葛西用水 3

さらに歩いていくと外環道が行く手に現れる。
この外環道沿いには綾瀬川と中川を結ぶ綾瀬川放水路が造られており、
葛西用水は放水路を伏越で交差している。
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こちらは交差手前に設置されている除塵機、かなり大きなものだ。
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外環道の南で、伏越から再び地上に現れる。
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伏越から数十メートルほど歩くと、キタミソウ自生地の説明板があった。
植物には疎いが、説明板によるとキタミソウは絶滅危惧種に指定されて
いる植物で、10月に芽を出し、11月~4月の間に2度小さな花をつけ、
その後、種子の状態で水底で夏季を越すという。
残念ながら5月下旬だったため、その姿を目にすることはできなかった。
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草加市青柳の地を南下していく葛西用水。
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青柳堰に設けられた水門、いにしえ風に造られたものであり、上部には水
門を上下させるモーターらしきものが置かれていた。
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こちらは右岸に設けられた小さな水門。
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その先、桜並木が1.3kmほど続く。
春には壮観な風景となるのであろう。
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用水の両岸の遊歩道が続き、親水施設も設けられている。
かつての農業用水は、現在では市民の憩いの場として変化を遂げている。
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用水は草加市から八潮市へと入っていく。
伊草天神橋の西にある伊草天神社、創建年代は不明、旧伊草村の鎮守
社であったようだ。
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用水には再び葦が生い茂るようになる。
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左岸にひっそりと立つ地蔵尊。
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その先、左岸には松之木どんぐり遊歩道という遊歩道が続く。
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県道54号線が架かる馬場新橋の先、右岸に真言宗豊山派の正保山観
音寺
が建つ。
天文3年(1534)不動坊として開基、その後、坊跡を元和7年(1621)、長
清律師が開山したという。
本堂前にあるイチョウは樹齢400年と伝えられ、八潮市の天然記念物に
指定されている。
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葛西用水にはますます葦が茂り、水面さえ望むことができなくなってしまう。
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葦の間に現れた古い水門。
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首都高速6号三郷線が目の前に迫ってきた。
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三郷線を越すと、左岸から八條用水が合流してくる。
八條用水は葛西用水と同じく瓦曽根溜井から流れ、葛西用水の東側を流
れてくる用水路。
最初に記したように、農業用水としては葛西用水より古い。
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その先でつくばエクスプレスと交差する。
左へと行くと同線の八潮駅が近い。
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葛西用水 2

さて、葛西用水に沿って歩き始めることにしよう。

東武スカイツリーラインの越谷駅から500メートルほど東へ歩くと、葛西
用水と元荒川に架かる新平和橋がある。
今回はここを出発地点とする。

新平和橋付近では、葛西用水は川幅が広くなり、貯水池のようになっている。
ここが瓦曽根溜井であり、ここに水を貯えて用水へと水を流している。
瓦曽根溜井から流れ出る用水は、葛西用水のほかに、四ヶ村用水、谷古
田用水および八條用水が分水している。
写真左の土手の向こうには元荒川が流れており、東へ流れる中川へと通
じている。
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こちらが葛西用水圦、葛西用水へと流れる水はこの水門から取水されている。
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瓦曽根溜井沿いを渡った場所にある谷古田取水口公園に、瓦曽根溜井
防水碑と道標付き庚申塔が保存されている。

瓦曽根溜井防水碑は明治23年(1890)の大雨から守ったことを記念して
建てられたもの。
同年8月の大雨は利根川決壊という事態を引き起こし、ここ瓦曽根溜井
でも水量が増し、決壊寸前までいった。
葛西用水下流域の村々から動員し、夜を徹して警戒にあたり、洪水を防いだ。
この碑はその事実を後年に伝えるために明治26年に有志によって建立
されたものである。
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道標付き庚申塔は享保8年(1723)に建立されたもの。
元荒川下流にある大相模(現:越谷市大相模)や吉川(現:吉川市)、元
荒川上流にある時慈恩寺(さいたま市岩槻区内)、さらには遠く市川(千
葉県市川市)への道標となっている。
当時は葛西用水に沿って南下する道があり、日光街道、水戸佐原道を
経由して市川方面と交流があったことが伺い知れる。
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溜井から流れ出る葛西用水、水路幅は10メートル前後はあるだろうか。
前項で説明した葛西井堀という区間であり、現在は東京葛西用水という
名がつけられているようだ。
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葛西用水の右側には谷古田用水が流れる。
こちらは綾瀬川の東、谷古田領を灌漑するために開削された用水、武蔵
野線を越えて蒲生東町まで2kmほど並行する。
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葛西用水と谷古田用水の間には谷古田河畔緑道という遊歩道が設けられ
ており、気軽に歩くことができる。
この河畔緑道を含めて、葛西用水沿いには一部区間を除いて遊歩道が続
いている。
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流通団地内を流れていく葛西用水、よく見ると、水の流れは殆どない。
国土地理院のWeb地図で調べてみると、瓦曽根溜井付近でも標高値は
5mほどしかない。
歩きながら清流の流れを楽しむことができる玉川上水などとは異なる。
溜井を利用する方法が採られたことも、このようなことが要因しているの
かもしれない。
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その先、葛西用水右岸は野鳥保護地域となり遊歩道は谷古田用水沿い
の細い通路となる。
こちらの写真は保護地域内に設けられた野鳥観察施設。
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やがて葛西用水はJR武蔵野線と交差する。
線路と南側に進むには近くの道路を迂回し、アンダーパスを通る必要がある。
南側から武蔵野線との交差箇所を撮影。
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武蔵野線を越えた先の葛西用水の風景、水路内には葦が生い茂っている。
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その右側、谷古田用水側には親水公園がある
公園内に流れる水は用水とは別物、さすがに用水の水を子供たちに触れ
させるわけにはいかない。
谷古田用水は暗渠となって公園の下をながれているようだ。
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その親水公園の先で、長く寄り添って流れていた谷古田用水は右へ分か
れていく。
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谷古田用水が分かれたことで、谷古田河畔緑道は終わってしまうが、葛西
用水沿いの遊歩道が続いている。
葛西用水には相変わらず、葦が続いている。
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遊歩道脇に建てられている散策案内板、葛西用水沿いの越谷市、草加市、
八潮市の三自治体が共同して建てたもののようだ。
周辺の史跡(用水からかなり離れたものもあるが)案内が充実している。
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瓦曽根溜井から殆ど直線的に流れてきた葛西用水だが、ここでようやく左
へとカーブする。
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用水の親水施設も所々に設置されている。
ただ、用水を流れる水は、お世辞にも清らかとは言い難い。
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用水の中にコンクリート製の構造物を見つけた。
橋脚もしくは堰の跡なのだろうか。
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左岸に続く石垣の護岸壁、不揃いの石が気であるが、かなり古くからある
ものかもしれない。
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その先、今度は右岸にツバキと芝生の護岸が現れる。
この辺り、いろいろな護岸が見られ、それを見ながら歩くのも楽しい。
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その付近の西側で、古綾瀬川が接近する。
一番狭いところで、葛西用水と古綾瀬川との間の距離は十数メートルほど
である。
それでも2つの水路は合流せず、古綾瀬川は蛇行しながら去っていく。
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右岸に現れた水門。
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その先、葛西用水右岸に青柳久伊豆神社が鎮座している。
由緒は不明、村の鎮守といった風情のある小ぢんまりとした神社である。
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さらにはその南に新義真言宗豊山派の青柳山三覚院がある。
慶長十年(1605)頃の創建とされ、俊賢法印が開山した。
現在の本堂は文化8年(1811)建立と伝わり、本堂内の板絵は埼玉県有
形文化財の指定を受けているとされる。
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久伊豆橋脇に建てられていた道標、
いつ頃のものかは判らないが、「粁」の字が記されているので、そんなに古
いものではないのかもしれない。
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《参考資料》
『ブックレット 足立風土記⑩』 足立区教育委員会



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葛西用水 1

羽生市の本川俣で利根川から取水して(現在は行田市の利根大堰からの
埼玉用水路から分水)、埼玉県を経て足立区や葛飾区へと流れる葛西用水
その西を流れる見沼代用水や愛知県の明治用水とともに日本三大用水と
され、70km以上の延長を持つ。

いつものようにまずは歴史的経緯から紐解いていくことにするが、その経緯
は複雑である。
これまで取り上げてきた玉川上水や六郷用水、二ヶ領用水のように、開削
して多摩川の水を取り入れたといった単純なものではなく、葛西用水は水
源を求めてさらに上流へ延びていったという経緯がある。
その過程はなかなか理解しにくいが、いくつかの資料に基づき、簡単にま
とめてみた。

まずは、下の概略図を見て頂きたい。
地図を掲載しようとも考えたが、下流部に比べて上流部(幸手用水や大落
古利根川)の距離が長いので概略図にとどめることとした。下手な絵で恐
縮である。
葛西用水

① 葛西井堀
中世後期、亀有付近には亀有溜井という溜池があった。
古利根川(現:中川)の一部を堰き止め、そこから葛西領(葛飾区、江戸
川区と墨田区、江東区の一部)へと用水をひいていた。
溜井の上流では、古綾瀬川(現:桁川)が合流し、亀有溜井を潤していた。

だが、慶長年間に備前堤が造られて綾瀬川の水が元荒川へと導水され、
また綾瀬川流域の新田開発が進んだことにより、綾瀬川の水量は急激
に減少し、亀有溜井の水は不足することになる。

そこで、元荒川に設けられていた瓦曽根溜井から用水が開削されること
となった。
瓦曽根溜井からは八條用水などが開削され、八條領(現:八潮市など)の
農地を潤していた。
また、排水用として慶長18年(1613)に八條領悪水落井堀が開削されて
いたが、元和7年(1621)、この悪水路を延長して瓦曽根溜井から取水す
るように施工し、更には水路幅を拡幅して古綾瀬川への水路を設けた。
瓦曽根溜井から古綾瀬川までの区間は葛西井堀と呼ばれることになった。

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             瓦曽根溜井

② 中島用水
寛永6年(1629)、荒川の瀬替が行われると、今度は元荒川の水量が不
足することとなった。
そこで、寛永18年(1641)、中島用水が開削され、中島村(現:幸手市)で
江戸川から取水し、途中、庄内古川を経由して供給されることとなる。
中島用水は大落古利根川へ流され、また同時期に開削された鷺後用水
(逆川)により、松伏溜井から元荒川へと導水されることになる。

③ 幸手用水
半世紀余り、中島用水を経由して水が供給され続けていたが、宝永元年
(1704)、利根川に大洪水が発生し、庄内古川に流れ込む権現堂川が
埋没するなど、大きな被害を被ることになる。
この洪水により中島用水による水供給は破綻してしまう。

幸手用水はもともと、万治元年(1660)に開拓された農業用水で、本川
俣(現:羽生市)の元圦で利根川幸手領の村々の農地を潤していた。
中島用水の破綻により困窮していた村々は幸手用水からの取水を求め
る願書を度々提出した。
その結果、享保3年(1718)本川俣の上流の上川俣に新圦を設置し、
水路を拡幅して、その翌年、利根川から幸手用水や大落古利根川を経
由して取水することが実現した。

こうして葛西用水の水系が確立したのである。
なお、昭和43年(1968)利根大堰の完成に伴い、元圦・新圦は廃止さ
れ、利根大堰から埼玉用水路を通じて給水されることとなった。

④ 本所上水
万治元年(1659)、江戸の本所地区の飲料水用として本所上水が開
削された。
これは明暦の大火(1657)の後、本所が町屋地として定められたが、
本所は低湿地のため、井戸水は塩分を含み飲用水として適さなかっ
たためである。
本所上水は亀有上水・小梅古上水などとも呼ばれている。

当初は亀有溜井から導水されていたが、延宝3年(1675)亀有溜井
の廃止に伴い、瓦曽根溜井からの導水に切り替えられたという。
葛西用水の東側に沿って上水路が設けられ、古綾瀬川を掛樋で渡
り葛西領を南下していった。

天和元年(1688)、本所上水は停止される。
これは本所・深川地区から武家屋敷や町屋が撤退したことに起因す
るとされ、その撤退理由は水害(火災という説もある)らしい。

元禄元年(1688)に本所上水は再開されるが、周辺の水害や冬場
の水涸れなどもあり、上水としての機能はあまり果たさなかったようだ。
そして享保7年(1722)、本所上水は三田・千川・青山の各上水と共
に廃止される。
これは八代将軍吉宗の側近であった室鳩巣が「大火が増えた原因
は上水にある」という説を唱えたことによる。

本所上水廃止後、葛西領内の本所上水は農業用水路として転換される。
また、上流部の葛西井堀脇の水路は新田として再開発された。

江戸時代後期になると、亀有以南で小舟を綱で引く引舟事業が行
われ、帝釈天詣や水戸街道へ出る旅人に利用されていくことになる。
葛飾区内で称される曳舟川は、この引舟に由来する。

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        葛飾区内に続く曳舟川親水公園


以上が葛西用水にまつわる歴史を記してみた。
これ以外にも、当時行われていた利根川東遷・荒川西遷の大事業も深く
関与している。
より詳細にお知りになりたい向きには、流域の自治体の図書館・資料館
に資料が用意されているので、訪問をお勧めしたい。

本来であれば利根川取水口から歩き始めたいところではあるが、都内
から出向くには遠く、日帰りでは散策時間も制限を受ける。
それに加え、現地のバスなどの交通事情に疎く、不安がある。

そのため、今回は越谷市にある瓦曽根溜井をスタートとして葛西用水
ならびに曳舟川沿いを辿ることとした。
本項では歴史について長々と書いてしまったので、葛西用水の散策
記は次項から記すことにしたい。

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《参考資料》
『八潮市史 通史編Ⅰ』 八潮市史編さん委員会
『葛西用水 -曳舟川をさぐるー』 葛飾区郷土と天文の博物館
『葛西用水 長く使うことのできなかった用水路』 高山治
      (日本地図センター 『地図中心』 2015年6月号収録)
『ブックレット 足立風土記⑩』 足立区教育委員会

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二ヶ領用水 根方十三ヶ村堀 2

第三京浜を越えた先も根方十三ヶ村堀(以下、根方堀と略)は、暗渠とし
て道路の左側に続いている。
この水路は、資料とした『二ヶ領用水支流水路復元図』では上小田中堀
の記載されている。
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道脇にある小さな祠、水の神である弁財天を祀っているようだ。
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その先の左側に関神社が鎮座する。
慶長10年(1605)、武田信玄家臣の末流、原勘解由左衛門勝久が此の
地に移住したが開墾が進まず、近江国の関蝉丸神社に祈願したところ霊
示があり、社殿を造営した後、開墾が進むようになったとの言い伝えがある。
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上小田中の住宅街を進んでいく。
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その先、左側にひと際目立つ寺が見えてくる。
真言宗智山派の大谷山宝蔵寺、川崎七福神の弁財天となっている。
創建は永正17年(1520)、原勘解由左衛門勝光が開基とされている。
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蛇行して進む根方堀、ここの暗渠は鉄板の蓋となっている。
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やがて、前方に南武線の高架橋は見えてくる。
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その南武線まで追っていくと水路は中原電車区の中へと入り込んでしまう。
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ここは電車区を右(西側)へと迂回することになる。
その迂回の途中にある又玄寺と新城神社を訪ねることとする。

こちらは正覚山又玄寺、臨済宗の寺院である。
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電車区の西端の南側には新城神社、元禄7年(1694)の創建、新城村の
守り神として鎮座した。
毎年10月の祭礼に行われている囃子曲持は、力持ち曲芸と祭り囃子が
一緒になった芸能で、川崎市の重要習俗技芸に指定されている。
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さて、電車区の中に入っていった根方堀は、その南側へ出てくる。
更には電車区向かい側の個人宅の中へと入っていく。
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1ブロック南の道路に廻り込むと、その先は一般道へと出て、道路右側に
暗渠の歩道が続いている。
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道路は南へと向きを変え、最終地点の江川へと目指して進んでいく。
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今は住宅が続く街並みであるが、数十年前までは田園風景が広がって
いたのだろうか。
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この道に交わる水路敷らしき通路を発見、おそらく田圃の間を縦横に流
れる水路跡であろう。
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暗渠は道の右から左へと移り変わり、なおも暗渠蓋が続いていく。
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その先、暗渠蓋は無くなってしまうが、これは道路整備したためだろう。
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先ほどの電車区から1.4kmほどあるいていくと、江川へと出る。
現在の江川は、せせらぎ遊歩道として人工水路が流れているが、以前はこ
の辺りで水を落としていたのだろうか。
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《参考資料》
『二ヶ領用水支流水路復元図』 ※川崎市立中原図書館所蔵



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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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