六郷用水 5

丸子川が多摩川に合流した後、水路は無くなるが、中原街道の下を潜ると、再
び道路沿いに水路が現れる。
この水路は、六郷用水の復元した水路であり、国分寺崖線からの湧水を利用
している。
(「旧六郷用水脇」として、 東京の名湧水57選の1つに指定されている。)
復元されたせせらぎであるため、水路の幅はかつての用水の半分ほどである。
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水路には錦鯉が泳ぎ、周囲の住民のよい散歩道となっている。
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復元水路沿いに歩いていくと、ジャバラと呼ばれる水車の模型があり、脇にベ
ンチも設置された休憩所となっている。
そこには『六郷用水物語』と称する案内板があり、ジャバラに関する説明が記
載されている。
この水車はジャバラ(足踏み水車、踏車ともいう)と呼ばれる揚水用水車の模
型です。かつては六郷用水流域の水田においても、早春や干ばつ時の水が
少なくなった時に、羽根を足で踏んで回転させ、田に水を揚げていました。

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『六郷用水物語』の案内板は大田区により設置され、ここから先、所々に建て
られている。
また、傘つき標識柱や道路に埋められているタイルもあり、六郷用水を辿るの
に役立つ。
特に案内板は簡潔に判りやすく説明されているので、この先も必要に応じて引
用することにしよう。

ジャバラのある場所に隣接するのが、真言宗智山派の寺院である有慶山東光院
義賢和尚の開山とされるが、創建年代は不明。
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数十メートルほど進むと洗い場跡があり、ここも「旧六郷用水沿い洗い場跡
として、東京の名湧水57選の指定を受けている。
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その先には用水復元水路沿いには、水を利用したモニュメントもある。
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新幹線のガードを過ぎると、左手に真言宗の明楽山密藏院がある。
こちらも開創年代は不明、永正年間(1504~21)、森一族の菩提寺が建立さ
れたが、慶長(1596~1615)末期に火災により本堂を焼失した。
その後、有力檀徒である森庄兵衛によって再建されたという。
大日如来像や弘法大師坐像(非公開)などが大田区文化財に指定されている。
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途切れながらも、復元水路は歩道沿いに続いていく。
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用水沿いには庚申塔がある。
これは嶺の四庚申と呼ばれる庚申塔の1つで、当時の嶺村に悪疫が入ってこ
ないように村境にたてられた四つの庚申塔のうちの1つである。
(ここ、下沼部の他に、鵜の木、久が原、雪谷にあるという。)
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更に進むと、道は緩やかな上り坂となる。
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女堀(おなぼり)と呼ばれる区間で、最大7.5mほどの地盤を開削したもの
だという。
その由来については二つの説がある、現地に立つ案内板にも書かれているの
で、その一部を引用する。
一つはこのあたりの高低差と堅い地盤によって、堀の開削工事は難行しました。
その際、作業に女性を動員し、男女が力を合わせて能率を上げたことから呼ば
れる説です。いま一つは、工事を担当した代官小泉次大夫が浅間神社(多摩川
台公園前)の丘近くを工事しようとした時です。夢に現れた女神(木花開耶姫
命…浅間神社の祭神)のお告げにより、丘を切り崩さずに工事を進めたことか
ら女堀と呼ばれる説です。


難工事を避けるために多摩川に近いルートをとる方法もあったかもしれないが、
多摩川の氾濫域にかかるため、この女堀を堀り進む必要があったと思われる。
なお、現在の復元水路はこの高台を進むことはせず、女堀の手前で終わって
しまう。

女堀の北側には真言宗の峯松山観蔵院がある。
創建年代は不明、光明寺(後述)が真言宗であった頃にその加行道場として建
立されたと伝えられる。
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復元水路が途絶えた先、用水跡は歩道として続く。
その歩道を歩いて行くと、やがて環状八号線と交差する。
環八と交差後は、環八の北側に沿って進むことになる。
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その交差箇所の北側の坂を上っていくと、鵜ノ木八幡神社
延徳元年(1489)、天明伊賀守光信の子・五郎右衛門光虎が下野国からこの
地に移住、応神天皇を勧請して創建したという。
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環八の東側に移っても用水跡の歩道は続く。
その歩道には『光明寺大門前の堰と水車』と題する案内板が建てられている。
この辺りの堰から、水路(新田川)が西側に分流し、根岸耕地(現千鳥町三
丁目付近)を灌漑していたという。
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そこに書かれている光明寺は、環八を挟んだ南側に位置している。
天平年間(729~749)に行基が開創し、弘仁年間(810~824)に、空海が再
興したと伝わる古刹である。
寛喜年間(1229~1232)になって、善慧証空が再興して浄土宗にかわり、大
金山宝幢院光明寺と称するようになった。
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境内は広く、多摩川の河跡湖といわれる光明寺池があるが、残念ながら非公
開となっている。

光明寺
江戸名所図会光明寺』     (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)  

先ほどの案内板の先、左側には藤森稲荷神社がある。
創建など詳細は不明、階段を上っていくと小さな祠が鎮座する。
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藤森稲荷前の交差点を渡ると、再び『六郷用水物語』の案内板、『下丸子
への分水口跡
』について書かれている。
このあたりが、六郷用水の下丸子方面への分流点で、六郷用水の西岸(現
在は環状八号線の用地となっている)に石組のトンネルを築いて分流して
いました。水量は豊富で現在の下丸子付近一帯の水田を灌漑していたよう
です。分水口は戸立式の水門によって仕切られていたとも言われています。

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そこから150mほど行くと南北引分、ここで池上・大森方面へ向かう北堀と、
蒲田・六郷・羽田方面へ向かう南堀へと分かれていた。
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六郷用水は、北堀・南堀から枝分かれした小堀を通じて、六郷領各村の水田
を潤していたので、この場所は用水において重要なポイントであるが、路面に
埋め込まれたタイル板だけというのは、残念な気がする。

《参考文献》
『六郷用水』 大田区立郷土資料館編
『大田の史跡めぐり』 大田区教育委員会 郷土博物館編


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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