六郷用水 2

次大夫掘公園の遊歩道を過ぎると、六郷用水は再び現在の野川に出る。
下の写真は大正橋から野川下流を見た光景、野川は右にカーブしているが、
六郷用水はそのカーブのところで野川と分かれ、真っ直ぐと進んでいた。
クレーンが建ち並ぶ工事現場では、東名高速と外環道とのジャンクション工事
が進捗中である。
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工事現場を迂回して川沿いを歩いて東名高速を過ぎ、多摩堤通りの1本東側
の道路に出ると、六郷用水跡の碑がある。
その脇には流路図を載せた説明板も設置されている。
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その先、一般道の歩道として用水跡が続く。
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道路の左手に天台宗の龍華山永安寺が見えてくる。
もともとは二大鎌倉公方・足利氏満が没した後、その菩提寺として、応永5年
(1398)、鎌倉に建立されたのが始まりとされる。
四代鎌倉公方・足利持氏は永享11年(1439)、永享の乱において幕府軍に
敗れると、永安寺において自害する。
その後、寺院は廃れるが、延徳2年(1490)、清仙大和尚によってこの地で再
興された。
「大蔵の永安寺」としてせたがや百景にも指定され、境内には樹齢数百年とも
言われる大銀杏もある。
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道路はやがて仙川に差し掛かるが、その手前、左手の丘の上に大蔵氷川神
が鎮座する。
暦仁元年(1238)に江戸氏が大宮の氷川神社を勧請したものと伝えられ、永
安寺が別当であった。
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水神橋で仙川を越える。
仙川はこの下流500mほどで野川に合流しているが、前述のように以前は六
郷用水へとつながっていた。
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水神橋を越えると、道路沿いに六郷用水が整備された水路が始まる。
現在は丸子川と称されている水路で、東急線多摩川駅付近まで続く。
東名高速道路の南、岡本三丁目にある崖地からの湧水や、大蔵三丁目公園
の崖下の湧水池(『仙川3』参照)を水源として、暗渠で仙川の東岸を通り、水
神橋付近から開渠となって流れる。
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数百メートルほど歩くと、左手に岡本公園がある。
園内には人工の水路があり、その水も用水へと流れ込んでいる。
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隣接して岡本公園民家園がある。
先に紹介したむいから民家園、次大夫掘公園民家園に続いて三箇所目の民
家園で、何故か六郷用水沿いには民家園が多く造られている。
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展示されているのは旧長崎家主屋で、もとは世田谷区瀬田にあったものを昭
和55年、当地に移築したものである。
建築年代は建築様式などから18世紀末とされ、文政10年(1827)に大改築
をしたものだという。

民家園の裏の高台にあるのが岡本八幡神社
創建年代は不詳、鎌倉の鶴岡八幡宮より勧請したという言い伝えがあるらしく、
また岡本村の村社であったようだ。
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基本的に神社は高台に造られていることに気づく。
ネットで調べてみると山などの高い場所は神が降臨する場所とされ、神聖な場
所とされたからだという。
ただ、川を歩いていると、ここだけでなく多くの場所で寺社が高台にあるが、上
記の理由の他に、寺社を水害から守るという側面も見えてくる。
六郷用水沿いでは概して国分寺崖線の上もしくは中腹に建てられており、その
昇降に多少、体力を奪われる。

話を六郷用水に戻そう。
水路は岡本静嘉堂緑地の下を流れていく。
崖線上には三菱財閥の岩崎小弥太が建てた静嘉堂文庫(『谷戸川2』参照)が
ある。
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緑地内には東京の名湧水57選にも指定されている湧水池があり、そこからの
水も六郷用水に流れ込んでいる。
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緑地の森を過ぎると、左手から谷戸川が合流する。
谷戸川は、世田谷区千歳台付近をその源とし、砧公園を通って、ここに流れ込
む河川である。
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岡本静嘉堂緑地の東側には、衆議院議員などを歴任した小坂順造(1881~
1960)の旧宅が、旧小坂家住宅として世田谷区の有形文化財に指定され、
保存・公開されている。
家屋は昭和13年(1938)の竣工、国分寺崖線の上に屋敷があり、敷地の南
の崖地の森林は瀬田四丁目広場として自然が保存されている。
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その先の雁追橋で、まむし沢と呼ばれる水流が合流し、水の量が更に増加する。
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この辺りから、個人宅の玄関へと架かる小さな橋が連続する。
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玉川通りの手前にある治大夫橋、ここはかつて大山道が六郷用水を渡っていた。
橋の脇にある説明板には、下記のように記載されている。
大山道とは、大山詣りの道のことで、大山は神奈川県伊勢原市にあります。
世田谷を通る大山道は、江戸赤坂御門を起点とし、二子玉川で多摩川を経て、
伊勢原から大山まで続いています。
二子玉川には、ここ治大夫橋を渡る大山道と、行善寺の東側を通る大山道
があります。

橋は改修されて、親柱にはタイル画が飾られている。
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治大夫橋の北側に、いくつかの寺社があるので紹介しておこう。

まずは身延山関東別院玉川寺、昭和7年(1932)日暮里の妙隆寺が、日蓮
上人の入滅第650遠忌記念事業として当地に移転、「身延山関東別院」とし
て建立された。
建立にあたっては玉川電鉄が借地を無料で提供し、実現の運びとなった。
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その北側にあるのが瀬田玉川神社
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永禄年間(1558~70)の創建と伝えられ、寛永3年(1626)、長崎四郎右衛
門嘉国が寄付をして当地に遷宮した。
明治7年(1874)に村社となり、同40年(1907)、御嶽神社を地名により玉川
神社と改称した。

玉川神社に隣接するのが真言宗の慈眼寺、玉川神社の別当寺でもあった。
徳治元年(1306)、法印定音によって小宇を建立したのが始まりという。
天文二年(1533)に)郷士・長崎四郎左衛門が堂宇を遷し、大日如来を本尊
として安置したという。
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治大夫橋の方向へ戻り、玉川寺の先を東へと向かうと、玉川大師玉眞院
ある。
大正12年(1923)の建立で、昭和9年(1934)に出来た地下霊場があること
で知られる。
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地下霊場には、四国八十八ヶ所、西国三十三番霊場の 大師・観音があり、
四国遍路と西国遍路さながらの参拝ができるというもの。
100メートルに及ぶ地下通路は、暗闇の中を手探りで進むというもので、
参拝客も多い。
用水歩きではなくても、二子玉川へ行く際には参拝をお勧めしたい寺院である。

六郷用水は玉川通りを越えて、二子玉川駅の北方に達する。
玉川通りとの交差部分では、瀬田アートトンネルへと迂回を強いられるが、
その先で再び用水沿いに出ると、前方に東急田園都市線の高架橋が見えて
くる。
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《参考文献》
『六郷用水』 大田区立郷土資料館編
『ふるさと世田谷を語る 玉川台・瀬田・玉川』 世田谷区編


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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