのが、真言宗の円日山金剛院
創建年代は不詳、本尊の大日如来像(非公開)は、元禄7年(1694)に小林、
安方、原の三ヶ村に分布する当時の惣檀徒が施主となり、京都五条東洞院の
大仏師左近が造像したものと伝えられる。
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金剛院脇で環八を離れ、南東方向へと進んでいく。
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環八から500mほど歩くと、JR京浜東北線の蒲田電車区に突き当たる。
この電車区の中には、蛸の手と呼ばれる分流点があった。
文字通り、あたかも蛸の手足のように水路が分かれ、糀谷、羽田、六郷方面へ
と分水されていた。
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現在は線路が敷き詰められて、残念ながらその形跡はない。
そして、更に下流へと進むためには、電車区を大きく迂回する必要がある。

《参考文献》
『六郷用水』 大田区立郷土資料館編
『大田の史跡めぐり』 大田区教育委員会 郷土博物館編


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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