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旧野川

狛江市内を流れていた野川旧水路を追ってみた。

現在、野川は柴崎・国領の間で京王線を交差した後、東進し、調布市入
間町で北から入間川を合わせて南下、成城と喜多見の間を通って二子
玉川方面へと流れている。
しかし昭和四十年代初頭までは狛江市内を蛇行しながら流れていた。

野川流域にはもともと田畑が広がっていたが、高度成長期ともなると家
が建ち始め、家庭や工場からの雑廃水により水嵩が増し、台風や集中
豪雨時には堤防が決壊することが多くなってきた。
そして決定的な事象は、昭和41年(1966)6月の台風4号による水害で
あった。
岩戸橋付近が決壊し、浸水面積は118ha、床上浸水772世帯、床下浸
水918世帯、合わせて5800人の被災者を出す結果となった。
この被害を受けて、町議会(当時は狛江町)は「野川改善工事の促進に
関する決議」を議決、決議文と請願書を東京都へ提出した。
その結果、神代団地から調布市境を通って入間川と合流し、成城の崖下
を通るという、現在のルートに移設された。
完成は昭和42年6月、台風被害の1年後という早さである。
旧野川の跡は「グリーンネットワーク計画」の一環として、昭和51年には
野川緑地公園が整備されている。

出発地点は、小金橋のすぐ下流、写真右手の護岸付近で旧野川は南へ
と流れていたようだ、
2017-07-08_1.jpg

ここから野川緑地公園が始まる。
長さ2.2km、平均幅員約10mの緑道である。
2017-07-08_4.jpg

緑道には約4500本の樹木が植えられているという。
歩いた時期は真夏であったが、木陰が多くて暑さを避けることができた。
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旧野川の東、現野川との間に子之三嶋神社が鎮座している。
創建年代は不詳、旧覚東村の子ノ神社と称し、同村の三嶋社を合祀、明治
4年、村社に列格した。
2017-07-08_11.jpg

さらに歩いていくと大橋の欄干と改修記念碑が保存されている。
写真手前の橋の親柱には「昭和36年2月28日竣功」と記されている。
2017-07-08_16.jpg

緑道内には所々に児童遊具が設置されている。
2017-07-08_18.jpg

その先、緑道の西側には小足立八幡神社がある。
緑道側からだと、住宅地を迂回して行くため、少しばかり歩くこととなる。
こちらも創建年代は不明であるが、境内の記念碑の碑文によれば、元禄
十年(1697)の小足立村の検地帳に「八幡宮」と記載されており、相当の
古社であるようだ。
2017-07-08_23.jpg

急カーブする緑道、かつての野川が大きく蛇行していたことが想像できる。
この蛇行が水害を大きくした一因かもしれない。
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松原通りとの交差部分には、かつて御台橋という橋が架けられおり、付近
の小さな商店街にもその名を残している。
2017-07-08_31.jpg

通りを渡った先、緑道の右側に御台橋(御臺橋)の親柱が保存されている。
2017-07-08_33.jpg

時折、ウォーキングやジョギングをしている人とすれ違う。
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最後の500メートルほどの区間は道路に沿って緑地帯が続く形となる。
これまでとは違って流路は直線となっているが、これはまだ野川が流れて
いた頃、耕地整理されたためである。
2017-07-08_41.jpg

その先で野川は六郷用水へと合流していた。
写真奥に見えるのは小田急線の高架橋、以前は地上を走っておりそこに
は小さな鉄橋が架かっていた。
野川が大雨で増水すると小田急線が不通になることもあったという。
2017-07-08_43.jpg

古い地形図を見ると、六郷用水はこの先、野川の支流である入間川を合
わせ、現在の東名高速道路と交差する辺りで再び野川を分けている。
言葉では説明しきれないので、六郷用水の記事を書く際に作成した概略
図を再掲して、この項を結ぶこととする。
野川改修前
old4.jpg
野川改修後(現在)
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《参考資料》
『狛江市史』 狛江市史編さん委員会
『ちょっとむかしの狛江 水の記憶を訪ねて』 狛江市教育委員会



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大泉堀

大泉堀(だいせんぼり)は、西武池袋線ひばりヶ丘駅の南西付近を水源とし、
西武線の北側を流れる白子川の支流である。
その名は下保谷天神社の西、坊ヶ谷戸(北町6丁目付近)があった大泉坊と
いう寺院に由来する。
また大泉堀は「下保谷のシマッポ」とも称されていた。
現在、大泉堀は全て暗渠となっているが、暗渠蓋の歩行者道が続き、容易
に辿ることができる。

大泉堀の谷頭は西東京市住吉町3丁目、すみよし保育園の西側付近であ
ったという。
おそらく、昔は農地が広がり、小さな流れが始まっていたのかもしれない。
ただ、現在、周辺は住宅地となっており、水流の痕跡を探すことはできない。
2017-06-24_1.jpg

大泉堀の流路が現れるのは、その西側にある西武線踏切の北、緑色に塗
色された暗渠蓋の歩行者道路が始まる。
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西東京市栄町の住宅街を進んでいく緑の暗渠。
2017-06-24_11.jpg

その先、100mほど一般道と並行する。
残念だが、緑の塗装はこの手前で終わってしまう。
2017-06-24_13.jpg

暗渠沿いには空き地などが点在し、昔日の大泉堀を彷彿とさせる風景も展開する。
2017-06-24_15.jpg

二つの都道(234号線旧道、25号線)と交差し、大泉堀は更に東へ進む。
2017-06-24_18.jpg

暗渠蓋の間にあるグレーチングから中を覗くと水の流れが確認できた。
どこかの湧水が流れ込んでいるのだろうか。
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伏見通りとの交差箇所では、僅かな高低差を確認できる。
2017-06-24_23.jpg

その先、大泉堀の北側には下保谷天神社が鎮座している。
天正年間(1573~91)の創建と伝わり、下保谷村の総鎮守であった。
明治元年(1868)の神仏分離までは、日蓮宗が守護神として崇敬する三
十番神を祀り、福泉寺(後述)を別当寺としていた。。
明治以降は天神社を名乗り、現在に至る。
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下保谷3-2で南からの宮ノ脇川を合流する。
宮ノ脇川の下流には暗渠蓋が続く水路(立ち入ることはできない)となって
いるが、上流部は住宅やマンションが建ち。水路を辿ることは難しい。
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下保谷の住宅街を進んでいく大泉堀。
2017-06-24_40.jpg

保谷駅の北に日蓮宗の保谷山福泉寺がある。
天正14年(1587)、日眼上人による開山とされる。
前述の天神社にあった三十番神神像はここに移され、現在は西東京市の
指定文化財となっている。
2017-06-24_42.jpg

更には大泉堀の北側には新井山大乗院があり、こちらも日蓮宗の寺院である。
永徳2年(1382)に遷化した日讃上人の開山とされる古刹で、妙福寺
白子川1参照)の塔頭であった。
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下保谷に日蓮宗の寺院が多い理由は、中世に各宗派の布教活動が多く
行われ、日蓮宗は妙福寺を活動拠点としてこの辺りに布教していったとい
う経緯がある。
中世期には、既に下保谷に人々が居住していた証拠であり、彼等は大泉
堀を流れる水を生活の糧としていたことが判る事象であろう。

大乗院の南で、西東京市から練馬区へと入る。
練馬区へと入り、500メートルほど歩くと、大泉第四小学校に行く手を遮られる。
水路に隣接した土地を利用して学校が建設される例はよくあるが、この
小学校もその類いであろう。
2017-06-24_52.jpg

小学校を迂回すると、再び大泉堀の暗渠の通路が続いている。
その先で南側から野水(小さな水の流れ)が合流する。
野水の跡には歩行者用通路が整備され、南大泉6-10付近まで辿るこ
とができる。
2017-06-24_56.jpg

大泉堀の北に並行する一般道には、「丸山東橋」「小泉橋」といった交差
点があり、かつての橋の名が交差点名として残っている。
2017-06-24_53.jpg

道路との交差箇所にある車止め。
水路の歩行者道と道路との間には数十センチほどの段差が生じている。
2017-06-24_59.jpg

白子川へ合流する手前、200メートルほどの区間では、歩行者道が突然
広くなっている。
ここでは歩行者や自転車の交通量が多く、大泉学園駅北口への周辺住
民の通路として活用されているようだ。
2017-06-24_61.jpg

その途中、またもや野水が南から合流する。
この野水は保谷駅の北東部を水源とし、妙福寺の境内脇を流れていた
1km以上の長い水路である。
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行く手に白子川の柵が見えてきた。
2017-06-24_63.jpg

大泉堀は宮の橋の上流付近で白子川へと合流する。
白子川の左岸には大きな吐口を確認することができる。
僅かに水が出ているのを確認できる程度だが、大雨時などは排水路とし
ての役目を担っているのであろう。
2017-06-24_66.jpg

《参考文献》
『白子川を知っていますか -水辺再生に向けて-』 白子川汚濁対策協議会編
『歴史のなかの田無』 増渕和利著



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ごあんない
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過去記事はこちらから。
水系ごとに体系化しています。

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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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