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大栗川 2

厳耕地谷戸と子の神谷戸からの支流を合流した大栗川は御殿橋から川幅
を広めて流れていく。
ここからは下流の多摩川沿い付近までほぼ全区間、川沿いを歩いていくこ
とができる。
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御殿橋の北側の橋詰のは八王子道道標が建てられている。
前項で説明した絹の道の道しるべとして、慶応元年(1865)に建てられたもの。
当時は家屋敷が建ち並び賑わいを見せていたという。
もともとは橋の南側の旧鑓水公会堂脇に建てられていたが、河川改修工
事に伴い現在地に移された。
2017-09-30_8.jpg

次の嫁入橋の手前に嫁入り谷戸からの支流が合流する。
「嫁入り」とは面白い地名だが、巫女に化けた狐を弓で射った、もしくは弓
のようにゆるやかに曲がって谷戸への道が続くということから、「弓入り」
が転じて「嫁入り」となったようだ。
2017-09-30_10.jpg

嫁入り谷戸の入口に曹洞宗の高雲山永泉寺という古刹がある。
弘治元年(1555)、甲斐武田氏族の永野和泉が党族争い等の醜さから逃
れて、鑓水の地に移住、高雲山永泉庵という一宇を建てたのが始まりとされる。
2017-09-30_14.jpg

嫁入橋の南側、数百メートルほどの場所には、東京都指定有形民俗文
化財に指定されている小泉家屋敷が建っている。
明治11年(1878)に再建された主屋は茅葺の木造平屋建入母屋造。
現在もお住まいの方がいるので、外から眺めるだけとなる。
おそらく多摩が開発される以前は、このような家屋が多く存在していた
のであろう。
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大栗川は柚木街道(都道20号線)の右に出て東へと流れていく。
2017-09-30_21.jpg

ところどころで、このように水を落とす。
この地点の標高は120メートルほど、多摩川合流地点の標高は45メート
ルなので、10km少々の区間で70m以上下っていくことになる。
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右岸に上袖木公園を見る。
丘陵地に広がる広大な公園で、野球場や陸上競技場がある。
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大栗川には周辺の谷戸から多くの支流が流れ込み、その水量を増していく。
写真は前田橋上流で合流する中山川岩入り川)。
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段差を繰り返して下っていく大栗川。
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大栗川を歩いていると直線的な形状の河川であると感じるが、これは多
摩丘陵開発時に大規模な河川改修が施された結果である。
開発前の地図を見ると、河川は大きく蛇行を繰り返しており、川沿いに田
園が広がっていたことが判る。
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下柚木で野猿街道が北西から近づいてくるが、その野猿街道沿いにある
殿ヶ谷戸からの支流が合流している。
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その先の右岸に大石やかた公園という小公園がある。
公園の裏手にある高台が、永禄年間の頃、後北条氏に仕えていた大石
信濃守宗虎が居館を構えていた跡とされている。
公園はその下にあり、遺構などは特にない。
後日、調べてみると裏手に宗虎の墓所があるようなので、機会があれば、
後日再訪してみたい。
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川沿いには遊歩道が続き、快適にあるくことができる。
2017-09-30_41.jpg

京王堀之内駅近くの大栗川橋の上流で右岸から大田川を合流する。
(写真では左側)
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その大栗川橋と京王堀之内駅の間に南八幡宮が鎮座する。
寛永6年(1629)、北条氏の家臣、横倉伊予守や井草小田肥後守らに
より創建されたという、
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さらに川沿いに遊歩道が続く。
駅から近いためか、この付近は散策を楽しむ人が多い。
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大栗川に架かる東中野橋、この橋は左岸から右岸にかけて高くなっており、
川が台地の下を流れている証である。
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その先、右岸にある真宗高田派の西王山善徳寺がある。
慶長年間(1596~1614)に建立、当初は浄覚寺と称していたが、後に
善徳寺に改称、当地には元文5年(1740)に移転し、澤応大法師が中
興開山した。
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さて左岸から数十メートルほど足をのばすと、旧大栗川の流路を見ること
ができる。
先に述べた通り、大栗川は河川整備されて直線的な流路となってしまっ
ているが、ここはかつて蛇行していた痕跡が残る貴重な場所である。
中央大学正門の南、谷津入りの地から流れて合流する川が流れ込み、
それが旧流路の主な水源となっている。
2018-01-20_79.jpg

旧流路脇には細い道が続き、その流れを見ながら歩いていくことができる。
2018-01-20_86.jpg
旧水路は400メートルほど続き、本流に合流する。

前方に多摩モノレールが見えてくる。
写真左手に見える高い建物は帝京大学の校舎である。
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《参考資料》
『大栗川・乞田川 流域の水と文化』 小林宏一著



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大栗川 1

大栗川は八王子市鑓水の御殿峠付近を水源とし、同市上袖木、下袖木、
堀之内、大塚などを経て、多摩市連光寺で多摩川へと注ぐ延長15kmほ
どの一級河川である。
支流には大田川、乞田川などを持つが、周辺地域の谷戸を水源とする小
河川が流れ込む。
もともとは蛇行が多い河川であったというが、ニュータウン開発に伴い、
河川改修が行われ、現在ではコンクリート護岸の直線的な河川となっている。
厳耕地谷戸、子の神谷戸が合流する上流域の御殿橋付近から、ほぼ河
川に沿って散策を楽しむことが出来る。

まずは源流域の厳耕地谷戸、子の神谷戸、そして多摩美大付近の本流
からスタートしてみた。

厳耕地谷戸支流
八王子バイパスの御殿峠の東側を源流部として流れる小さな河川である。

湧水地点おそらく林の中、川の流れを確認できるのは国道16号から200
メートルほど下った地点である。
写真左側の白い家屋脇を流れ出てくる。
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川は道路と交差し、右側の農地の奥へと入っていく。
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再び道路脇へと出てきた河川、せせらぎを聴きながら谷戸の道路を歩く。
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個人宅への取り付け道路の橋の上から眺める支流、流石に流れる水は清らかだ。
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その先、流路は道路とは離れて崖下を流れていくことになる。
そこには谷戸の原風景が広がっている。
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更に歩いていくと三差路があり、道脇に庚申塔などの石塔が建てられている。
その横には八王子市教育委員会による「絹の道説明板があり、説明板
脇の道路は尾根へと続いている。
安政六年(1859)の横浜開港から明治はじめの鉄道の開通まで、 八王
子近郷もとより長野・山梨・群馬方面からの輸出用の生糸が、 この街道
(浜街道)を横浜へと運ばれました。
八王子の市にほど近い鑓水には生糸商人が多く輩出し、 財力もあって
地域的文化も盛んとなり、鑓水は「江戸鑓水」とも呼ばれました。
なお、この「絹の道」という名称は、地域の研究者が昭和20年代の末に
名づけたものである。
(説明板より引用)
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現在は鉄道駅から離れ、静かな里の風景が広がる地区だが、幕末、明治
初期頃は鑓水商人と呼ばれる生糸商人により賑わいを見せていたようだ。

その説明板から100mほど行くと、絹の道資料館がある。
生糸商人、八木下要右衛門の屋敷跡に建てられた資料館で、絹の道や
製糸・養蚕に関する資料が興味深い。
2017-09-08_21.jpg

展示室内にあるジオラマ(許可を得て撮影)、正面に見える谷筋が下って
きた厳耕地谷戸で、尾根沿いの道が絹の道だ。
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支流は、資料館西側の農地の中を流れていき、子の神谷戸からの支流と
合流する。
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子の神谷戸支流
資料によれば、国道16号沿いの霊園の下付近にある湧水からの流れと
のことだが、こちらも藪に囲まれて源流域に近づくことは難しい。
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支流の中程からは道路沿いに水は流れていく。
この道路は谷戸の奥で行き止まりとなっており、車も通ることは稀なようだ。
故に、道路を歩いていくのも気がひける感がある。
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道の北側、丘の上に鑓水諏訪神社が鎮座する。
創建年は不明だが江戸中期の頃とされ、明治10年(1877)、もともとこの
地にあった子の神神社と、日影谷戸の諏訪神社、厳耕地谷戸の八幡神社
が合祀され、諏訪神社となった。
本殿の建立には鑓水商人が関わっており、山間地の神社ながら見事な彫
刻が施されている。
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支流は道路脇を流れ続ける。
こちらの水も清らかである。
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大栗川への合流直前で、厳耕地谷戸からの支流を合わせる。
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御殿橋下で大栗川へと合流している。
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大栗川本流大芦谷戸
大栗川の本流とされる水路も、国道16号線鑓水交差点辺りが水源らしい
が、こちらは周辺地域が開発され、おそらく谷戸も開発により埋められてし
まったものと思われる。
源流からの水路は暗渠化されているが、暗渠とはいっても地中の埋設管と
なっており、かつての水路を見出すことはできない。

河川としての最上流地点は、多摩美大の入口付近。
埋設管から僅かな水の流れが確認できる。
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川沿いを歩くことはできず、鑓水街道と称する道路に迂回して水路を
追うが、地中に浸み込んでしまったのか、水の流れは確認できなくなっ
てしまう。
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鑓水街道と交差した先の河川、現在は雨水排水路としての役割と
しか果たしていないのだろう。
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再び民地に入ってしまうため迂回を強いられる。
200メートルほど行くと、先ほどの子の神谷戸支流が合流する御殿橋に
辿りつく。
このように現在、本流からの水の流れは殆どなく、大栗川の主たる
源流域は厳耕地谷戸および子の神谷戸であるといっても過言ではない。

以上、大栗川の源流を辿ってみたが、次回からは大栗川本流に沿って
下っていくことにする。

《参考資料》
『大栗川・乞田川 流域の水と文化』 小林宏一著



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ごあんない
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水系ごとに体系化しています。

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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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