本郷の地を流れていた東大下水の支流、
菊坂支流を紹介しよう。
なお菊坂支流は正式な名称ではないが、菊坂に沿ってながれているので、
暗渠愛好家にはその名で呼ばれており、本項でもその名を使用することとしよう。
菊坂付近には、宮沢賢治や樋口一葉の旧居跡など史跡が多く、今回は
川歩きというか、史跡巡りに重きを置いて記していこうと思う。
菊坂支流の源は東京大学の構内とされ、東大の前身である加賀藩上屋敷
から小川が流れ出て菊坂の谷を下っていたという。
その東大キャンパス南側にある
懐徳園と称する和風庭園内には池がある。
ただし、懐徳園は一般公開されていない。
東大の西側を通る国道17号線(本郷通り)には僅かな凹みを確認すること
ができる。
ここにはかつて中山道に架かる小さな橋があり、江戸の境界であった。
江戸を追放された者がここで親類縁者と別れたため、南側の坂を
見送り坂、
北側の坂を
見返り坂といった。

この付近が江戸の北限であったことは、少し南の本郷三丁目交差点の角
に位置する
かねやすという雑貨店にその証がある。

元禄年間、口中医師(歯科医)である兼康祐悦が製造販売し、人気を呼ん
だことに始まる。
享保15年(1730)の大火の復興の際、町奉行であった大岡忠相がこの辺
りから江戸城にかけての家屋は防災上、塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根を
瓦葺とさせた。
対して北側は板や茅葺きの家が建ち並び、この辺りが江戸の境目と認識
された。
『本郷も かねやすまでは 江戸のうち』という川柳がそのことを示す。
(江戸の範囲を示す朱引はもっと北にあるが、朱引が引かれたのは文政
元年(1818)のことである。)
菊坂支流を辿る前に、もう一つ、川の南に位置する
本郷薬師を紹介しておこう。
街中に薬師堂がポツンと建つが、これはもともと真光寺の境内であり、
真光寺は戦災にあい世田谷区に移転したが、薬師堂だけが残ったもの。
薬師堂は寛永10年(1670)の建立といわれ、当時流行った奇病の治癒
祈願で信仰を集めた。
また、毎月八日、十二日、二十二日の縁日は、江戸の三縁日の一つに
数えられ多くの参拝客で賑わったという。

さて菊坂の商店街を下っていこう。
商店街の街路灯にはこの付近に居を構えた文豪たちの説明が記されており、
それらを読んでいくだけでも楽しい。

菊坂を250メートルほど進むと、商店街の道路の南に並行する細い道が
出現する。
この道がかつての菊坂支流の川筋であり、ここからはこの道を辿っていこう。

支流跡の道は商店街の道路と次第に段差が生じていく。
150メートルほどいくと、商店街との間には階段で結ぶ。
階段正面の地に宮沢賢治(1896~1933)が曲がりをしていた。
大正10年(1921)1月から8月までの期間住み、童話集『注文の多い料
理店』収録の「かしわばやしの夜」「どんぐりと山猫」などは当地にて書か
れたものだという。

菊坂通りの北側には曹洞宗の祝峯山長泉寺がある。
永禄3年(1560)小石川に創建、寛永13年(1636)に当地に移転してき
た古刹である。

菊坂支流を下り、左手の路地を入っていくと
樋口一葉(1872~96)
菊坂
旧居跡がある。
古い家屋が建ち並び、路地脇には井戸があり、タイムスリップしたような
感覚を味わうことができる。
一葉はこの辺りを転々としていたが、ここには明治23年(1890)から3
年間、借家に暮らしていた。

さらに下ると西側に
鐙坂という急坂がある。
由来は「鐙の制作者の子孫がすんでいたから」とか、「形が鐙に似ていた
から」とも言われている。
坂の上は右京山と呼ばれ、上州高崎藩主松平右京亮の中屋敷があった
ことに由来する。

ここで再び菊坂通りに出て、
旧伊勢屋質店の建物を紹介しよう。
伊勢屋質店は万延元年(1860)に創業し、昭和57年(1982)まで営業し
ていた。
見世(店舗兼住宅)、土蔵、座敷などが現存しており、文京区の有形文化
財に指定されている。

建物と土地は跡見女子大学が買い取り、週末には無償にて一般公開が行
われ、説明員による詳細な話を聞くことができる。
但し、公開日は限定されているので、お出かけの際は同行のホームページ
にて確認することをお勧めしたい。
なお、前掲の樋口一葉は早くして父親を亡くし、窮乏生活を送っていたため、
この質店を利用しており、一葉ゆかりの質店としても知られている。
再び支流へと戻る。
先ほどの鐙坂下からコンクリートの道路が続く。
菊坂支流の川跡を確認できる唯一の区間である。

その先、右手から
西片支流(仮)が合流する。

西片支流(仮)は東大弥生キャンパス(農学部)辺りを水源とする小河川で
ある。
途中、深い谷を確認することができるが、川筋は道路化されて下流の一
部区間の歩行者用道路にその痕跡を残すのみである。

西片支流と合流した先、左手には石積の小さな擁壁が出現する。

その先、白山通りに出た箇所で菊坂支流は
東大下水本流へ合流していた。

以上、川歩きとしては短い区間であるが、本郷という土地柄、見所が多い。
紹介した場所以外にも見所が多く、文京ふるさと歴史館も近い。
休日の一日、歴史散策としてお勧めの散策コースである。
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