天保新掘用水

かつて善福寺川から取水し、桃園川流域の水田へ供給していた水路があった。
天保新掘用水と称する用水路である。

天保新掘用水については、すぎなみ学倶楽部という杉並区公式サイトに詳しい
ので、併せてお読み頂きたい。

ここでも、この用水の成立について軽く触れておこう。
桃園川流域には、その川の水(天沼弁天池の湧水と千川上水の分水が水源)を
利用した水田が馬橋村、高円寺村、中野村に広がっていた。
しかしながら、桃園川の水量が少なく悩まされていた。
天保11年(1840)、三ヶ村名主は幕府直轄(天領)の代官中村八太夫へ用水開
削を願い出た。
ちょうど天保の大飢饉(1833~39)の直後であり、冷害などのため飢餓に苦しん
だという時代背景もあったのだろう。
許可が下りた後、早速、用水は着工され、同年、善福寺川より取水し、途中トン
ネルを通って桃園川流域へのルートが開削される。
しかしながら、カワウソの巣穴による漏水、さらには大雨による土手の崩壊が起きる。
翌年(天保12年(1841))、改めて別ルートによる水路が開削され、以降、桃園川
流域へ善福寺川の水が補給されるようになった。

下の写真は神通橋の脇にある「善福寺川流域説明板」に記載された用水のルー
ト図である。
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図中A~B間の2つのルートのうち、川に近く南へと迂回しているルートが天保11
年に開削された水路、直線的にショートカットしているのが天保12年に造り直さ
れた水路である。

また同じく説明板に掲載されているトンネルの写真。
昭和49年、宅地造成の際に発見されたものであるという。
2014-08-31_2.jpg

前置きはこの程度にして、天保新掘用水を追ってみることにする。
取水口は善福寺川の大谷戸橋の上流にある広場堰、現在は護岸工事が施工
されてしまっている。
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天保12年完成の水路はここから真っ直ぐ東へと向かう。
善福寺川東岸には荻窪団地が広がり、現在は建替が行われシャレール荻窪と
称するUR賃貸住宅となっている。
下の写真は東側の空き地部分を撮影したもの。
恐らくこの辺りを水路が流れ、奥の荻窪3丁目の住宅地にある台地をトンネル
で抜けていたと思われる。
2014-08-09_11.jpg

天保11年に造られた最初の水路は、善福寺川の左岸を進む。
元々、この部分は用水路(上げ掘)を利用し、またその用水路はその後も使用
され続けた。
用水路跡の一部は公園化され、住宅街の中を南下する。
2014-08-09_15.jpg

善福寺川緑地公園に入ったところで、公園に隣接する矢倉台地の下を素彫
りのトンネルで抜けていたらしい。
公園脇には、数メートルの崖地がある。
2014-08-31_13.jpg

台地の上には田端神社が建てられている。
旧田端村の鎮守で、かつては北野神社(天満宮)とも、あるいは社の場所が田
の端にあったことから田端天神とも呼ばれていたという。
創建は応永年間(1394~1427)と言われ、足利持氏と上杉禅秀とが戦った
際に、品川左京の家臣良影という者がこの地に土着し、京都の北野神社の分
霊を祀ったことにはじまると伝えられている。
2014-08-09_22.jpg

トンネルを抜けてきたと思われる共立女子学園の敷地付近、この辺りには成宗
という城があったとされる。
鎌倉期からある陣屋櫓を、太田道灌が持ち城として家臣を配置したと伝えられ、
道灌暗殺後、廃城となったという。
城の遺跡などは全くなく、近くの善福寺川に架かる屋倉橋という橋梁名にその
面影を残すのみである。
2014-08-09_29.jpg

更に歩いていくと、杉並高校の北側に成宗弁財天社がある。
成宗村が成立した頃、水神の加護を祈って弁天池という湧水池の畔に建立さ
れたのが始まりとされる。
日照りが続くと、人々は弁天社にお詣りをし、弁天池の水を持ち帰る習慣があ
ったという。
2014-08-09_32.jpg

小さな社であるが、天保新掘用水との関わりは深い。
弁天池は用水の中継池として利用されたが、その際に池を掘りあげた土で成
宗富士と呼ばれた富士塚が築かれた。(大正7年頃、取り壊された)
また、境内に残る石橋・水路跡は、天保新掘用水の名残とされる。
2014-08-09_35.jpg

同じく境内には明治13年(1880)に建立された記念碑があり、用水によって
中野・高円寺・馬橋の三村が用水の建設により潤ったことが記されている。
2014-08-09_69.jpg

成宗弁財天社に隣接して成宗須賀神社がある。
天慶4年(941)に創建され、慶長4年(1599)に再建されたとも伝えられるが、
安政年間に記録を焼失したため詳かではない。
江戸時代には牛頭天王社と呼ばれ、明治以降は成宗村の村社となった。
2014-08-09_41.jpg

その先、善福寺川流域と桃園川流域の尾根に青梅街道が続くが、用水はここ
を再びトンネルで越える。
現在の杉並区役所の前あたりを通っていたようだ。
2014-08-09_43.jpg

区役所の裏、パールセンター商店街の脇から歩行者用道路が東へと続くが、
用水はその辺りに顔を出していたという。
ここにきてようやく、用水本来のルートを辿ることができる。
歩行者道路沿いには馬橋児童遊園という小公園があり、滑り台やブランコと
いった遊具も設置されている。
2014-08-09_48.jpg

歩行者道は、緩やかに左へと曲がり、向きを東から北へと変える。
途中には杉並区の暗渠道によくある金太郎の車止めも設置されている。
2014-08-09_54.jpg

天保新掘用水は桃園川の旧東橋付近で、桃園川に合流する。
2014-08-09_60.jpg

その合流地点付近の桃園川緑道にはカワウソの像が立っている。
かつてルート変更の要因ともなったカワウソ、ここに像があるのは用水の歴史
と関係があるのかはわからない。
2014-08-09_64.jpg


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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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