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池尻川

JR京浜東北線の大森駅西口を降りると、アップダウンが続く地形が広がる。
そのような地形の中、山王の窪地を形成していた内川の支流、池尻川を辿って
みることにする。

現地(写真は池尻川中流付近のもの)にある「昔の内川と六郷用水の流れ」と
称する案内碑を見ると、環七の馬込銀座交差点の南東付近を水源にしている
ように見える。
2014-06-29_61.jpg
しかしながら、現地に行くと、更に上流方向に暗渠を確認することができる。
とにかく谷形状が広がるため、水源がどこにどの程度あったのかは伺いしれな
いが、そんな中、山王2-20から始まる暗渠道を確認することができる。
今回はここをスタート地点としよう。
2014-06-29_7.jpg
その暗渠道は一般道から降りる階段から始まり、北へと向かう。

大森駅の北から環七を結ぶジャーマン通りと称する道路の手前で、流路は西へ
と転じ、ジャーマン通りに並行して進む。
そこには、僅かながらの区間であるが、緑道化された歩行者道もある。
2014-06-29_12.jpg

この山王の住宅街から馬込にかけては、多くの文豪が住み、「馬込文士村」と
称されている。
九十九谷と呼ばれる丘と谷が入り組む地に、大正12年(1923)、尾崎士郎・
宇野千代夫妻が移り済み、その後、士郎の誘いに多くの画家や作家が居を
構えたとされる。
2014-06-29_16.jpg

その文士村の中から、ジャーマン通りの北側にある山王草堂記念館と尾崎士郎
記念館を取り上げてみよう。

山王草堂記念館は『國民新聞』を主宰したことで知られるジャーナリスト、徳富
蘇峰(1863~1957)の旧居跡である。
徳富蘆花(『烏山川2』参照)の実兄としても知られる。
また同志社英学校に学び、大河ドラマ『八重の桜 』でも登場していたので、ご記
憶の方も多いだろう。
蘇峰は、大正13年(1923)、この地に居宅を建て、山王草堂と称して昭和18
年(1943)まで起居した。
現在は建物の一部が保存され、記念館および蘇峰公園として一般開放されて
おり、記念館内では彼の原稿や書簡が展示されている。
2014-06-29_22.jpg

山王草堂記念館から程近い場所に尾崎士郎記念館がある。
代表作『人生劇場』で知られる尾崎士郎(1898~1964)は、前述の通り、大正
12年に馬込の地に移り住み、昭和29年(1954)にこの地に家を持ち、晩年を
過ごしたという。
公開は外側からの見学、および玄関の土間部分のみである。
2014-06-29_30.jpg

池尻川に戻り、下流に向かって進もう。
川筋は、環七に沿って南下する。
環七に沿うというよりも、環七が池尻川の谷筋を利用して造られたと言ったほう
がいいかもしれない。
2014-06-29_34.jpg

池尻川筋の道路は、その先細くなり、山王の住宅街を通り抜けていく。
その通り沿いにも、文士村の旧宅を紹介する掲示がある。
写真左にある掲示は、詩人の藤浦洸と小説家の榊山潤の旧宅跡を示すもの。
この他にも川跡沿いには、室生犀星や山本有三などの掲示も見られる。
2014-06-29_40.jpg

蛇行する道路は、かつての池尻川の流れを彷彿とさせる。
左の植え込み部分が川跡なのであろうか。
2014-06-29_45.jpg

途中の川の東側には山王厳島神社があり、神社の周囲には弁天池がある。
創建年代や由緒は不明、かつては小町弁天と呼ばれていたという。
2014-06-29_47.jpg

神社に隣接する花清水公園内には湧水があり、脇には「御神水 弁天池源泉」
と書かれた立札が立てられている。
ここから弁天池に水が流れ込み、また、かつては弁天池から池尻川へと流れ
出ていたと想像できる。
2014-06-29_53.jpg

池尻川を更に下る。
川の左岸は急峻な崖となっており、住宅などがその崖にへばりつくように建てら
れている。
2014-06-29_56.jpg

道沿いの高台にある高稲荷神社(由緒等不明)から上流方向の眺め。
2014-06-29_66.jpg

その先で環七と交差する。
環七と交差した後も歩道を併設した一方通行の道路に川跡を見出すことができる。
2014-06-29_71.jpg

新井宿春日神社の脇に『いにしえの東海道』と書かれた碑が建てられており、
そこで交差する一般道が古道であることを教えてくれる。
その碑には、次の説明文が彫られている。
此の道は時代により奥州街道、相州鎌倉街道、平間街道、池上往還などと呼
ばれていた古道です。

2014-06-29_74.jpg

その新井宿春日神社の創建・由緒は明らかではないが、鎌倉時代の創建とも
伝えられている。
2014-06-29_77.jpg

春日神社から数十メートル行くと、池上通りにぶつかって道路は終わる。
その手前、右から六郷用水北堀跡の道路が右から交差する。(下の写真の右
側。クーラーの室外機がある辺り)
2014-06-29_80.jpg

冒頭に挙げた案内碑によると、東海道線を越えて内川に向かうように描かれて
いる。
ただ、この先には池尻川の跡らしき水路はない。
また、明治や大正期の地形図を見ても、池尻川は六郷用水にぶち当たって終
了している。
おそらく、池尻川を流れてきた水は六郷用水に取り込まれて終わっていたので
あろう。
そうすると、この先の水路は六郷用水開削より前、つまり江戸初期以前に消滅
したと考えるのが妥当であり、近年の宅地開発も手伝って水路跡を辿ることは
断念せざるを得ない。

案内碑に描かれた水路図が正しいとするならば、池尻川は内川の富士見橋
手前に達し、更に南の大森西四丁目交差点付近で旧内川に合流したことに
なる。(現在の内川は大正6年(1931)に開削されたものである)
下の写真は、内川の境橋から富士見橋を眺めた光景であるが、数百年前の
池尻川は富士見橋手前辺りを北から南へと横切っていたのであろうか。
2014-06-29_85.jpg


より大きな地図で 【川のプロムナード】内川周辺マップ を表示

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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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