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中沢川

多摩センターから乞田川を500メートルほど遡上していくと、川が二手に
分かれる場所がある。
一方は南西方向へと曲がり唐木田方面へと向かう乞田川(以前は唐木
田川と称していた)であるが、直線方向には暗渠となっている河川の吐
口から水が流れ出ている。
この暗渠となった河川は、中沢池から流れ出る中沢川である。

中沢川の水源である中沢池はその合流点から西へ1kmほど行った谷戸
の中にある。
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この池は江戸時代に造られた溜池、その歴史を池の脇にある説明板から
引用してみる。

落合旧記より、寛文年間(西暦1665年)時の領主土屋但馬守が江口加
右門を奉行にして落合の領民が之を築くとあります。
風土記には横二十五間(約45m) 竪四十三間(約76m)の堤あり、
長さ二十五間(約45m)の伏樋をもって水田にそゝげりとあります。
昭和9年地元有志9名により大改修工事が行われ、現況の池となっています。


現在、中沢池は釣り場として開放されており、多くの太公望が糸を垂れて
休日を楽しんでいる。
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中沢池がある中沢谷戸の周囲は府中カントリークラブというゴルフ場にな
っており、残念ながらその先を探索することはできない。
府中カントリークラブは昭和34年(1959)の開設、多摩地区のゴルフ場
の草分け的存在となっている。
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中沢池から出た水は、中沢池公園の中をせせらぎとして流れていく。
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その先、川が崖沿いへと流れていく。
多摩地区にある谷戸を流れる小河川ではコンクリート護岸が施されている
場合が多いが、ここでは本来の川の姿を見ることができる。
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途中、崖から流れ出る湧水もある。
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公園を出ると中沢川は暗渠となってしまう。
おそらく道路の下を埋設管となって流れているのであろう。
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島田療育センターの入口に出ると、その脇に農地が広がるがその農地の
中を暗渠となった中沢川が流れているのが判る。
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農地の下流側には、盛土を施された新しい住宅が立ち並ぶが、河川部分
だけ住宅地からは除かれ、更地になっているのが興味深い。
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この先は合流部までは普通の道路となり、京王線とクロスする。
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暗渠であることを示すものは特になく、住宅街にある普通の道路ではあるが、
僅かにマンホールから聞こえてくる水音が河川歩きの手がかりとなる。
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高岸公園という小公園を右に見て都道を越えると、乞田川との合流点に出る。
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《参考資料》
『大栗川・乞田川 流域の水と文化』 小林宏一著



目次
  
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乞田川 2

引き続き乞田川を東進していく。
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青木葉川に続き、右岸から貝取川が合流する。
貝取川は貝取谷戸から流れ出てきた川であるが、上流域は暗渠化されており、
開渠として辿れるのは下流域の800メートルほどの区間である。
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コンクリート護岸の中程に遊歩道が整備され、歩きやすい。
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貝取川合流部から250メートルほど行くと、今度は瓜生川が合流する。
短い間隔で支流が合流しているということは、乞田川の南岸には小さな谷
戸が点在しているということを示しているのであろう。
瓜生川は暗渠となっているが、その上には瓜生せせらぎ散歩道と称する
緑道が続いている。
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遊歩道を歩いていると散策やジョギングを楽しむ方々とすれ違う。
周辺住民の憩いの場として利用されているようだ。
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永山橋脇にある庚申塔(中央)と二体の地蔵尊。
中央の庚申塔は享保12年(1727)の建立、左の地蔵尊は宝永7年(1710)、
右の地蔵尊は文政7年(1824)の建立である。
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乞田川はゆっくりと左へカーブし、北を流れる大栗川を目指す。
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諏訪下橋の手前で馬引沢川が右岸から合流する。
こちらも開渠は合流部付近の数百メートルほどだけだが、乞田川脇の道路
からは急流を下っていく姿を見ることができる。
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諏訪下橋からは大栗川合流部までほぼ直線、ラストスパートといった感がある。
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熊野橋を左へ行くと小高い丘の上に関戸熊野神社が鎮座する。
延徳元年(1489)、紀州熊野三社を勧請したと伝わる。
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神社の参道脇には東京都史跡に指定されている霞ノ関南木戸柵跡がある。
霞ノ関は建暦3年(1213)に起こった和田合戦の後、横山党の残党に備
えて鎌倉街道に設けられた軍事的な関所。
昭和30年代の発掘で丸柱の痕跡が45㎝間隔で16箇所確認され、現在
はその柱が再現されている。
周辺の地名の関戸は霞ノ関が由来となっている。
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熊野神社の北側には真言宗豊山派の慈眼山観音寺がある。
創建は、建久3年(1192)唐僧が聖観世音菩薩を草庵に安置したのがは
じまりとされる。
狩野派系の画師相沢五流、生花允中流の創始者相沢伴主親子の墓所がある。
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なお、熊野神社の南側は暗渠となっている関戸川が流れており、旧鎌倉
街道との交差点脇に暗渠を確認することができる。

そろそろ大栗川との合流地点が見えてくる。
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右岸から連光寺地区を流れてくる大谷戸川が合流する。
町名となっている連光寺は現存せず、その場所や由縁も不明らしい。
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向ノ岡橋を過ぎると、左手から流れてくる大栗川と合流し、乞田川は終わる。
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《参考資料》
『大栗川・乞田川 流域の水と文化』 小林宏一著



目次
  

乞田川 1

乞田川(こったがわ)は長さ4.4㎞ほどの大栗川の支流、唐木田から乞田、
連光寺などを経て関戸の先で大栗川へ合流する。
京王線小田急線の多摩センター駅の北を通っているので、川の名前は知
らなくてもその存在を記憶している方もいるであろう。
乞田川の名は流域の乞田という字名から名づけられたものであるが、その
乞田は領民が領主に田を乞うたことに由来している。
鎌倉期の歴史書、吾妻鏡には関戸、連光寺、乞田の地名が記されている
といい、この周辺の地が古くから認知されていたことが判る。
現在の乞田川は多摩ニュータウン開発に伴い、河川整備が施されて真っ
すぐに流れる河川となっているが、開発以前の時代の地形図や航空写真
を見ると、大きく蛇行していることが判る。

乞田川が開渠として始まる場所は、小田急多摩線唐木田駅の北東、鶴牧
西公園の脇であるが、その源流は駅から西側へ2㎞ほどの場所にある東
京都水道局唐木田配水所付近である。
残念ながら駅までの間は開発が進み、自動車学校や大妻女子大学など
が建ち並び、かつての流路を見出すことはできそうにもない。
そこで、駅の東にある長坂橋地蔵尊から始めることとした。

唐木田駅の東、100mほどの場所に長坂橋地蔵尊が保存されている。
かつて中沢川との合流地点(後述)より上流部は唐木田川と呼ばれ、この
地蔵尊は唐木田川に架かる長坂橋の橋脇に元禄13年(1700)建てられ
たものである。
かつては柘植の木が笠のように被さっていたため、「長坂橋の笠地蔵」と
も称されていたようだ。
またこの地で、南の長坂の谷戸から流れる支流が唐木田川へ合流して
いたという。
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下の古地図は唐木田駅の駅前にある地名伝承の説明板に掲示されていたもの。
地図の中心に長坂橋の名が見え、「地蔵尊」という文字も確認できる。
南北逆に描かれており、左側が川の下流方向になる。
因みにこの説明板は興味深いこの周辺の歴史が記されており、古地図に
も見入ってしまう。
駅前広場に設置されているので、唐木田を訪れた際には見ることをお勧めしたい。
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地蔵尊から乞田川開渠方向へ進んでいく。
おそらく右手の歩道付近が唐木田川の流路であろう。
水路は地中に埋設管になってしまったのだろうか。
但し、開発によって整然とした街の中の道路となってしまったため、都内の
旧河川にあるような暗渠感は全くない。
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更に歩いていくと鶴牧西公園の西側で乞田川が開渠となるのだが、その前
鶴牧西公園に立ち寄ることとしよう。
公園内には整備された小川が流れているのだが、それを上流方向に辿って
いくと、その水源は湧水となっている。
公園自体が小さな谷戸となっており、公園内でも30メートルほどの高低差
がある。
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湧水から流れ出た小川が公園内を流れていく。
小川の右手には小学生の実習用の田圃が設置されている。
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さて、いよいよ開渠となった乞田川を見ていくこととしよう。
公園入口の道路の下から乞田川が顔を出してくる。
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公園の脇を流れていく乞田川、都市河川としては十分な水量である。
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川の西側、小田急線の線路脇に鎮座する秋葉神社、由緒などは不明。
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川沿いの道路を歩きながら下っていくと小田急線のガードが見えてくる。
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その小田急線のガードを潜り、その先で続いて京王相模原線と交差する。
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京王線を越えると、左から暗渠となって流れてきた中沢川が合流する。
中沢川はここから1㎞ほど南西方向へ行った中沢池という溜池から流れて
くる河川、前掲の古地図にも溜池の文字と、そこから流れ出る河川が確認できる。
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前にも記したようにこの合流部から上流側はかつて唐木田川と称していた。
ここからが従来の乞田川である。
そのことを示すわけでもないだろうが、ここからは川幅が広がり、両岸に
は遊歩道が続く。
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この先、多摩センター駅があるため、川沿いの遊歩道は駅への通路として
も活用されているようだ。
川沿いには桜並木が続き、多摩センター周辺の桜の名所ともなっているらしい。
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遊歩道は川に近づき、橋の下を潜る。
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更に続く桜並木と遊歩道。
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上之根橋の南側、京王線沿いに乞田八幡神社がある。
創建は延徳2年(1490)と伝えられ、明治6年(1873)村社に列せられる。
多摩ニュータウンの土地区画整理事業により、昭和49年(1974)当地
に移転してきたと由緒碑に記されている。
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整備された護岸が続き、清らかな水が流れていく。
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南から支流の青木葉川が合流する。
乞田川の谷戸は概ね南側へと広がっていて、この先も南側からいくつか
の支流が合流する。
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《参考資料》
『大栗川・乞田川 流域の水と文化』 小林宏一著



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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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