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昭和用水 2

昭和用水は多摩大橋の北詰を流れていく。
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その先で用水は多摩川沿いに出る。
写真右の道路は多摩川の土手、個人宅から道路に出る小さな橋がいくつ
か架けられている。
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用水の水門、余水を多摩川に戻すために造られたもののようだ。
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水門を過ぎると、昭和用水は再び多摩川から離れ、昭島市福島町の住宅
や農地の間を抜けていく。
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新奥多摩街道を横断した先の用水。
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左岸から中沢堀が合流する。
中沢堀は東京の湧水57選に指定されている宮沢諏訪神社の湧水などを
水源とする河川であり、清流が流れ込む。
ここからしばらくの間、道沿いに石垣護岸が続く気持ちよい区間となる。
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用水には鯉も放たれ、農業用水とは思えない快適な水環境が保たれている。
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しばらくすると水門が出現、ここで左側に水を分ける。
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こちらは分水路の様子。
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分水路は立川崖線下の農地に水を供給し、用水本流と同じく残堀川へと
水を落とす。
残堀川への合流地点は昭和用水本流が合流する地点より上流側、残堀川
の落差工(大滝)の辺りである。
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その先、右岸から数十メートル入ったところに大六天神社という小さな祠がある。
享保2年(1717)の史料にも出てくるため、それ以前から鎮座している
古社であるらしい。
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立川バスの折り返し所の裏を通る昭和用水。
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その先、昭和用水は新奥多摩街道沿いを流れていく。
写真で分かる通り、2本の水路が並行して流れているが、右側は昭和用
水本流、そして左側の水路は先ほど分水した分流から更に枝分かれした
水路が本流へと戻ってきたものである。
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新奥多摩街道沿いを数十メートルほど流れた後、再び街道と分かれ、富士
見町住宅と称する団地の中を流れていく。
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団地内では用水沿いを歩くことはできず、ジグザグに歩きながら用水を辿っ
ていくこととなる。
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富士見町団地の先も、用水は住宅の間を抜けて行ってしまう。
仕方なく用水に並行する道路を歩き、途中の小公園でその流れを確認する
程度だ。
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そして昭和用水はその水を残堀川へと落とす。
残堀川は中流域で水が地中に浸み込み、普段は水が流れない川となってしまう。
そのため、ここ下流域を流れる水は昭和用水から流れ出た水ということになる。
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河川敷は雑草に覆われ、合流の様子を撮影することは難しかった。
数年前の冬季に残堀川を歩いた際、除草された同地点を撮影した写真が
あったので、掲載しておく。
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《参考資料》
『あきしまの歴史散歩』 昭島市教育委員会



目次
 
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昭和用水 1

昭島市拝島町付近で多摩川から取水し、昭島市南部および立川市南西部を
通り、残堀川へ水を落とす昭和用水を追った。
下の川、中沢堀といった立川崖線下の湧水からの水路が合流する。
現在、昭島市南部は殆ど住宅地となっているが、今なお残る田畑に水を供給
する現役の用水路である。
一部区間を除き年間を通して通水されているが、農繁期と農閑期では多摩川
からの取水量が異なる。

昭和用水は古くは九ヶ村用水と称し、室町期に開削されたという。
九ヶ村とは拝島、田中、大神、宮沢、中沢、築地、福島、郷地(現昭島市内)
の各村、および立川市内の柴崎村をいう。

用水の取入れ口は拝島町5丁目先の昭和用水堰
昭和用水堰は昭和8年(1933)に上流の取水口からこの地に移設されたもの。
当初は蛇篭を使用した堰であったが、昭和30年(1955)にコンクリート堰
となった。
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昭和用水堰から250mほど上流側に行ったところに、九ヶ村用水取水堰跡
がある。
現在は河川敷の草叢の中に明治44年(1911)に造られた樋管の遺跡があり、
「九箇村用水樋管」の文字を確認することができる。
なお江戸時代末期以前には、取水口は更に上流の福生市内にあったとのこと。
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取水堰跡から自転車道を挟んで反対側には用水跡も見ることができる。
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さて、昭和用水堰から取り入れられた水は、多摩川土手を潜り用水路として
スタートする。
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昭和用水は啓明学園の南側を通っていく。
用水沿いには木々が生い茂り、緑あふれる風景が展開する。
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その区間を抜けると水門が出現する。
左手の建物は東京都水道局の拝島原水補給ポンプ所である。
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農繁期はこの先も水が流れているが、農閑期は空堀となってしまう。
写真はポンプ所脇の5月初旬(上)と6月初旬(下)の様子。
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用水を流れてきた水はどこへ行ってしまうのだろうか。
一部はポンプ所内を通って北側に流れる下の川に回され、また一部(非灌
漑期のみ)は地下導水管を通って玉川上水の拝島付近へ供給されている
のである。
なお、ポンプ場の反対側に流れる下の川には、東京の名湧水57選にも選
定されている龍津寺下の湧水があるので、立ち寄ることをお勧めしたい。

ポンプ所を過ぎると水田が点在する。
昭和用水沿いの田圃は宅地化されたり休耕田になってしまったりした所
が多く、多摩川下流の府中用水などと比べると水田は少なくなっているようだ。
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ポンプ所から500mほど歩くと、先ほどの下の川から分かれた水路(車堀
が合流する。
分水路からの水は農閑期でも流れており、ここからは通年の通水が復活する。
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水路は道路の反対側へと移り、多摩川の北を流れていく。
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拝島橋の北で国道16号線と交差すると、昭和用水は昭島田中町住宅の
敷地内を進んでいく。
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その先で下の川と合流する。
写真は下流から撮影したもの、道路下を潜ってきた左側の流れが昭和用
水本流、右側が下の川である。
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短い区間ではあるが新しい住宅地沿いに遊歩道が設置されている。
初夏にはこの辺りでホタルの鑑賞会も開催されているようである。
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昭和用水は立川崖線の下を流れていく。
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八高線と交差した先、多摩川の土手へ足を運んでみる。
そこには八高線列車衝突事故の碑がある。
終戦からわずか9日の昭和20年8月24日、多摩川橋梁で八高線の上下
列車が正面衝突、105名の方々が多摩川の濁流に流され命を落としたという。
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昭島市宮沢地区を流れていく昭和用水。
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水門が出現し、小さな水路が分かれていく。
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新奥多摩街道の南、辺りは荒地となっている。
かつてはこの辺りも水田が広がっていたのであろう。
何年か先には開発されてまた違った風景となっているかもしれない。
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昭和用水は蛇行しながら、やがて多摩大橋付近へと達する。
2018-05-01_78.jpg

《参考資料》
『あきしまの歴史散歩』 昭島市教育委員会



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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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