乞田川(こったがわ)は長さ4.4㎞ほどの大栗川の支流、唐木田から乞田、
連光寺などを経て関戸の先で大栗川へ合流する。
京王線小田急線の多摩センター駅の北を通っているので、川の名前は知
らなくてもその存在を記憶している方もいるであろう。
乞田川の名は流域の乞田という字名から名づけられたものであるが、その
乞田は領民が領主に田を乞うたことに由来している。
鎌倉期の歴史書、吾妻鏡には関戸、連光寺、乞田の地名が記されている
といい、この周辺の地が古くから認知されていたことが判る。
現在の乞田川は多摩ニュータウン開発に伴い、河川整備が施されて真っ
すぐに流れる河川となっているが、開発以前の時代の地形図や航空写真
を見ると、大きく蛇行していることが判る。
乞田川が開渠として始まる場所は、小田急多摩線唐木田駅の北東、鶴牧
西公園の脇であるが、その源流は駅から西側へ2㎞ほどの場所にある東
京都水道局唐木田配水所付近である。
残念ながら駅までの間は開発が進み、自動車学校や大妻女子大学など
が建ち並び、かつての流路を見出すことはできそうにもない。
そこで、駅の東にある長坂橋地蔵尊から始めることとした。
唐木田駅の東、100mほどの場所に
長坂橋地蔵尊が保存されている。
かつて中沢川との合流地点(後述)より上流部は唐木田川と呼ばれ、この
地蔵尊は唐木田川に架かる長坂橋の橋脇に元禄13年(1700)建てられ
たものである。
かつては柘植の木が笠のように被さっていたため、「長坂橋の笠地蔵」と
も称されていたようだ。
またこの地で、南の長坂の谷戸から流れる支流が唐木田川へ合流して
いたという。

下の古地図は唐木田駅の駅前にある地名伝承の説明板に掲示されていたもの。
地図の中心に長坂橋の名が見え、「地蔵尊」という文字も確認できる。
南北逆に描かれており、左側が川の下流方向になる。
因みにこの説明板は興味深いこの周辺の歴史が記されており、古地図に
も見入ってしまう。
駅前広場に設置されているので、唐木田を訪れた際には見ることをお勧めしたい。

地蔵尊から乞田川開渠方向へ進んでいく。
おそらく右手の歩道付近が唐木田川の流路であろう。
水路は地中に埋設管になってしまったのだろうか。
但し、開発によって整然とした街の中の道路となってしまったため、都内の
旧河川にあるような暗渠感は全くない。

更に歩いていくと鶴牧西公園の西側で乞田川が開渠となるのだが、その前
に
鶴牧西公園に立ち寄ることとしよう。
公園内には整備された小川が流れているのだが、それを上流方向に辿って
いくと、その水源は湧水となっている。
公園自体が小さな谷戸となっており、公園内でも30メートルほどの高低差
がある。

湧水から流れ出た小川が公園内を流れていく。
小川の右手には小学生の実習用の田圃が設置されている。

さて、いよいよ開渠となった乞田川を見ていくこととしよう。
公園入口の道路の下から乞田川が顔を出してくる。

公園の脇を流れていく乞田川、都市河川としては十分な水量である。

川の西側、小田急線の線路脇に鎮座する
秋葉神社、由緒などは不明。

川沿いの道路を歩きながら下っていくと小田急線のガードが見えてくる。

その小田急線のガードを潜り、その先で続いて京王相模原線と交差する。

京王線を越えると、左から暗渠となって流れてきた
中沢川が合流する。
中沢川はここから1㎞ほど南西方向へ行った中沢池という溜池から流れて
くる河川、前掲の古地図にも溜池の文字と、そこから流れ出る河川が確認できる。

前にも記したようにこの合流部から上流側はかつて唐木田川と称していた。
ここからが従来の乞田川である。
そのことを示すわけでもないだろうが、ここからは川幅が広がり、両岸に
は遊歩道が続く。

この先、多摩センター駅があるため、川沿いの遊歩道は駅への通路として
も活用されているようだ。
川沿いには桜並木が続き、多摩センター周辺の桜の名所ともなっているらしい。

遊歩道は川に近づき、橋の下を潜る。

更に続く桜並木と遊歩道。

上之根橋の南側、京王線沿いに
乞田八幡神社がある。
創建は延徳2年(1490)と伝えられ、明治6年(1873)村社に列せられる。
多摩ニュータウンの土地区画整理事業により、昭和49年(1974)当地
に移転してきたと由緒碑に記されている。

整備された護岸が続き、清らかな水が流れていく。

南から支流の
青木葉川が合流する。
乞田川の谷戸は概ね南側へと広がっていて、この先も南側からいくつか
の支流が合流する。

《参考資料》
『大栗川・乞田川 流域の水と文化』 小林宏一著