千川上水 3

引き続き、千川上水を辿っていく。
西武池袋線の中村橋駅、その駅名の由来は千川上水に架かっていた橋だ。
ちょうど中村橋駅交差点付近に橋があったという。
2017-01-28.jpg

その中村橋から200メートルほど歩くと、またもや緑地帯の中に祠がある。
中村不動尊と称し、成田山新勝寺にて開眼法要した不動尊である。
2017-01-28_5.jpg

その中村不動尊が祀られている交差点から南へ中村分水が分水されていた。
中村分水はここから南へと流れ、学田公園付近で中新井分水(後述)に合流する。
2017-01-28_8.jpg

桜並木が続く暗渠の上の千川通りの歩道。
2017-01-28_10.jpg

目白通りとの交差点の100メートルほど手前、今度は中新井分水を南へ
と分ける。
中新井分水は学田公園で先ほどの中村分水を合わせ、その先は江古田
川(中新井川)とつながる。
元々、学田公園付近に湧水池があったようだが、湧水が枯渇したことも中
新井分水開削の契機の一因であったらしい。
なお、中新井分水と呼ばれる水路は3本あり、ここの分水は最上流の水路
で上新街分と呼ばれる。
2017-01-28_12.jpg

目白通りと交差すると、千川通りは練馬駅周辺の繁華街へと入っていく。
練馬駅の手前、左斜め後方から合流する道路があるが、ここはかつて石
神井川からの揚水の合流地点であるという。
冒頭に記したように千川上水は明治以降、工業用水としても利用された
が、下流の工場で水が不足したため、昭和10年(1935)石神井川の中之
橋(豊島園東側)の下流からポンプで水を揚げ、ここで千川上水に補水し
ていた。
2017-01-28_15.jpg

練馬の南側に練馬大鳥神社と東神社を訪ねてみた。

正保2年(1645)、中新井村に三羽の鶴が飛来し、村人たちが瑞祥として
保護した。
鶴の死後、小祠を建ててその霊を祀ったのが練馬大鳥神社の始まりとされる。
その後、社殿を建立し、和泉国一宮の大鳥神社から勧請したという。
2017-01-28_19.jpg

練馬大鳥神社の南側に隣接するように鎮座するのが東神社、由緒は不明。
境内には橋供養正観音(写真右)が祀られているが、これは安永3年(1774)、
千川上水に筋違橋が架けられた際に供養して建てられたもの。
もともとは上水沿いにあったが、暗渠化された際に東神社内に移された。
2017-01-28_23.jpg

更に千川通りを東へ辿っていくと、「清戸道と千川上水」という練馬区教育
委員会による説明板が立っている。
2017-01-28_26.jpg
この付近の千川通りは千川上水の流路であるとともに清戸道という古道で
もあった。
清戸道は江戸川橋から目白・練馬・保谷・東久留米を経て清戸(清瀬市)に
至る道で、清戸の農民は農産物を江戸へ運搬・販売し、帰途は下肥を持ち
帰ったという。

その先の桜台駅南西の交差点には2つ目の中新井分水下新街分)の分
水口があり、青果店脇の細い道がその名残である。
2017-01-28_29.jpg

またこの交差点には「桜の碑」と記された記念碑がある。
脇の説明板によれば、近くにある西武池袋線の桜台駅は、千川上水の桜
並木に因んで名づけられたものという。
2017-01-28_31.jpg

環状七号線を越えると、千川通りの右側には武蔵大学のキャンパスが広がる。
環七との交差点の東側付近に3番目で最下流の中新井分水北新井分
の分水口があったという。
この中新井分水は濯川と呼ばれ(武蔵学園により命名)、現在は大学構
内に循環方式の水路として復元・整備されている。
なお、下新街分と北新街分の中新井分水は、上新街分と同様、流末は江
古田川へと注いでいた。
2017-01-28_36.jpg

やがて千川通りは江古田駅に近づくが、その手前北側に武蔵野稲荷神
が鎮座する。
2017-01-28_39.jpg
創建年代は不詳、本殿は小高い塚の上に建っており、太田道灌と豊島泰
経が戦った江古田・沼袋の戦い(妙正寺川2参照)における豊島軍の死者
を葬った塚とも伝えられる。
また、かつては塚の周囲に堀があり、千川上水の水が引き込まれていたという。

江古田駅の南、江古田二又(江古田駅南口交差点)に達する。
ここで千川上水は通りの左側から右側へと移る。
2017-01-28_40.jpg

江古田二又から300メートルほど行った地点で、江古田分水が南へと分けていた。
分水口から南へと流れていた江古田分水は現在一般道となっており、かつ
て分水口があった場所はちょっとわかりにくい。
2017-01-28_45.jpg

その先で練馬区から豊島区へ入る。
区境の先で江古田分水は左へ直角に曲がり、南東から北東へと向きを変える。
下の写真は曲がった先の地点で西武線の踏切が遠くに見える。
2017-01-28_47.jpg

曲がる前の練馬と豊島の区境付近、および西武線の踏切の北側からは、
石神井川へと流れる水路を分けていた。
この水路はエンガ堀と呼ばれ、小竹向原付近を通って、耕整橋で石神井
川へと合流していた。
こちらは分水路というよりも排水路として使用されていたらしい。

西武線を渡り、都立千早高校脇に達すると、右側の歩道だけ高くなっている。
車道がV字状の地形に沿って上下するのに対し、歩道部分を通っていた千
川上水はその高低差を避けるように通されてためだ。
2017-01-28_49.jpg

この僅かな高低差は、先ほどのエンガ堀の支流の一つが流れていたためで、
ここでは千川上水とエンガ堀支流は立体交差していたらしい。
エンガ堀の支流は道路の左側に暗渠道として確認することができる。
2017-01-28_51.jpg

《参考資料》
『絵図と写真に見る千川上水』 石神井公園ふるさと文化館
『千川上水 一九四〇年といま』 千川の会
『千川上水の今と昔』 練馬古文書研究会




次へ 目次
 
スポンサーサイト
ごあんない
目次
過去記事はこちらから。
水系ごとに体系化しています。

橋マップ
Google Mapを利用して、
橋の位置と写真を紹介します。
INDEX

Twitterボタン
Twitterブログパーツ
プロフィール

リバーサイド

Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
フォトアルバム
外部のサイトを利用して、フォトアルバム(スライドショー)を表示します。
以前のブログから引き継いでいます。

金太郎(杉並の暗渠)
神田川の桜 2008
善福寺川の桜 2008
目黒川の桜 2012
三島の湧水
リンク
QRコード
QR
検索フォーム
アクセスカウンター
おすすめ
リバーサードがお勧めする本